episode T.
ガクン、と軽い衝撃があって身体が傾く。
それと同時に同じ重力の働いた大勢の人の塊がこちらに圧し掛かってきた。
背中を冷たく硬いドアに押し付けられ、息苦しさにほんの少し喘ぐ。
いや―――息苦しさの所為だけじゃない。
帰宅ラッシュの満員電車の中、耳元に聞き慣れた低い声が囁いた。
「……大丈夫か?」
その問い掛けに、オレは小さく頷く。
正面からオレを抱き締めているかのように身体を密着させている孝典さんが、そうか、と呟いた。
ほんの一瞬だけ頬と頬が触れて、思わず身体が震える。
オレと孝典さんは頻度こそ減ったものの、相変わらずあの異常で醜悪な遊びに耽っていた。
頻度を減らした理由はオレの身体への負担と、なによりも『慣れてほしくない』という孝典さんからの要望があった所為だった。
オレがあの行為に抵抗がなくなってしまってはつまらない。
限界ギリギリまで我慢することも、羞恥に涙を浮かべることもなくなってしまっては意味が無いのだと。
孝典さんにそう言われたとき、オレは納得出来なかった。
あんな行為、何度繰り返したって慣れるはずがない。
孝典さんはあの絶望的に情けなく、惨めで恥ずかしい感覚を味わったことがないからそんなことが言えるのだ。
そう思いながらも頻度を減らすこと自体には異論のなかったオレは、その提案を一も二もなく受け入れた。
けれど、今になってみればあれは孝典さんの張った罠だったのかもしれない。
あの遊びをしない日が続けば続くほど、オレは妙に落ち着かない気持ちになってきた。
今度はいつ命令されるのだろう。
もしかしたら、このままやめてしまうのではないだろうか。
普通じゃないと分かっていながらどうしようもなく惹かれ、苦痛と羞恥の向こう側にある歪んだ快楽を無意識に求める。
だから今日、孝典さんから久し振りに紙オムツを差し出されたときオレは心の奥で安堵していた。
そして再びあの苦しみに耐えなければならないことへの恐怖と、その後に得られるとてつもない快楽への期待に胸を震わせたのだった。
その日、いつもより少し早く仕事が終わったオレと孝典さんは食事をしてから帰ることにした。
何度か行ったことのあるそのレストランは置いてあるワインの種類が豊富で、孝典さんのお気に入りの店だった。
お酒を飲むことは分かっていたので、車は会社の駐車場に置いたままタクシーで店まで向かう。
そして食事を終えると、いつもならばまたタクシーで帰宅するはずだった。
けれど。
「たまには電車で帰るとしよう」
孝典さんがそう言ったとき、背中にぞっと悪寒が走った。
そのときのオレは既に明らかな尿意を覚えていて、限界を迎えるまでにそう時間は掛からないように思えた。
出来るだけ量を抑えたとはいえ、さっき飲んだワインも下肢を圧迫し始めている。
しかもここからなら電車に乗るよりもタクシーのほうがずっと早く家に辿り着けるのだ。
最悪、間に合わなかったとしてもタクシーならば人目が無い。
けれど電車ともなれば訳が違う。
ましてやこの時刻の車内はかなり混雑しているはずだ。
「……どうした?」
「いえ……」
躊躇っているオレを見て、孝典さんがほんの少し笑う。
どんな状況であろうとオレが逆らうはずないと分かっているのだろう。
身体の奥がすうっと冷たくなるような感覚に襲われながら、オレは孝典さんの後についてぎこちなく歩き始めた。
駅に着くと孝典さんは自宅へ帰るには少し遠回りになる電車に乗り込んだ。
どうやらこちらのほうが混雑している路線らしく、車内はまさにすし詰めの状態だった。
発車のベルが鳴り響く中、オレはドアに寄り掛かる位置に立ち、それと向かい合わせに孝典さんが立つ。
すぐにドアは閉まり、電車が動き出した。
視界を埋める人の群れは、やはりスーツ姿のサラリーマンが多い。
むっとするような人いきれの中、微かに孝典さんのフレグランスの香りが鼻先を掠めた。
「っ……」
これだけ混んでいるのだから、男同士で密着していたとしても不自然ではないはずだ。
それでもやはり周囲の目が気になってしまって、オレは辛うじて顔だけを孝典さんから背ける。
けれどオレと孝典さんは身長も同じぐらいだから、いくら背けてみても、うっかりすれば触れ合いそうなほどの距離に孝典さんの顔はあった。
しかも身体はぴったりと密着している。
「……」
車内は妙に静かだった。
ガタガタという細かな振動が、足元から腰へと響いてくる。
それは店から駅へ向かう間に急激に高まった尿意を更に刺激して、解放への欲求を加速させていった。
―――漏らしてしまうかもしれない。
確実にそのときが訪れることは分かりきっているのに、やはり怖くなる。
オムツをしているとはいえ、もしも溢れてしまったら?
