Classical

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克哉は薄暗いリビングで、分厚いファイルをぱらぱらと捲っていた。
ファイルにはこの夏発売される新商品、ビオレードに関する書類がまとめて綴じてある。
大隈専務からの指示通り、シカゴ本社への出張を前にして、各部署への調整はほとんど済んでいた。
それでも暇さえあれば、何かやり残していることはないかと資料を見直してしまう。
なんとなく、落ち着かないのだ。
ここしばらく、がむしゃらに仕事をこなしてきた。
会社にいる間はそれでいいのだが、帰ってきてふと時間が空くとそわそわして落ち着かなくなる。
この状態はきっと、商品が店頭に並ぶ日まで続くのだろう。
いや、それを実際手に取っている人を見るまでは安心出来ないかもしれない。
この商品を早く形にして、届けたい。
今は、そんな気持ちでいっぱいだった。
「……克哉」
「!!」
突然、耳元で囁かれると同時に、ふっと息を吹きかけられて、克哉は飛び上がった。
振り返ると、ソファの背凭れ越しに、御堂の顔がすぐ近くにある。
シャワーを終えたばかりで湿ったままの髪からは、仄かにシャンプーの匂いがした。
「た、孝典さん」
「まだ、やっていたのか?」
御堂は克哉の手元を呆れたように覗き込んだあと、こめかみに軽いキスを落とす。
「すみません。つい」
「気持ちは分かるが、あまり気負うな。今のところ、何も問題は無い」
「はい」
御堂が気休めでそう言っているわけではないことは分かっている。
だから克哉はファイルを閉じると、御堂に手を引かれながら寝室へと向かった。

