The dog doesn't eat it
乗り込んだタクシーがようやく走り出すと、克哉は硬いシートに背中を預けて、ほっとした様子で呟いた。
「なんだか、大変でしたね」
「……そうだな」
御堂は無愛想に、それだけを答える。
そのまま克哉から顔を背けるようにして、窓の外へと視線を送った。
深夜に近い大通りを走っているのはタクシーばかりだ。
きっとこの車と同じように、酒臭いサラリーマン達を乗せているのだろう。
「……それにしても、まさか安藤さんがあんなに飲める方だとは思わなかったです」
決して機嫌がいいとは言えない御堂に対して、話し出した克哉の声は心なしか弾んでいるようにも聞こえた。
「いくら体育会系だとはいえ、オレの知り合いの中でも、あそこまで飲む人はそういないですよ。
本多といい勝負じゃないかなぁ。いや、本多でも驚くかも……。ああいう人って、付き合わされるほうが大変なんですよね。
オレも久し振りに飲み過ぎちゃったような気がします」
「……」
御堂が黙ったままでいるにも関わらず、克哉は話し続ける。
正直なところ、御堂は酷く苛立っていた。
今夜は先達て取り引きを開始したばかりの、JMコーポレーションからの接待だった。
先方の担当者としてやって来たのは安藤と畠山という男で、二人とも三十代前半ぐらいの、体格のいい人物だった。
見た目に違わず感じのいい彼らと、始めは和やかに進んでいた酒の席だったのだが、途中からそれは急変してしまった。
話をしているうちに、安藤も学生時代、バレーボールをやっていたことが分かったからだ。
そこからはもう完全に、克哉と安藤、二人の世界だった。
積極的に話したがっていたのは安藤のほうだったが、御堂には分からない単語が飛び交う中、克哉もまた楽しそうにそれに答えていた。
残る畠山も学生時代に柔道をやっていたとのことで、体育会系のノリには慣れているらしく、
接待であったはずの場は、まるで単なる飲み会のようになってしまったのだった。
今後、先方と直接やり取りをする機会が多いからと、克哉を連れて行ったのがそもそもの間違いだったのかもしれない。
堪えきれない苛立ちに、御堂の爪先は忙しなく床を叩いていたが、克哉がそれに気づかなかったのは、やはり飲み過ぎていた所為なのだろう。
「でも、これで仕事もしやすくなりそうです。お二人とも良さそうな方で……」
「最低だったな」
とうとう御堂が吐き捨てるように言うと、ぴたりと克哉の口が閉じる。
まったく、いつまで喋り続けるつもりなのか。
御堂は相変わらず窓の外を見たまま、冷たく言い放った。
「接待をする側が、あんなにガバガバと酒を飲むなど聞いたことがない。
これも仕事の内だということを、すっかり忘れているようだったな。あんな酷い接待を受けたのは、初めてだ」
「それは……オレも、悪かったんだと思います。バレーの話になったものですから、つい……」
「だろうな。君も君だ」
「すみません……でした……」
さっきまでの上機嫌から一転して、克哉はしょんぼりと項垂れる。
克哉が彼らを庇ったのは気に入らなかったが、それでもそこで終わってさえいれば、御堂もそれ以上文句を言う気はなかったのだ。
しかしその後に続いた克哉の一言が、消えようとしていた火に油を注いでしまった。
「ああいうノリの酒って、久し振りだったので……。なんだか懐かしくて、楽しくなってしまって」
「……!」
御堂の頭に、かっと血が上る。
怒りで、顔が熱くなるのが分かった。
ちょうどそのとき、タクシーがマンションの前に辿り着いたことで、辛うじてその場は怒りを抑える。
御堂は支払いを済ませると、先に降りていた克哉を無視するかのように、足早に自分の部屋へと向かっていった。
「……君はいつも、私と飲む酒はつまらないと思っていたんだな」
部屋に入るなり、御堂は低い声で言った。
克哉は何のことか分からないらしく、ぽかんとしている。
「あの、それは、どういう……」
「君が言ったんだろう。ああいうノリの酒が、懐かしくて、楽しかったと」
「そ、それは、別に……」
「悪かったな、つまらない酒ばかり飲ませて」
御堂はカバンを、それからスーツの上着、ネクタイを、次々とソファに放り投げる。
そんな御堂の後ろで、克哉はおろおろとしながら言い訳を始めた。
