Classical

Insight

克哉は書類を入れたファイルを片手に、早足で御堂の執務室に向かった。
別に急ぎの仕事だったわけではない。
単に御堂に会う用事が出来たことが、嬉しかっただけだ。
執務室のドアをノックすると、中から御堂の返事が聞こえてきた。
「失礼します。ミーティングの報告書と、明日の資料を……」
最後まで言い切らない内に、克哉は思わず息を飲む。
デスクの前に立っていた御堂は、脱いだ上着を椅子の背に掛けながら克哉の方を見た。
「ああ、そこに置いてくれ。今、確認するから」
そう答えて、御堂がネクタイの結び目に指を掛ける。
現在、MGNではクールビズが推奨されている為、勤務中の社員は基本的にノーネクタイだ。
しかし御堂のような立場だと、面会の相手や会議の面子によっては、ネクタイを締めなければならないときと、そうでないときがある。
一日に何度もネクタイを締めたり解いたりするのは非効率的だと、御堂はよく愚痴を零していた。
けれど克哉には、それが少しだけ嬉しい。
御堂がネクタイを解くところを見るのが、好きだったからだ。
もちろん、締めている姿も好きだ。
今日だって、濃い目のワインカラーに小紋柄のネクタイが、白いワイシャツに映えてよく似合っている。
御堂は指先を引いて結び目を緩めたあと、幾度もクロスした剣先を解いた。
それから端を引っ張ると、しゅると軽い音を立てながら、ネクタイはワイシャツの襟から外れる。
そんな何気ない仕草にさえ、克哉は釘付けになってしまう。
自分と同じことをしているはずなのに、どうしてこんなにも格好良く見えるのだろう。
御堂は外したネクタイをくるくると丸めながら、椅子に腰を下ろした。
そして克哉がデスクの上に置いた書類に視線を落としながら、ワイシャツの一番上のボタンを外して襟元を開く。
「……どうした?」
「えっ? あ、はい」
どうやら、見惚れてしまっていたらしい。
うっすらと顔を赤くしている克哉を見て、御堂がニヤリと笑う。
「これ以上は、脱がないぞ?」
「……あ、当たり前です!」
ムキになってますます赤くなる克哉に、御堂はクククッと愉快そうな笑い声を漏らした。
「本当に、君は分かりやすいな」
独り言のように呟いて、御堂は書類を手に取る。
瞬時に御堂の顔はビジネスモードに切り替わり、そこに書かれている文字を鋭い目つきで追い始めた。
克哉はデスクの前に立ったまま、そんな御堂を見下ろしていた。
「……あなただけ、です」
「ん?」
「オレのこと、分かりやすいなんて言うの……あなただけです」
分かりづらい奴だ、と言われたことならある。
学生時代にも言われたし、社会人になってからも本多に言われた。
何を考えているのか分からない。
いつも穏やかではあるけれど、喜怒哀楽がはっきりしない。
誰とも揉めることがないかわりに、誰とも深い付き合いにはならない。
何が好きで、何が嫌いなのか。
本当は、どうしたいのか。
本音がさっぱり見えてこないと、何度か言われた。
敢えて、そうしてきたのだから当然だ。
他人との間に壁を作って、自分自身も本当の自分から目を逸らして生きてきた。
誰にも分かってほしいなんて思わなかったし、寧ろ知られてしまうことが恐ろしかった。
けれど、今は違う。
御堂に「分かりやすい」と言われたことが、こんなにも嬉しい。
「オレが分かりやすいんじゃなくて、あなたがオレをよく分かっているだけだと思います」
「……」
そのとき、御堂が思わず克哉を抱き締めたくなったことなど、克哉は知らない。
克哉の発する何気ない言葉は、いつもこうして御堂の心を揺さぶる。
御堂にとって、克哉は今までに出会ったことがない種類の人間だ。
付き合いはじめて一年以上経った今でも、その考え方や言動に戸惑うことは多い。
けれど、ひとつだけ確信していることがある。
それは克哉が、自分を誰よりも大切に想っているということ。
その確信は、決して自惚れではないと思う。
何故なら自分もまた、克哉を同じように想っているからだ。
御堂は書類を置くと、出したままになっていたネクタイを手に、椅子から立ち上がった。
「御堂さん……?」
御堂は克哉の前に立つと、その首にネクタイを掛ける。
そして手際良く、ネクタイを締め始めた。
「御堂さん?! ど、どうしたんですか?」
「これは、君のほうが似合いそうだ。前からそう思っていた」
「……」
オフィスでの思いがけない至近距離に、鼓動が速まる。
克哉は震えてしまいそうな吐息を堪えて、乾いた唇を舐めた。
「今日は、もう使わないんですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「でも……これで戻ったら、変に思われますよね……」
「執務室に行くと、いつも御堂部長に虐められるんです、とでも言っておけ」
「そんな」
冗談でも、御堂を悪くなんて言いたくない。
けれど今日、御堂がこのネクタイをしているところを見た人は大勢いるはずだ。
本当に困るなら、執務室を出てすぐに外してしまえばいいのだろうけれど、きっと自分はそうしないだろう。
克哉は御堂にされるがままになりながら、頭の中であれこれと言い訳を考えなければならなかった。
ネクタイを締め終わると、御堂の指先が克哉の首筋をすっと撫でる。
思わず喉をひくつかせた克哉に少しだけ意地悪く笑って、御堂は克哉から離れた。
「やはり、思った通りだ。君のほうが似合う」
「……」
上から下まで舐めるように見つめられて、克哉は顔を赤くしながら俯く。
ここはオフィスで、今は勤務時間中で、これ以上のことは望めるはずもない。
それでももう少しだけこの甘い空気を変えたくなくて、克哉は御堂に向かって一歩だけ踏み出すと、小さな声で呟いた。
「あの……帰ったら、あなたが解いてくれますか?」
真っ赤になった克哉からの精一杯の誘いに御堂は微笑み、それから耳元に唇を寄せて答えた。
「ああ。勿論だ」
うっとりと目を細めた克哉を見つめながら、御堂は思う。
彼は私をよく分かっている、と。

- end -
2008.08.30



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