Classical

Hide and Seek

帰宅すると、家の中がやけに暗く感じた。
それは御堂の気の所為というわけではなく、いつもなら玄関まで漏れてきているリビングの灯りが無かったからだ。
もしやまだ帰っていないのかと足元を見てみると、そこにはやはり克哉の靴がある。
しかし先に帰宅しているときには必ず満面の笑みで出迎えてくれるはずの恋人が姿を現す気配は少しも無く、部屋はしんと静まり返ったままだった。
「克哉?」
呼びかけながら念の為にリビングを覗いてみるが、やはりそこには誰もいない。
御堂は小さく溜息をついた。
出来る限り急いで帰ってきたつもりだったが、逆に彼を待たせてでも一緒に帰ってきたほうが良かったのかもしれない。
こうなったら早く彼を宥めてやらなければなと心の中で苦笑しながら、御堂は寝室へと向かった。
「……?」
ところが寝室にも灯りは燈っておらず、広いベッドの上には人影もない。
そこで御堂はふと違和感を覚えた。
いつもシーツの上に掛かっているはずのブランケットが無くなっているのだ。
これはいったいどういうことだろうか。
とにかく克哉が家の中にいることだけは間違い無いようだが、寝室にもリビングにもいないとなると他に思いつく場所はあとひとつしかない。
御堂は寝室を出ると、今度はその部屋へと足を向けた。

克哉がこのマンションに引っ越してきたとき、御堂は空いていた一室を克哉の為に与えた。
御堂はそれなりに物欲はあるものの、量より質に拘る性質なので物が増えすぎるということは決してない。
ここは収納スペースも充分にあったため、一部屋がまるまる空いていたのだった。
しかし克哉が持ってきた荷物はとても少なかったし、大抵は御堂と共にリビングやキッチンで過ごしているので、克哉がこの部屋にいることはほとんど無い。
それでもお互いがひとりになれるスペースを設けておくことは、彼と生活を同じくするうえで大切なことだと御堂は考えていた。
「……克哉?」
ドアの前に立ち、中の様子を伺いながら声を掛ける。
返事は無く、物音もしない。
「克哉、いるのだろう?」
もう一度呼びながら、ドアを軽くノックする。
やはり返事は無かったが、彼は絶対にここにいるはずだと思った。
そのとき突然御堂は自分のしていることがなんとなく可笑しくなって、少しだけ笑ってしまった。
以前は家に他人をあげることさえ好きではなかったのに、今ではその他人が家の一角に閉じこもっていて、自分はその部屋の前でただ立ち尽くしているのだ。
変われば変わるものだと思う。
それはきっと克哉が自分にとって既に他人ではなくなっていることを意味しているのだろう。
昔から結婚願望など微塵も無いつもりだったが、今になってみるとこのマンションを購入したとき、心の何処かでいつかは共に暮らす人間が増えると思っていたのかもしれない。
結果的にそれは現実となり、ただし相手は想像もしなかったような人物ではあったものの、御堂は現状にこのうえなく満足していたし、克哉もそのはずだと確信していた。
「入るぞ」
痺れを切らした御堂がとうとうノブに手を掛けたとき、ようやく中から声が返ってきた。
「……開けないでください」
その言葉に手が止まったのは一瞬のことで、御堂は克哉の頼みを無視してノブを回す。
幸い、鍵は掛かっていなかった。
「……克哉?」
殺風景な克哉の部屋の中は寝室やリビング同様に灯りはついていなかったが、それでも窓際付近に不自然な大きな塊があるのは分かった。
御堂は後ろ手でドアを閉めると、敢えて灯りをつけないまま暗闇の中を慎重に進んでいく。
すぐに目は慣れて、御堂はその塊のすぐ前で足を止めると、寝室にあったはずのブランケットが作っている小山を見下ろしながら思わずクスリと笑いを漏らした。
「……克哉。君は何をしているのだ?」
「……」
「克哉。出てきたまえ」
その声に、ようやく塊がもぞりと動く。
「……イヤです」
予想通りの返答だ。
御堂は会社でももう何度も繰り返し伝えたことを改めて口にする。
「いったい何度言えば分かるんだ。君は何も悪いことはしていない。だから……」
そこまで言いかけたとき、塊は大きくぶるぶる震えたかと思うとさっきよりも小さくなったようだった。
「違います。やっぱりオレが……悪かったんです……」
か細く、けれど断固とした意志を感じさせる口調で克哉は言い張る。
彼のこの頑なさはときに非常に厄介だと御堂は痛感しながらも、こんな風にブランケットを被り続ける恋人の可愛らしさを前にしてはつい笑いそうになるのを堪えるのに必死だった。