この満員電車の中、漏らしているところを大勢の人達に目撃されてしまったら?
ズボンを濡らし、靴を濡らし、床に広がっていく水溜りを想像する。
他の乗客たちは好奇の目を向け、迷惑そうに眉を顰め、オレを嘲り、蔑むだろう。
そんな光景がぐるぐると頭の中を駆け巡って、オレは唇を噛み締める。
落ち着きをなくした下肢が、電車の振動とは無関係に震え始めた。
電車が発車してからどれぐらいが経っただろう。
突然、ガクンと軽い衝撃があって身体が傾いた。
それと同時に同じ重力の働いた大勢の人の塊がこちらに圧し掛かってくる。
背中を冷たく硬いドアに強く押し付けられ、息苦しさにほんの少し喘ぐ。
いや―――息苦しさの所為だけじゃない。
吐息を震わせているオレの耳元に、聞き慣れた低い声が囁いた。
「……大丈夫か?」
オレは小さく頷く。
本当は少しも大丈夫ではなかった。
あとどれぐらい我慢出来るだろうか。
次にこちら側のドアが開いたとき、思いきって電車を下りてトイレへ向かってしまえばいいのではないだろうか。
それでも、きっと孝典さんは怒ったりしない。
やっぱり怖くなってしまったんです。
ごめんなさい。
そう言えば許してくれる。
実行出来るはずもないのに、そんなことを考えてしまう。
トイレへ駆け込む自分を思い浮かべる。
トイレに行きたい。
トイレに行きたい。
今ならまだ間に合う。
しかし身体は絶望へと向かって着実に歩を進めていた。
食い縛ろうとしても、歯は噛み合わずカチカチと音を立てる。
胃の辺りがむかついて吐き気がしてくる。
呼吸が乱れはじめて、乾いた喉でごくりと唾を飲み込んだ。
「……!」
不意にオレの両足の間に孝典さんがぐいと膝を入れてきた。
戸惑いながら横目で見ると、意地悪く目を細めた孝典さんと視線が交わる。
電車の揺れに合わせるようにして、孝典さんはわざと体重を掛けてくる。
「……っ」
孝典さんはさり気なく腰を突き出すようにして下肢を押し付けてきた。
スーツのズボンの奥にあるのは安っぽい紙オムツだ。
ネクタイを締め、仕事帰りにしか見えないオレがそんな格好をしているなんて、この満員電車の乗客は誰も知らない。
そんな恥ずかしくて異常なこと、いったい誰が想像出来るだろう。
「……大丈夫か?」
もう一度、耳元で囁かれる。
その声さえ刺激となって、頭の中も身体の奥もじんと痺れる。
何も考えられなくなって、オレは頷くことさえ出来ずにいた。
「……!」
そのとき再び電車が大きく傾き、人の波がこちらへと倒れ掛かってきた。
下腹が押され、オレはとうとう限界を迎える。
―――怖い!