「そういう意味で言ったわけじゃありません。オレは、ただ」
「私には、そういう意味としか聞こえなかったがな。もう、あのワインバーにも連れて行かないから安心したまえ」
「孝典さん! どうして、そうなるんですか!」
克哉に腕に縋りつかれても、御堂の怒りは治まらなかった。
掴まれた手を乱暴に振り払い、ワイシャツのボタンを外していく。
それでも克哉は諦めず、尚も食い下がってきた。
「オレはただ、体育会系のノリが懐かしかったって言っただけです。
孝典さんと飲むお酒がつまらないだなんて、一言も言っていません!」
「同じことだろう。これからは君の大好きな、体育会系の人間とだけ酒を飲めばいい。私にはあのノリは理解出来ないが、君は大層楽しそうだったからな」
「そんな……」
「いいじゃないか。もう、無理して私に付き合うことはないんだ。その方が君も、嬉しいだろう?」
「……」
克哉が悔しそうに唇を噛む。
御堂も自分が言い過ぎていることは分かっていたが、どうにも止めることが出来なかった。
少し、頭を冷やしたほうがいいのかもしれない。
そのままバスルームへ向かおうとした御堂の背中に、克哉の震える声が突き刺さった。
「……孝典さんこそ、オレと飲む酒はつまらないと思っていたんじゃないんですか?」
「……なんだと?」
思わぬ反撃に、御堂は顔を引き攣らせながら振り返る。
克哉はまっすぐに顔を上げ、きつく御堂を睨みつけていた。
「オレはワインにも詳しくないし、田之倉さん達みたいに気の利いた会話も出来ません。
孝典さんこそ、オレと酒を飲んでもつまらないと思っていたんでしょう? だから、そんなことを言うんじゃないんですか?!」
「くだらないことを言うな! どうして、そんな」
「くだらないことを先に言ったのは、孝典さんのほうじゃないですか!」
「君は……!」
怒りの余り、身体までもが震えてくる。
しばらく無言で睨み合った後、御堂はふいと克哉から視線を逸らして言った。
「……それならいっそ私と別れて、体育会系の人間と付き合えばいい。そうすれば酒を飲まずとも、君は楽しく過ごせるだろうからな」
「……!」
克哉の顔色が、さっと青ざめる。
そして次の瞬間、克哉はソファに置いてあったクッションを素早く掴むと、勢いよく御堂に向かって投げつけた。
「……ッ!!」
クッションが、御堂の顔面に見事命中する。
「孝典さんの、バカ!!!」
「待て……!」
克哉は大声で怒鳴ると、御堂の呼びとめる声も聞かずに、大股でリビングを出て行ってしまう。
御堂はそんな克哉を追いかけることも出来ず、克哉が消えていったドアをただ呆然と見つめていた。
本当は、御堂だって分かっている。
これは、ただの嫉妬だ。
確かに接待としては誉められたものではなかったが、苛立ちの本当の原因はそこにあったわけではない。
克哉が、自分には分からない話ばかりしていたからだ。
それも会ったばかりの男と、酷く楽しそうに。
御堂は常に、克哉の全てが欲しいと思っていた。
彼の心も、身体も、時間も、何もかも全てだ。
そんなことが出来るはずもないと分かっていても、自分の知らない克哉がいることが許せない。
だから、腹が立った。
どうしても我慢出来なかった。
「……」
ソファに腰掛けた御堂は、長い溜息をつきながら頭を抱えていた。
それでも、どんなに腹が立ったからといって、言っていいことと悪いことがあることぐらい知っている。
さっきの言葉は、絶対に言ってはならないことだった。
もちろん、本気で言ったわけではない。
珍しく克哉が強い態度で言い返してきたものだから、こちらも売り言葉に買い言葉のようになってしまったのだ。
「まったく……」
克哉のこととなると、つい熱くなってしまう自分が情けない。
子供染みた嫉妬や苛立ちに振り回されて、冷静な判断が出来なくなってしまう。
そして最後には結局、彼を傷つけてしまう。
本当はそんなこと、したくないのに。
「仕方ないな……」
どう考えても、今回ばかりは自分のほうが悪い。
克哉に全く非が無いとは言い切りたくないが、さっきの言葉だけでも謝罪しておくべきだろう。
御堂は乱れた前髪をかきあげながらソファを立つと、克哉を探しに行くことにした。
寝室のドアを開けようとすると、中から鍵が掛けられていた。
どうやら克哉は、ここに閉じこもっているらしい。
