Classical

世界で一番幸せな

なにも予定の決まっていない休日は、いつもより少しだけ起きるのが遅くなる。
それはたいてい前日の夜にはしゃぎすぎる所為と、目を覚ましたあともなかなかベッドから出られないでいるのが原因だ。
カーテンの隙間から射し込む光に朝の訪れを知りながらも、夢うつつのままに気怠い身体をすり寄せ合ったり、唇や指先を啄みあったりしているうちにあっという間に時間は過ぎてしまう。
そんな無為とも無駄ともいえるようなひとときこそが、なによりも幸せだったりするのだ。
だからその日の朝、目覚めたとき既にシーツの半分のスペースが冷たくなっていることに気付いた御堂は、もしや今日が休みであるというのは勘違いだったかと一瞬ひやりとしてしまったほどだった。
しかしベッドサイドの時計は確かに今日が休日であることを示していたし、時刻も休みの日の朝にしては早いぐらいだった。
御堂は何処となく違和感を覚えながらベッドを下りる。
寝室からリビングへと続く廊下に出ると、ふわりと食欲をそそる匂いが漂ってきた。
どうやら今朝は和食らしい。
休日の朝からわざわざ味噌汁など作らなくても……と思いつつ、この甲斐甲斐しい恋人を今すぐ世界中に自慢したいような気持ちになって、御堂は無意識に頬を緩ませながらドアを開けた。
「おはよう」
キッチンに向かって声を掛けると、エプロン姿で菜箸を手にしていた克哉がぱっと顔を上げる。
目が合った途端、嬉しそうに笑みを浮かべたその表情にどうしようもない愛しさが込み上げた。
ベッドに一人取り残されたことへの恨み言さえ、あっという間に消え失せてしまう。
「あっ、おはようございます、孝典さん。ちょうど今、起こしにいこうかなと思ってたんですよ」
「そうか」
それでもおはようのキスがあまり深いものにならないうちに唇を離したのは、まだ鍋が火にかけられたままだったからだ。
ダイニングテーブルの上には卵焼きにほうれん草のおひたし、焼き鮭と、和朝食の王道ともいえるメニューが並んでいる。
いつもならブランチとしてトーストとサラダ、フルーツ辺りで済ませるはずなのにいったいどうしたというのだろう。
「……今日は何か予定があったか?」
「いいえ? どうしてですか?」
「いや、休みにしては君が早起きだし、朝が和食というのも珍しいと思ったんだが……」
「……すみません。朝からこのメニューじゃ重いですか?」
御堂は疑問をそのまま口に出しただけだったのだが、克哉は表情を曇らせる。
言外に拒まれているのかと不安になったらしい。
ある意味、克哉らしい解釈ではあったが、それは誤解だった。
「ああ、そういうわけじゃない。ただ、いつもの休日とは違っていたから何か理由があるのかと思っただけだ」
「そうですか? すみません、特に理由はないんです。ただ、なんとなくオレが食べたくなっただけで……。でもいつもどおりパンが良ければ、焼きますよ」
「いや、それならいいんだ。ありがたく頂くとしよう」
「はい! じゃあご飯とかよそっておきますから、着替えてきてくださいね」
「分かった」
ようやく笑顔に戻った克哉ともう一度キスをしてから、御堂は着替えの為にキッチンを後にする。
いそいそと動き回る克哉を微笑ましく横目に見ながらも、さきほど抱いた違和感はまだ心の片隅に残り続けていた。