ベッドに入り、ほっと息を吐く。
「消すぞ」
「はい」
御堂の手が、スタンドのスイッチに伸びる。
パチリと軽い音がした後、視界は暗闇に包まれた。
まだ冷たい布団の中で足を動かすと、爪先が御堂の足に触れる。
小さな悪戯をするようにそのまま足を絡ませると、腕の中に抱き寄せられた。
「……いよいよ、来週ですね」
「ん?」
「シカゴに行くの……」
ああ、と御堂は少しばかりつまらなそうに返事をする。
また仕事の話か、とうんざりしたのだろう。
確かに、こんな時にする話じゃなかったかもしれない。
取り繕うように御堂の胸に顔を埋めると、克哉の気持ちを察してくれたのか、掌が優しく髪を撫でた。
「緊張しているのか?」
「少し……」
「今回は私も同行するのだから、安心したまえ。 ただ君もGMの目に止まったことだし、これからは海外出張が増えるかもしれないぞ」
「そうなんですか?」
「ヨーロッパ視察の話もあっただろう」
「あ……そうですね」
「少しずつ慣れていくしかないな」
「はい」
不安はある。
けれど同時に、それらを楽しみにする気持ちもあった。
自分の力を試せること、新しい物を作り出す喜び、見知らぬ土地での、見知らぬ人との出会い。
その経験の全てが、きっと自分にとっても、御堂との関係にとってもプラスになるはずと思える。
もちろん、そんな風に思えるようになったのは、御堂のおかげに他ならない。
一年前の自分と比べて、あまりの変わりように我ながら戸惑うところもあったけれど、 それでももう後戻りする気はなかった。
「克哉……」
不意に御堂が呟いて、克哉をきつく抱き締めた。
その声と、腕の力に、何故か違和感を覚える。
「孝典さん……?」
心配になって、名前を呼んでみる。
けれどますます腕の力は強くなって、顔を上げることさえ出来ない。
たとえ顔を上げても、この暗闇では御堂の表情は分からないだろう。
ただ、何かが苦しい。
苦しくて、せつない。
これはきっと、御堂の今の気持ちだ。
それが自分に流れ込んできている。
克哉は僅かに身じろぎすると、襟元から覗く御堂の素肌に鼻先を擦りつけた。
「……君は、私が君を置いていくと思ったことがあるか?」
御堂の声は、やはり何処か苦しげだった。
「え?」
「本城が言った言葉だ。覚えているか?」
「あ……はい」
忘れるはずがない。
御堂はどんどん先に進んでいく。
君は痛む足をひきずってでも、御堂についていこうとするだろう。
でも、追いつけない。
いつか、取り残される。
それなのに、御堂はついてこられないことを責めるんだ。
「それは……」
御堂はそんなことで克哉を責めたりするような人ではない。
けれど、もしも御堂の期待に応えられなかったら?
御堂の信頼を裏切るような結果になってしまったら?
小さなすれ違いや失敗の積み重ねが、少しずつ二人の距離を隔てていくかもしれない。
いつか失望されやしないかという不安が、まったく無いわけではなかった。
だから克哉は、正直に答えた。
「……あります」
少しの間があって、御堂が「そうか」と呟く。
その掠れた声に、微かな後悔が湧いた。
「でも、それは」
「いや、いい。分かっている」
全面的な肯定ではないことを、もっときちんと説明したかったけれど、御堂に遮られてしまう。
でも、きっと御堂は分かってくれている。
そんな気がした。
「……私も、同じなんだ」
「同じ……?」
どういうことかと聞き返すと、御堂は淡々とした口調で答えた。
「私も、君に置いていかれるかもしれないと思うことがある」
信じられない言葉に、克哉は目を見張った。
「た、孝典さん、何を言って……」
「本当のことだ」
そしてまた、御堂の腕の力が強くなる。
どうして、御堂はそんなことを言うのだろう。
逆ならまだしも、自分が御堂を置いていくなど有り得ないのに。
けれど御堂は、克哉の髪に頬擦りしながら続ける。
「君は本当に有能な男だ。今回のことでも、それは証明された。 君が自分自身をどう評価しようとも、周りは君を放ってはおかないだろう。 君が本来の力を発揮して、認められていくことは私も嬉しい。だが……」
そこで御堂は、短く息を吐いた。
「……いつか君が、私の手の届かないところに行ってしまうのではないかと思うことがある。 普段は君に自信を持てと言っているくせに……矛盾しているな」
「孝典さん……」
自嘲気味に、御堂がフッと笑う。
まさかそんな風に思われているなんて、考えもしなかった。
御堂は自分を過大評価していると思ったけれど、きっとそういう問題ではない。
二人の距離が離れていくかもしれないという不安。
それは、克哉が抱いているものと同じなのだ。
だから、ただ否定するだけでは意味がないと思った。
「孝典さん……」
克哉は御堂の背中に手を回した。
そして、暖かな胸に頬を押し付ける。
「オレが頑張れるのは、あなたがいてくれるからです。本当はどんなことでも、あなた一人に誉めてもらえれば、それで満足なんです」
「克哉」
百人の人から貰う賛辞より、御堂からの一言が嬉しい。
「よく頑張ったな」と御堂に笑ってもらえたら、本当はそれだけで良かった。
恋人になった今でも、自分にとって御堂は尊敬と憧れの対象だ。
御堂はきっと、これからもどんどん先に進んで行くだろう。
でも、それでいい。
進み続ける努力を、御堂がしていると知っているから。
だったら自分に出来ることは、同じ努力をし続けることだけ。
「……約束、しませんか?」
「約束?」
御堂の腕が緩み、克哉はようやく顔を上げた。
暗闇の中、御堂が少しでもよく見えるようにと、顔を近づける。
「進み続けている間に、もしもお互いを見失ったり、はぐれたり、迷ってしまったりしたときには……必ず、ここに戻ってくるって」
そう言って、克哉は御堂の頬に触れた。
何があっても、帰る場所はここ―――互いの腕の中だけ。
だから、歩いて行ける。
安心して、飛び立てる。
「……そうだな。約束しよう」
御堂は克哉の手を取ると、その指先にくちづけた。
それから、今度は唇に。
「孝典、さん……」
震える声で名を呼べば、ただ愛しさだけが募る。
くちづけを交わしながら抱き合う手のひらが熱を帯びて、薄い布地越しの肌を滑った。
すっかり温まった足が自然に絡み合い、互いを求め出す。
「ん…ふ……孝典、さん……好き……」
「ああ……」
くちづけの合間にも、克哉はうわ言のように繰り返す。
もう何度も告げているのに、言葉にせずにいられない。
好き。
大好き。
陳腐にも思えるようなその言葉を口にするたび、もっともっと好きになる。
気持ちが昂ぶる。
「孝典さん……好き……っ……」
とうとう感極まったような告白に、御堂が微かに笑った。
「君は本当に私のことが好きだな」
「そ、それは……」
「私のどこが、そんなに好きなんだ?」
「えっ……」
そんなことを聞かれても。
答えに詰まっていると、御堂の手は克哉の背中から腰へと動き、それから双丘をするりと撫でた。
「あっ……」
「答えろ。私のどこが好きだ?」
「あの……全部、です……」
「その全部を言ってみろ」
「そん、な……」
話している間も、御堂の手は絶え間なくパジャマ越しの後ろを弄る。
答えようにも、その感触に意識が集中してしまって、うまく考えがまとまらない。
更には両足の間に入り込んだ御堂の膝が、熱くなり始めた中心に押し付けられてしまった。
「んっ、あ……」
「……克哉。答えるんだ」
「ぜん、ぶ……優しい、ところも……意地悪なところも……顔も、声も、キスも……全部、です…っ……」
息を乱しながら、克哉は必死に答えた。
本当はもっとあるけれど、この状況ではとても全てを並べ立てることは出来ない。
今はこれで許してほしかったのに、御堂はまだ意地悪く言う。
「……それだけか?」
御堂の手が、下着の中に入り込んだ。
指先に狭間を直接撫でられ、克哉は腰を震わせた。
「あっ……は……」
「もうひとつ、忘れているものがあるんじゃないか?」
「……ん、んっ…!」
指が、とうとう後孔に触れる。
しかしそのまま深く沈むわけでもなく、ひくつく薄い皮膚をもったいぶるように撫でるばかりだ。
ぴったりと密着した下肢は、絶え間なく御堂の太腿に押されてすっかり硬く勃ち上がっている。
克哉が堪らず身体をくねらせると、唇と唇が僅かに重なった。
「……私の指は好きか?」
「好き……です……」
「そうか。なら……」
「ああっ……!」
指が入ってきた。
その感触に、甘い吐息が漏れる。
けれど当然、奥までには届かない。
指の腹で入口付近の中を擦られ、身悶えしながらも、もどかしさに苛まれる。
克哉は御堂にしがみつきながら、細かく震えるばかりだった。
「あっ……あ……」
「私の指が好きなら、これで満足だろう?」
「や……やだ、ぁ……」
「嫌なのか?」
「っ……」
背中に回っていた克哉の手が、そろそろと御堂の下肢へと伸びる。
そうして望んでいた熱を探り当てると、無意識に後孔が御堂の指を締め付けていた。
「…き、です……」
「うん?」
「あなたの……好き、です……だから……ください、オレに……」
「……」
そのおねだりに、御堂はようやく満足してくれたようだった。
後孔から指を抜いて、克哉のパジャマのズボンを下着ごと引き下ろすと、布団を剥ぐ。
身体を包んでいた温もりがあっという間に逃げて、露わになった下肢が晒された。
「孝典さん……」
早く、来て。
縋るように手を伸ばすと、御堂も自身を露わにする。
大きく足を開かされ、ひくついている場所に先端が触れると、御堂は克哉に覆い被さりながら、中を貫いていった。
「あ、あぁっ……!」
「克哉……」
あとはもう、身を任せるだけだった。
押し寄せる圧倒的な快楽の波に飲まれていく。
繋がっているのは身体のほんの一部分なのに、全身を悦びが包む。
克哉はもっと御堂に近づきたくて、自ら苦しくなるほどに膝を折り曲げると、御堂の背中を強く引き寄せた。
互いの身体に挟まれた屹立が、御堂の硬い腹に擦られて欲情を煽る。
「あ……イイっ……もっと…もっと、来て…ッ……」
「かつ、や…ッ……」
「孝典さん……」
汗ばむ肌に指先を食い込ませながら、克哉はシーツの上で髪を振り乱す。
激しく腰を打ちつけられるたびに、身体の奥が熱くなって、決して御堂を離すまいと絡みついた。
弾む吐息が混じり合い、どちらのものかも分からなくなる。
ベッドがぎしぎしと音を立てる。
「はぁッ……孝典さん……孝典、さ……!」
克哉は御堂に揺さぶられながら、改めて思った。
ここが、自分の居場所だ。
この場所だけは、絶対誰にも譲らない。
譲りたくない。
たとえ何処へ向かおうとも、最後には必ずここへ帰ってきたい。
そして御堂にも、そうであってほしいと。
「孝典…さん……ッ」
御堂の突き上げが激しさを増して、克哉は全身をぶるぶると震わせる。
そして最奥を貫かれた瞬間、焼けるような熱が中心から迸った。
「あ……あ、あッ……あぁッ―――!」
指先が白くなるほどに御堂の腕を掴みながら、克哉は吐精していた。
びくびくと腰が跳ねるたびに白濁した精が噴き出して、互いの身体を濡らしていく。
しばらくはそのまま律動を続けていた御堂も、やがて短く呻くと、克哉の中に欲望を解放した。
「…くッ……克哉……」
「はぁ……あ………あぁ………」
克哉はゆっくりと倒れ込んできた御堂の身体を受け止めた。
乱れる呼吸に上下している肩に、そっと唇で触れる。
重なる胸に、御堂の速い鼓動が伝わってくる。
「孝典さん……好きです……」
まだ言い足りないとばかりに囁くと、御堂が顔を上げる。
暗闇に慣れた視界の中で、御堂が微笑んだのが見えた。
「ああ……私も、君が好きだ」