御堂は硬く閉ざされたドアを、何度か叩いてみた。
「……克哉」
耳を澄ませても、中からの返事はない。
御堂はもう一度ドアを叩いて、呼びかける。
「克哉、開けてくれ。克哉」
けれどやはり、返事は無かった。
どうやら相当、怒らせてしまったようだ。
仕方なく御堂はドアに寄り掛かると、そのまま中にいるであろう克哉に向かって話しかけた。
「……私が悪かった。言ってはならないことを言ってしまった」
私と、別れればいい。
そんなこと微塵も思っていないくせに、絶対に彼を手離す気など無いくせに、言ってしまった言葉。
今では御堂も、それを激しく後悔していた。
「私は、あの男に嫉妬していた。私には分からない話を、君があいつと楽しそうにしているのが気に入らなかった。
それでつい、心にも無いことを言ってしまった。悪かったと、思っている」
正直に打ち明けると、しばらくして背中で鍵の回る音がした。
御堂がドアから離れると、そこが細く開き、隙間から克哉の顔がほんの僅かに覗く。
「……本当に、悪かったと思ってるんですか?」
「ああ、もちろん。本当に、悪かった」
「……」
ようやく、ドアが大きく開く。
克哉はまだ怒っているような、けれど今にも泣き出しそうな顔で、恨めしげに御堂を睨みつけていた。
その顔が可愛らしいなどと言ったら、ますます怒らせてしまうだろうか。
そんなことを考えていると、突然克哉が飛びついてきて、御堂の肩の辺りを拳で強く叩いた。
「克哉……?!」
御堂は克哉の身体を受け止めながらも、その勢いで反対側の壁に背中をぶつける。
克哉はそのまま御堂の胸に顔を埋めて、震える声で呟いた。
「もう、あんなこと二度と……二度と、言わないでください…っ……!」
「克哉……」
震えているのは、声だけではなかった。
御堂は克哉の背中に手を回すと、その身体をきつく抱き締める。
「ああ。もう、二度と言わない。約束する」
「孝典さんっ……」
克哉は顔を上げ、ぶつけるように御堂にくちづけた。
激しく舌を絡め合い、呼吸さえ飲み込むようにして互いを求める。
克哉は、よほどショックだったのだろう。
それを振り払うかのように、執拗に御堂の唇を貪った。
長いくちづけを解いたときには、唇が痺れたようにすらなっていた。
「……本当に、悪かった。だが……少し嬉しかったなどと言ったら、君はまた怒るか?」
「嬉しかったって……何がですか?」
「君が、私にクッションを投げつけたことだ」
「あっ、あれは……!」
自分のしたことを思い出して顔を赤くする克哉に、御堂は喉の奥で笑う。
「今までの君なら、黙り込むか、静かに怒るだけだっただろうに、あんな風にストレートに怒りをぶつけられるとは思わなかった」
「す、すみません……つい……」
「だから、それが嬉しかったんだ」
御堂は克哉を、もう一度抱き締める。
「怒るなら、あんな風にはっきりと怒ってくれたほうがいい。ああいう君のほうが、私は好きだ」
「孝典さん……」
言いたいことがあるのに飲み込んでしまうより、いっそ豪快なまでに怒りをぶつけてくれたほうがいい。
やたらと内に篭られるよりも、そのほうが気が楽だし、自分もこうして素直に詫びることが出来る。
克哉との心の距離がまた少し近くなれたような気がして、御堂にはそれが嬉しかった。
(それに……)
考えてみれば、克哉は御堂の趣味に合わせようとして、一生懸命ワインについても勉強している。
それに対して、自分は克哉に近づこうとしていただろうか。
分からないのなら、聞けば良かったのだ。
克哉にバレーボールについて教わるのも悪くない。
そんな風に考える自分がなんだか可笑しくて、御堂は一人で笑った。
「……孝典さん? 何が可笑しいんですか?」
「いや……。ところで、仲直りの印に飲み直すのがいいか? それとも……」
「えっ……」
御堂の視線が、寝室の奥にあるベッドをちらりと見る。
それに気づいた克哉は顔を赤くしながら俯くと、黙って御堂のシャツの裾を引っ張った。
「……賛成だ」
言わずとも気持ちが伝わったことに、克哉が嬉しそうにはにかむ。
御堂は克哉の肩を抱くと、そのまま二人寝室に入り、ドアを閉めた。
- end -
2009.07.14
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