やがて時間が経つにつれ、御堂はその違和感がやはり気の所為ではないと確信することとなった。
食事の後片付けはたいてい二人で一緒にやるはずが、今日の克哉はそれを頑なに拒んだ。
それならばと洗濯物を干す手伝いをしようとしても、やはり拒否されてしまう。
確かに普段からほぼ家事をする気がない御堂に対して、克哉は手が空けば何かしら進んでやろうとする。
お互い仕事をしているのだし、ハウスキーパーもいるのだからそんなことはしなくていいと幾ら御堂が言っても聞かなかった。
一人暮らしをしているときから、家事を苦に思ったことはない。
洗濯も料理も好きだからさせてほしい、そのほうが嬉しい。
そこまで言われてしまえば、御堂とて無理に止める理由は無かった。
それどころか最近では御堂のほうこそ克哉を手伝って料理をするのが楽しいとさえ感じるようになってきたのだ。
もちろんそれが本当に手伝いになっているのかは怪しかったが、少なくともキッチンに二人で立つ時間を克哉も楽しんでくれてはいるはずだった。
しかし今日は克哉の家事が終わるのを見計らってコーヒーを淹れようとしているところさえ止められて、その役目までも克哉に奪われてしまったのだった。
(いったい、何があった……?)
克哉は御堂に対して嘘を吐くのがとても下手だ。
なんでもない、何もないと言いつつ、実際はあれこれ考えた末に出された結論がこの行動であることは容易く想像がつく。
問題はそれが克哉の自虐的思考によって導き出された、思い込みからくる場合がほとんどであるということだった。
現状、判明しているのは唯一つ、今日の克哉は御堂に何もさせたくないらしいということ。
さて、今回はいったいどんな思考からそんな結論を出したのだろうか。
その考えに至った、きっかけは?
自分が彼にそうさせるようなことを言ってしまったのか?
おかしな態度を取ったのか?
克哉の思い込みはいつも突然で突拍子も無いから、長く付き合ってきて彼の性格はだいたい把握しているつもりの御堂でも予想をつけるのはなかなかに難しい。
しかしいつからか、そうやって頭を悩ませること自体を楽しむようになってきた気もする。
克哉の思いも寄らぬ行動や発想は、決して御堂を飽きさせない。
しかもそれらは全て、いつだって、御堂を大切に想うがゆえのものなのだから。
(それにしても、どうしたものか……)
今までの経験からいって、とにかく克哉の気が済むまではある程度はやらせておいたほうがいい。
しかしこれ以上極端なことをしようとするならば、そのときはきっちり話をするべきだろう。
まったくもっていったいどうしてこんなことをしようと考えたのか、つくづく一筋縄ではいかない恋人なのだ。
そんな克哉を愛しく思いながらも、御堂はソファで新聞を読むふりをしながら視界の端で克哉の姿を追っていた。







気づいたときには部屋の中はしんと静まり返っていた。
猛烈な暑さもようやく去って、清々しい秋晴れに恵まれた休日の午後。
その心地良さに、どうやら不覚にもうたた寝をしてしまったらしい。
手にしていたはずの新聞はきちんと畳んで目の前のローテーブルの上に置いてあり、身体には寝室から持ってきたらしいブランケットが掛けてあった。
「克哉……?」
ほとんど無意識に名を呼んでみたが、当然返事はない。
ただ新聞の横にメモが一枚、置いてあるだけだった。

―――買い物に行ってきます。すぐに戻ります。

「……」
読んだ途端、御堂は眉間に深く皺を寄せた。
そうしてしばらくメモを睨みつけ、それから部屋の時計を見る。
眠ってしまったとはいっても、一時間も経ってはいないはず。
いつも利用しているスーパーは徒歩でも行けない距離ではないが、まとめ買いをするせいで荷物が多くなるから御堂の車で行くことがほとんどなのだ。
それなのに、今日に限って御堂が眠っている隙を狙ったかのように一人で出掛けてしまうなんて。
いくら御堂に何もさせたくないとはいえ、眠ってしまった御堂の自業自得とはいえ、さすがにやりすぎではないだろうか。
今日は朝から、ずっとそうだ。
一人で先に起きて、一人で食事の用意をして、一人で片づけて、一人で洗濯をして、一人で買い物に行って……。
克哉なりにいろいろと考えてのことなのだろうとは思うけれど、それでもせっかくの休日をこんな風に別々に過ごしたくはなかった。
ついさきほどまでは克哉の気持ちを慮る余裕もあったのに、それがすうっと消えていくのが分かる。
やがて御堂が完全に不貞腐れてしまった頃、ようやく玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
御堂は手にしたままだったメモを握り潰し、リビングを出る。
「……おかえり、克哉」
「あっ……」
出迎えられて、克哉は少しばかり驚いたようだった。
御堂がまだ眠っていると思っていたからなのか、それとも御堂が酷く不機嫌なことを隠さなかったからなのか、克哉はばつが悪そうに目を逸らす。
「あ、あの、ただいま帰りました……」
「……何故、一人で行った?」
「ごめんなさい。孝典さん、気持ち良さそうに眠っていたので……」
「今、行かなければ駄目だったのか?」
「そういわけじゃなかったんですけど……。その、今日はたいして買うものがあったわけじゃないので、オレ一人でも大丈夫かなと思って」
「……」
そう言うわりに、克哉はスーパーの大きな袋を三つも下げている。
靴を脱ぐためにそれらを床の上に置くと、よほど重かったのか真っ赤になった指先が見えた。
これ以上話していたら、もっと責めてしまいそうだ。
御堂はその袋を全て取り上げ、足早にキッチンへと向かう。
「あっ、孝典さん……!」
慌てて追いかけてくる克哉を無視して、御堂は荷物をキッチンのカウンターにどんと置いた。
それからひとつずつ中身を取り出しては、食材を冷蔵庫へとしまいはじめる。
「あ、あの、孝典さん、オレがやりますから」
「……」
「孝典さん……」
さすがの克哉も手を出そうにも出せずに、ただ傍でオロオロしている。
そうだ、もっと困ればいい。
私を怒らせたことを知って、自分のしたことを後悔すればいい。
袋から出したものを腹立たしさに任せて片っ端から冷蔵庫に突っ込んでいると、不意に克哉が声を上げた。
「あっ、それはそこじゃ……!」
「……!」
ぴたりと御堂の動きが止まる。
克哉はしまったとばかりに口を噤む。
どうやらこれはしまう場所が違うらしい。
今、言うべきことがそれか?
大切なのはそこなのか?
違う、そうじゃない。
喧嘩がしたかったわけではない。
怒りたかったわけでもない。
沈黙の中で僅かに冷静さを取り戻して、御堂はそっと深呼吸する。
そして持っていた鶏肉のパックを克哉に差し出した。
「……分かった。ここは君に任せるから、終わったら話をしよう」
「はい……」
克哉は項垂れたまま、それを受け取った。

