bloom
清々しい気分だった。
こうして平日の昼間に、のんびり御堂と並んで歩いているというだけで心が躍る。
時折隣りに目をやると、御堂もまたこちらを見てくれる。
交わる視線の中に深い愛情を感じて、どちらともなく微笑みあった。
「さて、これからどうする? とりあえず、食事にでも行くか?」
「そうですね……どうしましょうか」
まさか休みになるとは思っていなかったから、咄嗟には何も考えつかない。
けれどこんなにもいい天気なのだし、このままマンションに戻るのだけはもったいないような気がした。
「……言っておくが、あまりふらふらさせるつもりはないぞ。君は怪我をしているんだからな」
しかしそれはあっさりと見抜かれてしまったのか、御堂に先手を打たれる。
克哉つい、くすりと笑いを零した。
「孝典さんは、心配しすぎです」
「いいや。君には、それぐらいでちょうどいいんだ。君は自分のことを構わなすぎるからな」
「……そうですか?」
「そうだ」
あまりに強く断言されたので、克哉もそれ以上言うのはやめにした。
昨日、動揺と後悔に、身を震わせていた御堂の姿を思い出す。
御堂にあんな想いをさせてしまったことには心が痛んだけれど、
それほどまでに自分を心配してくれる存在があるということは、きっと幸せなことなのだろう。
だから克哉は御堂の優しさを、素直に受け入れることにした。
「……あ」
ふと思い立って、克哉は足を止める。
「どうした?」
「食事に行く前に、少し寄りたいところがあるんですけど、いいですか?」
「この近くか?」
「はい。ここから歩いて、すぐですから」
深い意味はなかったけれど、なんとなく気になった。
少しだけでいいから、覗いていきたい。
もう桜は散ってしまっただろう、あの場所を。
「分かった。じゃあ、行こう」
「ありがとうございます」
ちょうど目の前にあった歩道橋から、今まで歩いていた道の反対側へと渡る。
そしてまた歩道を歩き出そうとしたとき、不意に御堂が克哉の腕を引いた。
「孝典さん?」
少しよろめきながら、克哉は御堂の表情を伺う。
怒っているような、何かを不満に思っているような顔だ。
御堂は無言で克哉と場所を入れ替わると、克哉に前を向くよう、顎をしゃくった。
「……」
そして再び、歩き始める。
今のは、いったいなんだったのか。
御堂の行動の意味が理解出来ないまま、ちらりと横を盗み見た。
真っ直ぐに前を見て歩いている御堂の向こう側を、数台のタクシーやトラックが走り抜けていく。
(……もしかして)
そこで、ようやく気がついた。
真昼のビジネス街とはいえ、都心の大通りにはそれなりの交通量がある。
きっと御堂は、自分に車道側を歩かせまいとしたのだろう。
今回の一件が原因であることは分かるが、ここまでされるとさすがに照れ臭かった。
「……やっぱり、心配しすぎです」
「うるさい」
はにかみながら責めると、御堂は微かに目元を赤くする。
今ほど、御堂と手を繋いで歩きたいと思ったことはなかった。
その公園は、この前来たときよりも多少は賑わっていた。
入口に近いベンチでは、短い昼休みを楽しんでいるOLやサラリーマンの姿がある。
暖かな陽射しの中、克哉は御堂と並んで、公園の奥へと進んでいった。
「……やはり、桜はもう散ってしまったようだな」
「そうですね」
見上げると、網のように張り巡らされた枝には既に花弁はなく、青々とした葉が茂っているばかりだ。
それでも枝がしなるほどに咲いていた満開の桜を思い出して、克哉は木漏れ日に目を細めた。
「あそこ……座っていいですか?」
「ああ」
二人で、ベンチに腰掛ける。
あの日この場所で、あの男から再び眼鏡を受け取った。
あの時、やはり自分は彼を呼んでいたのだろうと思う。
御堂と過ごす穏やかな日々の中で少しずつ膨らんでいった、自分に対する不安や不満。
舞い散る無数の花びらを前にして、それらは暗い欲望となって形を成したのだ。
(でも……)
今もまだ、胸のポケットには眼鏡が入っている。
けれど、もう怖くはない。
隣りに、御堂がいるから。
誰よりも佐伯克哉を知っていて、そのうえで愛してくれる、御堂が―――。
「……今回のことで、考えたんだが」
「はい?」
のどかな空気に似つかわしくない、硬い声で御堂が話し出す。
どうしたのかと訝しく思いながら横顔を見ると、御堂は目の前の何もない空間をじっと見つめながら、真剣な表情で言った。
「いずれ、君と養子縁組が出来ればと思っている」
「……はい?」
突然の言葉に、克哉はきょとんとする。
発言の意図を理解しようとする前に、御堂はいつもより少し早口になって畳みかけた。
「今回の君は軽傷で済んだから良かったが、これから先、お互いに何が起きるか分からない。
それは、事故や病気以外にもだ。そういった時に、私達が家族関係でないというだけで煩わしい思いをするかもしれない。
だから……」
「養子縁組……ですか?」
「そうだ」
確かに、自分と御堂は法的には赤の他人だ。