そもそもの事の発端は、先々週に開かれた新商品の企画会議の場だった。
再来年の夏を目処に発売予定のゼリー飲料に関する打ち合わせだったのだが、例によって天敵のSCMが企画内容に片っ端から噛み付いてきたのだ。
企画はまだ初期の段階であるため具体的に煮詰まっていないものが多いにも関わらず、SCMの担当者は頭ごなしに否定的な態度を取ってきた。
その理由はよく分からなかったが、しかし彼らの指摘や反論は克哉にとって全て想定の範囲内だった。
今回のプロジェクトに発案から大きく関わってきた克哉は、いつも以上に万全の態勢をもって会議に臨んでいたのである。
丁寧に、穏やかに、決して刺々しい雰囲気にならないよう、しかしあくまで理路整然とSCMの言い掛かりにも近いような意見にひとつひとつ答えていくうち、 最終的には向こうがぐうの音も出せなくなって黙り込んでしまったところでその日の会議は終了したのだった。
その鮮やかさには同席していた御堂も愉快になるほどだったのだが、当の本人はつい好戦的になってしまったことを甚く反省していた。
そして今日、再び会議が開かれたのだが―――。
会議が始まって少ししたところで、SCMの責任者である福田常務が顔を出したのだ。
予定外のことに御堂も驚いたのだが、常務が同席したことでSCMはここぞとばかりに気を大きくしたようだった。
克哉もさすがに萎縮してしまい、結果的には常務の面子もあって企画の大幅な見直しを迫られてしまった。
御堂はこの件の裏にはSCMの担当者、もしくは福田常務に何か個人的な思惑があるのではないかと睨んでいるのだが、具体的なことはまだ分からない。
そして当の克哉は今日の会議で企画を否定されたのは、全て自分の所為なのだと思い落ち込んでいるというわけだった。
「前回、オレがもっと違う対応をしていたら……オレが調子に乗ったせいで……」
ブランケット越しにもごもごと呟く声が聞こえてくる。
とにかく今は彼をなんとかするのが先だ。
一度彼がこうなってしまうと、どれだけ慰め、励まし、宥めたところで一向に効き目がないことは既に御堂も学習済みだった。
落ち込んだときには、徹底的に落ち込ませてやる。
これ以外に無い。
だから御堂は克哉に聞こえるよう、わざと大袈裟に溜息をついてみせた。
「……分かった。君はどうしてもそこから出てくる気は無いのだな?」
「……」
「それなら……」
「あっ……!!」
御堂が無理矢理ブランケットを捲り上げると、中で蹲っていた克哉が驚いてこちらを見上げた。
しかし御堂はすかさず克哉の隣りに座り込み、再び自分と克哉の頭からブランケットを被ってしまう。
「……た、孝典さん?」
「君が出てこないのなら、私が入るしかないだろう」
「う……」
言いながら、ブランケットの中で御堂は克哉にぴったりと身を寄せた。
傍から見たらさぞかし滑稽な姿だろうとは思うが、いざ同じようにやってみると意外なほどに安心感があった。
息苦しいほどの暗闇の中、互いの声と吐息、体温だけが全てになる。
克哉はいつもこんな風にして自分の心と向き合ってきたのだろうか。
隣りを見ると克哉は抱えた膝の上に顎を乗せて、ますます身体を縮こまらせているようだった。
少しのあいだ沈黙が流れ、やがて克哉がぽつりと言葉を漏らす。
「本当にオレってダメですね……」
幾度も聞き覚えのあるその自虐的な呟きを、御堂はばっさりと切って捨てた。
「そう思っているのは君だけだ」
「でも、常務を怒らせてしまったと思います……」
「だとしたら、理不尽な話だな」