ようやく互いの呼吸が落ち着いた頃、克哉は自分もずっと気になっていたことを聞いてみた。
「あの、孝典さん……オレにも、教えてくれませんか?」
「なにを」
「その……あなたは、オレのどこが好きなんでしょう……?」
「……」
それについては、一度聞いてみたいと思っていたのだ。
御堂ほどの人が、どうして自分のような人間を好きになってくれたのかまったく分からなかった。
しかしそんな問い掛けに御堂が素直に答えるはずもなく、彼はただニヤリと笑う。
「どこだと思う? 当ててみろ」
「そ、そんな……! ずるいです、孝典さん」
「君なら分かるはずだと思うが?」
「……」
こうして結局、自分ばかりが恥ずかしいことを言わされるのだ。
分かっていたことではあるけれど、克哉は少し拗ねて、御堂を上目遣いに睨みながら言った。
「……じゃあ、全部」
我ながら図々しいとは思いながらも、半分仕返しのようなつもりで答える。
すると御堂はクスクスと笑いながら、克哉の頬に音を立ててくちづけた。
「正解だ」
「……」
克哉は思わず吹き出して、それから二人で笑いあう。
こんなにも幸せな場所は、他に無いと思った。
だから何があっても、必ずここに戻ってこよう。
互いの、腕の中へ。

- end -
2009.05.02



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