episode II.


梅雨もようやく終わる気配を見せ、ここ数日は真夏のように暑い日が続いている。
それでも太陽が沈み始めれば熱気はすんなりと引いていくし、吹く風にも涼しさが感じられるところを見ると、やはり夏本番とはまだまだ言い難いようだった。
「……あぁ、気持ちいいですね」
レイニャックの白が注がれたグラスを傾けながら、克哉は幸せこの上ないといった表情でうっとりと呟く。
今日の休日は夕方からバルコニーに小さな椅子とテーブルを出して、ミニビアガーデンを楽しんでいた。
二人で準備した夏野菜のマリネにグリルしたオイルサーディン、オリーブとトマトのブルスケッタなどをつまみに、お気に入りの酒を味わう。
七時を過ぎた頃になってようやく夜の帳が下りると、眼下には美しい夜景が広がった。
美味しいお酒と綺麗な景色。
すぐ傍には大好きな人がいて、他愛の無い会話と微笑みを交わしあうことが出来る。
こんなに幸せな時間が他にあるだろうか。
「寒くはないか?」
「はい、大丈夫です。孝典さんは?」
「私も平気だ」
時折吹く夜風は確かに少しひんやりとはしているけれど、アルコールで火照った頬を撫でてくれるのがかえって心地いいぐらいだ。
克哉はご機嫌で今夜何杯目かのグラスを空ける。
御堂も同じようにこの時間を楽しんでくれているのか、今日はお互いに酒の進みがだいぶ早かった。
酒に強い克哉は滅多に酔うことはないけれど、この幸福感とも相俟って身体は何処かふわふわと浮ついているような気がする。
しばらくすると生理的な欲求を覚えて、克哉はおもむろに席を立った。
「すみません、ちょっと」
御堂の後ろを通り抜けて部屋の中へ戻ろうとしたのだが、いきなり手首を掴まれてしまう。
克哉は首を傾げた。
「何処へ行く?」
「えっ……。あの、ちょっとトイレへ」
このタイミングで何処か遠くへ行くはずもないのに、そんなことを聞いてくる御堂が可笑しくて克哉は笑う。
しかし克哉の答えを聞いても、御堂の手は緩まなかった。
「……孝典さん?」
「駄目だ」
「は?」
「行っては駄目だ」
御堂はそう言って、克哉の手をぐいと引っ張った。
やはり酒が回っていたのだろう、よろめいた克哉は引かれるままに御堂の膝の上にすとんと横座りになってしまう。
「もう、孝典さん……。酔ってるんですか?」
「そうだな。そういうことにしておいてもいい」
「ふふ……」
そのときはまだ、ふざけているだけなのだと思っていた。
ほろ酔い状態になって、戯れに触れ合って、じゃれ合うのを楽しんでいるのだと。
それはいつものことだったから、克哉もしなだれるようにして御堂の首に腕を回す。
額が触れるほどの距離でクスクスと笑いあいながら、しかし御堂を見下ろす克哉の視線も、克哉を見上げる御堂の視線も、既に熱を帯びはじめていた。
「んっ……」
ゆっくり唇を重ねると、さっき口に含んだばかりのワインの香りがふわりと広がる。
アルコールで少し痺れた舌が触れ合い、柔らかく絡んだ。
それだけで体温はすぐに上昇して、くちづけは徐々に深くなっていく。
指先に触れる髪をまさぐるように掻き乱すと、簡単に息が上がっていった。
「ぅ……ふ、ぁ……」
くちづけを続けたまま御堂に腰の辺りを撫でられて、克哉は甘い吐息を漏らしながら身を捩る。
いつもならば、このまま快楽に流されて溺れてしまっていただろう。
けれど、今はそうもいかない。
克哉は名残惜しさと戦いながらなんとか唇を離すと、まるで子供をあやすように御堂の髪を撫でた。
「孝典さん……。すぐ戻ってきますから。ね?」
「駄目だ。一秒たりとも君と離れていたくない」
「やっぱり酔ってる……」
御堂は膝の上に座っている克哉の腰をしっかりと抱き締めたまま、どうしても離そうとしない。
珍しく甘えて我儘になる年上の恋人はとても可愛いかったけれど、それにしてもどうしたらいいものかと克哉はあぐねた。
「じゃあ、一緒に来てくれますか?」
大の大人相手におかしなことを言っている自覚はあったが、とりあえず提案してみる。