「……少なくとも、場を悪くしたのはオレの責任です」
「常務を引っ張り出さなければ勝てないとSCMに思わせるほど、前回の君のプレゼンが完璧だったということだ」
「そんなこと……」
全ての愚痴を否定されて、克哉はようやく口を閉じた。
けれど御堂は嘘も間違いも言っていないと思っている。
恋人としての欲目を取り払ったとしても克哉に非が無いことは明らかだったし、それどころか痛快ですらあったのだから。
それに今回の件に関しては、何か他に理由があるはずだ。
(明日から少々探りを入れてみるか……)
恐らくはくだらない理由だろうが、それさえ分かれば対処のしようもある。
そんなことよりも御堂は克哉に一言文句を言ってやらなければ気が済まなかった。
「……それよりも私は今の君の態度のほうが余程問題があると思うが」
「えっ?」
「私という者がありながら、何故こんな布切れなどに頼る? 理解しがたい」
「え、あ、あの」
ブランケット症候群などという言葉もあるぐらいだから、こういったものが人の心に安心やリラックスを齎す効果があるということは分かる。
しかし、いつにも増して弱っている克哉が自分以外のものに助けを求めたことが気に入らない。
それが人ではなく、無機物であってもだ。
こんな暗い部屋で、ひとりぼっちで毛布を被って。
心底落ち込んでいる克哉には悪いが、御堂にとってはそのことのほうがずっと重要だった。
「君は私に抱かれるよりも、こんなものに包まるほうが安心するとでも言うのか? これが君を慰めてくれるとでも?」
「ち、違います! その、これは、昔からの癖で」
「昔とはいつのことだ。私と出会う前のことではないのか? 今は私がいるのだから、私の腕の中で思う存分落ち込めばいい。それでは不満か?」
「不満なんて、そんな……! そんなこと、ないです!」
「だったら、何故私が帰ってきても部屋から出てこなかったのだ? 私が部屋に入ろうとしたときも、君は私を拒絶した」
「それは……! それは、その……」
克哉は御堂の腕にぎゅっとしがみつくと、絞り出すような声で呟く。
「……すみません……こんなみっともないところ、見せたくなかったから……」
そして顔を隠すように、腕に額を押し付けてきた。
―――あなたに嫌われたくない。
触れ合った場所の温度から、克哉の声にならない想いが伝わってくる。
嫌うはずなんてないのに、不安に思う必要なんてないのに、彼はいつもそう言うのだ。
それが酷くもどかしくて、そしてとても愛しい。
「……だからといって、こんなところに隠れているとはな。まるで穴倉のネズミにでもなったような気分だ」
「孝典さん……」
ことりと頭を傾けて頬で髪に触れてやると、克哉の声に落ち着きが戻る。
そして今度は縋るのではなく、甘えるように顔を押し付けてきた。
きっと、もう大丈夫だろう。
克哉は随分と長くここに潜り込んでいたのか、髪は僅かに汗ばんでいた。
「では、そろそろかくれんぼは終わりにしよう。こんなに暗くてはキスも出来ないからな」
「あ、あの……」
「ん?」
克哉は御堂の手を取ると、その指先を何処かに運ぶ。
それは何か柔らかなものに触れ、ゆっくりと形をなぞっていった。
「ここ……です……」
克哉の唇。
示された愛おしい要求に御堂はふっと笑い、緩く開いたそこにくちづける。
さっきまで溜息で満ちていたブランケットの中には、いつしか甘い吐息が広がっていった。

- end -
2012.06.30



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