程なくして克哉がリビングのソファに座っている御堂の元へとやってきた。
これから叱られることを覚悟した子供のようにしょげている。
そんな克哉を見るとなんだか妙に可愛らしくてつい笑ってしまいそうになるが、それをなんとか堪えて御堂は自分の隣りを指し示した。
「ここに座りなさい」
「はい……」
いつもならば腕が触れ合うぐらい傍に座るくせに、克哉は不自然に御堂との距離を開けて腰を下ろす。
それが気に入らない御堂がすかさず距離を詰めて座り直すと、克哉は怯えたようにびくりと肩を揺らした。
そこまで萎縮されると、さすがに悲しくなってくる。
「……そんなに怯えるな。君と喧嘩をしたいわけじゃない」
「は、はい……」
本当に?と伺うように上目遣いの視線を向ける克哉は、やはり可愛らしい。
とうとう御堂は顰め面を崩して微笑んでしまった。
「まったく、君は……」
克哉もつられたように、えへへと力無く笑う。
ようやく空気が和らいだところで、御堂は溜息交じりに切り出した。
「それで? いったい、今日はどういうつもりでこんな行動に出ているんだ?」
「どういうつもりって……あの、オレはとくに何も……」
「まさか、これでいつも通りにしているとは言わないだろうな? いくらなんでも、そんな誤魔化しは通用しないぞ?」
「えっと……」
ここまできてまだ惚けられるとでも思っているのだろうか。
御堂の声にまたしても苛立ちの色が滲んでくる。
「克哉。君がいつも私の為を思ってくれていることは分かっている。だが何から何まで拒否されて、挙句置き去りにされるのではたまらない。それでは逆効果ではないのか?」
「す、すみません、そうですよね……」
「だから、何故こんなことをしようとしたのか説明してくれ。何か理由があるんだろう?」
「……でも、たいしたことじゃないんです。これは本当に、オレの勝手な気持ちで……」
「たいしたことじゃなくてもいい。それでもきちんと説明されなければ納得出来ない。せっかくの休日を険悪なまま過ごすのは御免だ」
「……」
そこでようやく克哉は観念したらしかった。
俯いたまま、ぽつりぽつりと話し出す。
「……孝典さん、疲れているようだったので」
「私が?」
「はい」
それは予想もしなかった答えだった。
御堂自身にはほとんどその自覚はなかったが、克哉にはそう見えたということなのだろうか。
首を傾げている御堂に、克哉は続ける。
「昨日、帰ってきたときに孝典さんが溜息をついていたんです。それを見て、ハッとしました。 ただでさえ仕事が大変なのに、最近ではオレのことでたくさん迷惑を掛けてしまいましたよね。 オレはいつも孝典さんに助けてもらって、支えてもらっていますけど、でも同じようにオレも孝典さんを支えられているのかなと思ったら、なんだか自信が無くなってしまって……。 もちろん孝典さんがオレを好きでいてくれていることも、必要としてくれていることも分かっています。 でも、それとこれとはまた別というか……」
「克哉……」
確かにここのところ二人の間にもいろいろあった。
けれどそれを迷惑だと思ったことはなかったし、大変だったのはむしろ克哉のほうではなかったのか。
まして生涯を共にしあうと誓った仲なのなら、相手が辛いときに支え合うのは当然だ。
勿論、もしも気づかぬうちに疲労を感じていたとして、そんな些細な変化を克哉が悟ってくれたことは純粋に嬉しいと思う。
しかし何気なく吐いた溜息に、自分の所為だと罪悪感を抱いてしまったのは、きっと克哉自身が御堂に対して少なからず負い目を持っていたからなのだろう。
そんな負い目など感じる必要はないのに。
「……あなたに相応しくあるために頑張ろう、努力しようって思ってきました。でも、それって結局は自分のことばかりなんですよね。 オレは孝典さんの為に何が出来るんだろうって考えてみたら、孝典さんはオレなんかよりずっとずっと凄い人だから、オレに出来ることなんて何も思いつかなくて……。 だったら、せめて今日は一日ゆっくり休んでほしいって思ったんです。それしか出来ないなんて情けないですけど……」