しかしその折衷案もばっさりと切り捨てられてしまった。
「いいや、行かない。行かせもしない」
「うーん。じゃあ、どうしたら……」
いよいよ本気で困り果てた克哉が眉尻を下げると、御堂が低い声で呟いた。
「……ここですればいい」
「―――!」
その言葉を聞いた瞬間、腹の底が冷えたようになって僅かな酔いも勢いよく醒めていく。
この場に到底似つかわしくない、あの悪夢のような日々の記憶がまざまざと思い出されて、克哉の身体は緊張に強張った。
羞恥と歪な快楽に溺れた、とてつもなく悪趣味で、とてつもなく淫靡な―――。
「たか、のりさん……?」
知らず声が震えた。
それを面白がるかのように、御堂の腕はますますきつく克哉の体を締め付ける。
「このまま、ここですればいい。私は構わない」
「そんな……だって……」
うまく言葉が紡げずに、克哉はふるふると首を振ることで辛うじて拒絶の意志を示す。
確かに一時期、二人はそういった行為に耽っていた。
普通の感覚があれば最も他人に見られたくないであろう場面を、あえて晒す。
それに伴う我慢からの解放と激しい羞恥、醜悪で非日常的な状況に快感を覚えて、二人はそれを幾度も繰り返した。
しかし時間が経つにつれてその衝動も弱まり、最近ではすっかり遠ざかっていたのだが……。
「孝典さん……」
本気なのかと伺うように、克哉は御堂を見つめる。
御堂は薄く笑いながら、克哉を抱く手に更に力を込めた。
「で、でも……オレ……」
鼓動が速まる。
酔いはすっかり醒めてしまったはずなのに、顔だけがまだ熱い。
戸惑い俯く克哉の身体に、しかし御堂は愛しげに頬を擦り寄せた。
「今更、何を躊躇う? 久し振りだから恥ずかしいのか?」
「それは、もちろん……それに、このまましてしまったら孝典さんが……」
今、克哉は御堂の膝の上にいるのだ。
ここで克哉が排泄すれば、出されたものは全てそのまま御堂が受け止めることになってしまう。
それにはさすがに抵抗があった。
けれど、御堂は事もなげに言う。
「私は構わないと言ったはずだが」
「でも、汚いじゃないですか……! それに、やっぱり変ですし……」
「それの何が悪い?」
「え……?」
「私と君にとっては、これもセックスの一部のようなものだろう。 ……綺麗事を抜きにして言わせてもらうが、セックスなんてものはどこかしら汚かったり変だったりするものじゃないのか? だが、大切なのはそこではないはずだ」
「あ……」
そんな風に言われると、返す言葉がなくなってしまう。
黙り込んでしまった克哉に、御堂はクスリと笑った。
「まあ、もっともらしいことを言ってはみたが、本当はただ君の恥ずかしがる姿が見たいだけなんだがな」
「孝典さん……!」
「そう怒るな。とにかく、私は君を離す気はない」
「うう……」
克哉を抱き締めている御堂の手が、シャツ越しの胸から下腹部へと滑り落ちていく。
それから緩く開いた足の間に忍び込み、太腿の内側をするりと撫でた。
息が苦しい。
下肢が重くなる。
それでもともすれば御堂の手から逃れようとする克哉に、とうとう御堂は切り札を出してきた。
「どうやら、別の言い方をするべきだったようだな。……このまま、ここでしたまえ。これは命令だ」
「……っ!」
熱情と冷酷さが同居したような御堂の声と表情に、身が竦み、ごくりと喉が鳴る。
これは、命令。
刃向うことは許されない。
いや、刃向うことなどもともと考えられないはずではないか。
自分は御堂のものなのだから。
御堂の望みは全て叶える。
それこそが克哉自身の望みでもあった。
「……出来るな?」
抱き締められる腕の力が緩んでも、もはや克哉はそこから逃げ出そうとは思わなかった。
克哉が小さく頷くと、御堂は満足げに笑う。
「いい子だ」
御堂の手はいまだ克哉の両足の間にあり、その内側を撫で続けていた。
いよいよ高まってくる尿意に、克哉はもじもじと腰を揺らす。
それでも我慢しきれずに失禁してしまうまでには、まだかなりの余裕があった。