海外には同性婚が認められているところや、それに近い制度が整備されている国もあるという。
しかし、日本でそれが可能になるのはまだまだ先のことに思えた。
たかが書類上のこととはいえ、その書類上の関係が無い為に、嫌な思いをしたり、不都合が出たりすることもきっとあるだろう。
今回だって、もしも克哉が手術や長期の入院が必要なほどの怪我を負っていたら、すぐに両親が呼ばれ、諸々の手続きをすることになっていたはずだ。
それらは必ずしも家族でなければならないというわけではないが、家族であったほうがスムーズに進められる。
両親が健在なうちはよくても、それもいつどうなるかは分からない。
御堂は今回のことをきっかけに、そこまで考えたらしい。
「……もちろん、今すぐにというわけじゃない。君と私だけで決められることではないし、
それこそ十年、二十年先を考えてのことだが」
「孝典さん……そんな先のことまで……?」
「……っ」
御堂が、微かに顔を赤くする。
要するに、いつか自分と家族になりたいと言われたのだ。
これでは、まるで。
「……なんだか、プロポーズされた気分です」
嬉しくて、照れ臭くて、俯きながら呟くと、御堂もまた歯切れの悪い口調で答える。
「……似たようなものだ」
「……」
心臓がドキドキと鳴っている。
顔が熱い。
また今日も、御堂のことを好きになった。
きっと明日は、もっと好きになるだろう。
「……ありがとうございます。すごく、嬉しい、です」
「……」
上擦る声で言うと、御堂がほっと息を吐いたのが分かった。
今すぐ、御堂に抱きつきたい。
抱き合って、唇を重ねたい。
このままここにいたら本当にそうしてしまいそうで、克哉は思いきってベンチから立ち上がった。
「あ、あの……! 喉渇いちゃったんで、何か買ってきますね!」
確かもう少し奥に行くと、自動販売機があったはずだ。
唐突な克哉の申し出に、御堂は驚いたように目を見開く。
「あ、ああ……そうだな。いや、それなら私が行ってこよう」
「いえ、大丈夫です! オレが行ってきますから、御堂さんはここで待っていてください」
「そうか」
「はい。すぐ、戻りますから」
克哉はくるりと背中を向けると、小走りにその場を離れる。
いかにもわざとらしい態度だったのは百も承知だったが、今は理性的な行動など取れそうになかった。
幸せで、幸せすぎて、じっとしていられない。
克哉はおぼろげな記憶を頼りに、自動販売機があるはずの場所へと向かっていった。
「確か、この辺にあったはず……」
周囲をきょろきょろと見回すと、少し先の樹々の隙間から目立つ赤色が覗いている。
ほっとしてそちらに向かって歩き始めたとき、ふと目の前を何かが横切った。
「え……?」
風に乗って、ひらりひらりと薄桃色の花びらが降ってくる。
顔を上げると、信じられない光景が視界に飛び込んできた。
「あぁ……」
思わず、溜息のような声が漏れる。
日当たりの関係なのか、その木の一部には、まだ満開の桜が携えられていた。
穏やかな風に吹かれるたび、ゆっくりと花びらが舞い降りる。
以前見た桜吹雪とは違う、散華のような優しさで。
(……ずっと嫌っていて、ごめんな)
その儚く、けれど潔い姿に、自然と心の中で呟いていた。
そして桜を見上げたまま、胸のポケットに触れる。
(お前も……ごめん)
自分の弱さを受け入れられず、ただ厭うことしか出来なかった。
認めまいとして、逃げることしか考えられなかった日々。
浅ましく、醜い欲望から目を背け、過去の傷さえ忘れてしまっていた。
欠けた記憶。
欠けた自分。
それをそのままにして生きていくことなど、出来るはずがなかったのに。
「ありがとう……な」
克哉は桜に、微笑んだ。
きっとこの桜は、待っていてくれたのだろうと思う。
あの記憶と、半身を取り戻した自分が、ここに訪れるときを。
「……克哉!」
御堂の声がして、克哉は振り返る。
心配性の恋人が、やはり心配そうな顔をしながら早足でやってくるところだった。
「なかなか戻らないから、どうしたのかと思ったぞ。いったい……」
「孝典さん」
「……?」
御堂は克哉の視線を追って、顔を上げる。
そうして頭上に桜を見つけると、さっきの克哉と同じように短い溜息を漏らした。
「ああ……まだ、咲いているのがあったんだな」
「はい」
まるで、奇跡のようだ。
まだ桜が咲いていたことも、もう一人の自分を知りえたことも―――御堂に、出会えたことも。
克哉はすぐ傍にある御堂の手に指を絡ませた。
一瞬、御堂が戸惑うようにこちらを見たことに気づいたけれど、構わず桜を見つめ続ける。
指先にはすぐに力がこもり、二人はしっかりと手を繋ぎあった。
「……良かったな」
「はい」
もう桜は、辛い過去の象徴なんかじゃない。
御堂と生きる未来を、祝福してくれた花だ。
繋いだ手を離さぬまま、二人はいつまでもその花を見上げていた。
- end -
2009.04.20
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