「……君は本当に馬鹿だな」
思わず漏らした御堂の言葉に、克哉は泣きそうな顔で笑う。
「……はい。バカなんです、本当に」
「そうじゃない」
克哉の自分自身への過小評価は今に始まったことではない。
その謙虚さも優しさも、心から愛しいと思う。
ただ彼は未だ自分が御堂にとってどれほどの存在であるのかということが、いまいち分かっていないようだった。
そのことに関しては自分にも責任があるのだと、御堂は分かっていた。
克哉が何事に対してもなかなか自信が持てない性格であるように、御堂もまた己の性格の中でなかなか変えられない部分がある。
それがしばしば克哉を不安にさせるのだろう。
だとしたら、出来ることはひとつだ。
御堂は少し考えてから、腹を決めた。
「もちろん君も私を支えてくれている。しかしきっと私がどれだけ言葉を尽くしても、君はそうやって不安になるのだろうな。それが君の性格なのだから仕方がない」
「はい……」
「だが私としてもいつまでも君にそれを理解してもらえないのは、非常に不本意で不愉快だ。だから、これから君に私のとっておきの秘密を打ち明けようと思う」
「とっておきの秘密……ですか?」
「そうだ」
秘密、という言葉の響きに、克哉の瞳がほんの僅かに輝いたのを御堂は見逃さなかった。
本当ならばずっと隠しておきたかったことだけれど、この際仕方あるまい。
御堂はポケットからスマートフォンを取り出して画面を操作すると、目当てのものを探し出した。
「これを見たまえ」
「……?」
克哉が不思議そうに画面を覗き込む。
そしてそれがなんであるか分かった瞬間、耳まで真っ赤になって声を上げた。
「なっ……! ちょ、孝典さん……これ、えっ? ええっ?」
「なんだか分かったか?」
御堂も顔を並べて満足げに画面を見つめる。
そこには克哉がいたく幸せそうな表情で眠っている写真が映し出されていた。
「君の寝顔だ。幸せそうだろう?」
「いやっ、あの、いつ撮ったんですか?! いつの間にこんな……!」
わたわたと騒ぎ立てる克哉に、御堂はにやりと笑ってみせる。
「君を寝かしつけているのは私だぞ? シャッターチャンスなどいくらでもある」
「それは、そうですけど……」
写真の中の克哉は目を閉じて確かに眠っている様子だが、口角が僅かに上がり微笑んでいるようにも見えた。
その穏やかで幸せそうな表情に、よほど楽しい夢でも見ているのかとこちらまで微笑んでしまいそうになる。
御堂の腕の中で、御堂にだけ見せる克哉の寝顔。
それを「とっておきの秘密」として見せられてしまった克哉は、恥ずかしそうに俯く。
「そ、そんなの撮らなくても、毎晩いくらでも本物を見られるじゃないですか……」
「そういう問題じゃない」
克哉の指摘を御堂はばっさりと切り捨てた。
御堂にとってこの写真は、まさしく心の支えなっていたからだ。
「……どうしても君に会いたくなって、一秒たりとも待てないときがある。今すぐに君の顔を見たいというときがある。 そんなときに、この写真を見ることにしている。この君の顔を見るだけで、私は満たされるんだ。まぁ……私にとって、一種のお守りのようなものだな」
「お守り……」
克哉は御堂を凄い人だと言うが、御堂とて何もかもがうまくいくことばかりではない。
会議や接待の場で不愉快なことを言われることもあれば、あからさまな世辞や過度な賞賛に辟易させられることもある。
味方のふりをしたような敵も多い。
だから御堂は決して弱みを見せないようにしている。
いや、見せないようにするあまり、いつしか見せられなくなっていたのかもしれない。
御堂にしてみれば克哉には随分と己の弱さを曝け出してしまっているような気がするが、それでもきっと人と比べればほんの僅かなのだろう。
そのことで克哉に「自分は御堂から頼られるに値しない人間なのかもしれない」という不安をときどき抱かせていることは知っている。
しかし迂闊に隙を見せないよう常に気を張って、格好つけて、そうやってずっと生きてきた己の性格は今更変えようがなかった。