だから克哉はこれから半ば自らの意志によって、その行為に及ばなくてはならない。
これは我慢の限界が訪れて、不可抗力で粗相をしてしまうよりもよほど難しいことだった。
バルコニーとはいえ屋外で、しかも御堂の膝の上にいながら故意に排泄するなど……。
「さあ、克哉」
けれど御堂は決して逃がしてはくれない。
克哉をしっかりと抱き締め、その鼻先を身体に摺り寄せながら早くしろと急かす。
しかし克哉はなかなか力を緩めることが出来ずにいた。
これから自分がしようとしていることが恐ろしくて、そして同時に酷く興奮している。
心臓はばくばくと大きな音を立てながら、身体中の血液を猛烈な速さで循環させていた。
(怖い―――)
克哉はきつく目を閉じる。
怖くて怖くて堪らなかったけれど、その先にある快楽を克哉は確かに知っていた。
身体が細かく震えだして、それを止めようとするかのように歯を食いしばる。
軽い眩暈を覚えて、頭の中が真っ白になる。
大丈夫。
出してしまえばいい。
力を緩めて、いつもしているように―――。
「……あっ」
それは御堂にさえ聞き取れないほどに小さな声だった。
しゅ、と少量の尿が漏れた瞬間、思わず再び力を入れてそれを堰き止めようとしてしまう。
そのことに気づいたのか、御堂は克哉のペニスを布越しにぎゅっと握った。
「……出せ」
「んっ……ううっ……!」
咄嗟に克哉は御堂にきつくしがみついた。
こうなってしまっては、もう止めることは出来ない。
漏れだした液体は瞬く間に下着を通り抜け、ズボンに染み出す。
それはすぐに御堂の手のひらからも溢れ、そのまま互いの下肢へと広がっていった。
生暖かい水流は太腿から椅子を伝い、足首を流れ、ぴしゃぴしゃと微かな音を立てながらバルコニーの床へ落ちる。
「あ……は、ぁ、あっ、あ……」
泣いているかのような掠れた喘ぎ声が、半開きの唇からとめどなく零れる。
自分が思うよりも我慢していたのだろうか、排泄はなかなか終わらなかった。
その間、身体はすっかり硬直してしまって動かない。
ただ両足だけは、笑えるほどにがくがくと震えていた。
「克哉……」
熱のこもった声で御堂が呼ぶ。
失禁を続けている下肢を手のひらで弄りながら、御堂は克哉とともに下肢を濡らしていた。
「随分、出るな」
「ご、め…なさい……オレ……汚く、て……」
「大丈夫だ」
「でも……お漏らし…こんな……」
「ああ。こんなところでしてしまったな」
そうだ。
御堂の膝の上で。
こんなのは子どものように、なんて可愛らしいものじゃない。
見られているだけではなく、全て感じられている。
暖かさも、勢いも、量も。
身体がどうしようもなく震えているのに、どうしようもなく熱くなっていることも。
全てが伝わってしまっているのだ。
「孝典…さん……」
ようやく全部を出しきってしまうと、克哉はおずおずと顔を上げた。
恐る恐る見下ろせば、二人の足元には大きな水たまりが出来ている。
互いのズボンが濡れてすっかり色を変えているのも分かった。
恥ずかしい。
恥ずかしくて、情けない。
それなのに、排泄を終えた克哉のペニスは早くも昂ぶっている。
御堂は克哉のズボンのファスナーをおろし、下着の中からそれを取り出した。
「あ……」
「もう、こんなにして……。それほど気持ち良かったのか?」
「は、はい……気持ち、良かったです……」
「そうか」
そう、気持ちが良かったのだ。
恥ずかしくて情けないのに、そこには途方もない解放感と快楽があった。
何も考えられなくなるような、全てがどうでもよくなるような。
克哉が恍惚としていると、御堂の手が克哉の濡れた屹立をゆるゆると扱きだす。
「あっ……ん……」
濡れた服と下着がぴったりと貼り付いていて気持ちが悪いはずなのに、そこは敏感に反応してしまう。
夜風が下肢を冷やしても、身体の芯は発熱したように火照り、克哉はたまらずに腰を揺らした。
「孝典さんっ……」
屹立を扱かれたまま唇を重ねると、一気に吐息が乱れる。
同じように反応している御堂のものに気付いた克哉は、やはり同じようにぐっしょりと濡れているズボンと下着の中から忙しなくそれを取り出した。
互いの屹立は互いの手の中でぐんと熱を増し、脈を打ちはじめる。
手を動かしながら舌を絡め合うと、まるで口淫をしているかのような錯覚に陥った。
「ん……ふぁ……ぁ……」
「克哉……」
屹立の先端からはぬるりとした蜜が零れだしている。
これ以上は、もう我慢出来ない。
二人ともそう思ったのだろう。
御堂は克哉を膝から降ろすと、バルコニーの手すりに両手をつかせた。
高層階だから誰にも見られてはいないはずなのに、やはり背徳感に苛まれる。
濡れた下着とズボンを強引に下ろされて、外気に晒された双丘がきゅっと締まった。
すぐにその狭間に御堂の指が潜り込んできて、克哉の背中が大きくしなる。
「あぁっ……」
「欲しいか?」
「はい……欲しい、です……」
ひくつくそこが指などで満足するはずもない。
やがて御堂の熱が宛がわれ、それが少しずつ中に入ってくると、克哉はたまらず甘い吐息を漏らした。
「あっ……あぁっ……」
バルコニーとはいえ、外には変わりない。
あまり大きな声を出しては隣室に聞かれてしまうかもしれないと、克哉は必死で声を抑えようとした。
けれど御堂に腰を掴まれ、次第に激しく奥を突かれるたび、押し出されるようにして喉の奥からそれは漏れてしまう。
「んっ……! ん……うぅ、っ……!」
視界が滲んで、目の前に広がる夜景がぼやける。
突き上げられながら濡れそぼった前をも擦られると、そこはいやらしくくちゅくちゅと湿った音を立てた。
「は……んっ…う……うぅッ………!」
「克哉っ……」
克哉も律動に合わせて腰を揺らす。
内壁を擦られ、激しく腰を打ち付けられれば、冷え切っているはずの下肢が燃えるように熱くなる。
指が白くなるほどに手すりを握り締めながら、克哉は御堂に与えられる快楽に溺れていった。
「……も……イく……孝典、さん……」
御堂の突き上げがスピードを増して、克哉の最奥を突き上げる。
また果ててしまう。
また出してしまう。
さきほどとは別の快感が訪れる期待に全身が戦慄く。
足元から這い上がってくる射精感に腰がぶるりと震えた瞬間、克哉の屹立から欲望が迸った。
「っ、あ、あぁッ……!!」
「……ッ!」
押し殺しきれなかった声を上げ、克哉が絶頂に達する。
粘り気のある白濁した精がバルコニーの床に飛び散って、克哉が作った水たまりに混じって溶けた。
それからすぐに御堂の熱が身体の中に注がれるのを感じながら、克哉の濡れた下肢はしばらくびくびくと痙攣を続けていた。



この行為の後には、いつも少しの後悔が残る。
余計な仕事が増えるからだ。
シャワーを浴びて、服を洗って、バルコニーを片付けて……それらを全て終えたときには、二人ともすっかり疲れ果てていた。
「なんで、あんなことに……」
やはり飲み過ぎてしまったのだろうか。
ベッドに横たわりながら、御堂の腕の中で克哉は呟く。
「なんだ。何か不満だったか?」
「違います! そういうことじゃ、ないんですけど……」
「けど?」
「……」
御堂との暮らしはとても幸せだけれど、時々少しだけ怖くなるのだ。
自分の中にあとどれだけ知らない自分が隠れているのか、そしてどれだけそれが暴かれてしまうのか。
それを考えると怖かった。
どんなことがあっても、御堂はきっと受け止めてくれるだろうと思う。
その度量の大きさにはいつも感謝しているし、信頼もしている。
けれど、やはり怖い。
怖いけれど、きっと―――離れられない。
逃れられない。
「……なんでもありません」
克哉は微笑んで、自分から御堂に唇を押しつける。
どれだけ怖くても、どれだけ醜くてもいい。
御堂が暴いてくれるのなら、それだけで全て快楽になるから。
己の中にある底無しの欲望を自覚しながら、克哉は御堂に舌を絡めた。

- end -

2014.07.14


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