それでも、心が疲れ果てるときはある。
愚痴を言って、弱音を吐いて、八つ当たりをしてしまいたくなるときもある。
そんなときに、この写真を見るのだ。
この写真を見ると、克哉の優しいぬくもりをすぐに思い出すことが出来る。
無償の愛情と無条件の信頼を寄せて、ただ傍にいてくれる克哉の存在を感じることが出来る。
それだけで心の中に広がりかけていた暗雲は晴れ、明るい光が満ちていくのだ。
佐伯克哉という恋人を得た自分は、世界で一番幸せなのだと信じられるのだ。
「私にもただ強くいられないときはある。 けれど君にこれほど幸せそうな顔をさせられるのは私だけだし、君がこれほど幸せそうな顔を見せる相手も私だけだと思えば、私は自信を取り戻すことが出来るんだ。 それでも君は私の支えになれていないというのか?」
「……」
克哉は自分の愚かさを恥じるように唇を噛みながら、首を左右に振った。
その返事に御堂は微笑んで、克哉の肩を抱き寄せる。
「本当はこれだけは秘密にしておこうと思っいてたんだがな。私とて恥ずかしいことをしている自覚はある」
「で、でも……会社でも家でも一緒なんですから、やっぱりわざわざ写真を見なくても……」
「では、君は会社でも私からひとときも離れずにいてくれるというのか? そしてオフィスで君の顔を眺めながら、皆の前で私に鼻の下を伸ばせと?」
「それは……」
言われて想像してしまったのか、克哉はクスクスと笑いだす。
実際、克哉の顔が見たくて堪らなくなるときというのは、すぐにそれが出来ない状況にあるからこそなのだ。
加えてこれが寝顔であるという点も、御堂にとっては重要だったりする。
そこまで説明してしまうと人一倍恥ずかしがりやの恋人に「消してくれ」と言われてしまいそうだから、内緒にしておくけれど。
「そういうことだから、あまり馬鹿なことは考えないでくれ。一人きりで休ませてもらえるよりも、君と一緒に何かしているほうが余程癒される」
「孝典さん……。ごめんなさい。ありがとうございます」
ようやく胸のつかえが取れたのか、克哉は安堵の表情を浮かべながら御堂にもたれかかる。
御堂も同じく胸を撫で下ろしたとき、克哉がごそごそと身じろぎを始めた。
「……あ、あの、実はオレも……」
「ん?」
肩を抱かれたまま、克哉はズボンの後ろポケットから自分のスマートフォンを取り出した。
そしてさっきの御堂と同じように画面を見せてくる。
「……っ」
まさかと覗き込んでみれば、やはりそこには御堂の寝顔が映し出されていた。
さぞかし無表情で眠っているのだろうと思いきや、意外と穏やかな顔をしていることに我ながら戸惑う。
絶句している御堂に、今度は克哉が笑ってみせる番だった。
「……オレのとっておきの秘密です」
「くっ……」
してやられたとはこのことか。
まさかこういう展開になるとは思わなかった。
二人は顔を見合わせて、とうとう我慢出来なくなったように吹き出した。
「まったく、私たちは何をやっているのか……」
「本当ですね。こんなことしてるの、絶対オレのほうだけだと思ってました」
「似た者同士ということか」
「恐れ多いです」
おどけたように克哉が言って、またひとしきり笑う。
それから御堂は克哉を抱き締め、二人は唇を重ねた。
ああ、幸せだ。
こんな気持ちを味わえる日が来るなんて思ってもみなかった。
金も地位もあった。
何もかもを手に入れて、すっかり満足しているつもりになっていた。
けれど、違ったのだ。
あの頃の自分の人生に何が足りなかったのか、それが今なら分かる。
やがて唇が離れると、不意に克哉が真顔になって言った。
「ところで孝典さん……。他にも内緒でオレの写真が撮ってあったりはしませんよね……?」
「……」
さて、この質問に正直に答えてやるべきか否か。
心底不安そうな表情の克哉につい意地悪をしたくなりながら、御堂はやはり自分は世界一の幸せ者なのだと思った。

- end -
2014.09.19



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