恐怖を感じたオレは、咄嗟に孝典さんのスーツの上着の裾を強く掴んでいた。
孝典さんもすぐにオレの状況が分かったのだろう、オレの腰に手を回すと下肢をぐいと引き寄せた。
ズボンの布と紙オムツ越しに、オレと孝典さんのペニスが重なる。
「……っ」
それだけでもうオレは堪らなかった。
オムツの中に少しずつ生暖かい液体が広がっていくのが分かる。
その気持ち悪さは、何度経験しても慣れることが出来ない。
我慢し続けていたから、小便はかなりの量だろう。
そんなにも出してしまったら、オムツから溢れてしまうのではないかと怖くて怖くて堪らない。
けれどもう我慢しなくて良くなった身体は明らかに快感を覚えていた。
身体が小刻みに震える。
オレは唇を噛み締め、孝典さんの肩に額を押し付けながら失禁していた。
周りにおかしいと思われていたかもしれないけれど、もう何も考えられなかった。
きっと今オレが漏らしていることに孝典さんは気づいている。
前に広がる微かな温もりを、孝典さんもまた感じている違いない。
首筋に掛かる孝典さんの吐息が熱い。
ああ、また出してしまった。
こんな満員の電車の中で漏らしてしまった。
音はしていないだろうか。
匂いはしていないだろうか。
早く終わってほしい。
溢れてしまわないうちに終わってほしい。
いつしかオレは失禁の温もりとは別の熱を下肢に感じ始めていた。
しかも重なっている孝典さんのそこも僅かに硬くなっているのが分かる。
―――欲しい。
今すぐ、孝典さんが欲しい。
オレはつい電車の振動に紛れて腰を揺らしてしまった。
後ろに回っている孝典さんの手がそれを制止するようにオレの下肢を押さえつけたけれど、
それはかえって欲望に火をつけてしまうだけだった。
「は……」
苦しい。
苦しくて苦しくて堪らない。
排泄を終えたオレ自身は、今度は別のものを吐き出したくてどくどくと脈打っている。
「……次の駅で下りるぞ」
孝典さんの言葉に、オレは今度こそ頷いた。
※
「んっ……は……ぁ……」
玄関の扉が閉まった瞬間、オレ達はきつく抱き合い、互いの唇を貪り合っていた。
「は……孝典、さ……早く……っ……」
待ちきれず、舌を絡めながら呂律の回っていない口調で懇願する。
まだズボンすら履いたままだというのに、腰を突き出して硬くなったものを押し付けあった。
布地越しにも分かるほど熱く猛ったそれは腰を揺らすたびに擦れ、先端から雫を溢れさせる。
あの後、次の停車駅で電車を下りたオレ達はタクシーでこの部屋まで戻ってきた。
時間にすれば二、三十分足らずだったけれど、それがオレには酷く長く感じられた。
孝典さんが欲しくて欲しくて堪らなかった。
孝典さんの手がオレのベルトに掛かり、ファスナーを下ろす。
脱げたズボンが靴を履いたままの足元に落ちると、オレの排泄物をたっぷりと吸って重くなったオムツが姿を現した。
「くッ……恥ずかしい格好だな……」
「う……」
確かにこれ以上ないほど、恥ずかしくて滑稽でみっともない姿だ。
全身がかあっと熱くなって、オレは俯く。
孝典さんは喉の奥で笑いながらそこを幾度か擦ると、ビリビリと音を立ててオムツを破いた。
途端、今にも弾けそうになっていた屹立が窮屈さから解放されてびくんと脈打つ。
もう既にほんの少し擦られれば射精してしまいそうなほど、そこは張り詰めていた。
「孝典、さ……っ……早く……」
オレは涙声で頼んだ。
後ろを向かされ、壁に縋りつきながら孝典さんに尻を突き出す。
早くあなたをください。
こんなにも情けなくて、こんなにも醜悪なオレにあなたをください。
オレは全てを見せました。
だからあなたも全てをオレにください。
「克哉……」
やがて後孔に孝典さんの熱が突き立てられる。
腰を抱えられ、始めはゆっくりと、それからいきなり奥まで貫かれた。
「ひっ……あぁッ……!!!」
一瞬だった。
屹立の先端に焼け付くような熱さを感じたと思うと、オレは孝典さんにただ一度突き上げられただけで絶頂に達していた。
びくびくと腰が跳ね、どろりとした液体が壁や床に飛び散る。
「う、あ……」
震えて崩れそうになる身体を、孝典さんは背中から抱きかかえて支えてくれた。
「もう、イったのか? 凄いな、君は……」
「あ……だ、って……」
「……だが、まだ満足はしていないようだ」
「……!!」
孝典さんの手がオレの前に回る。
触れられたそこはたった今放ったばかりだというのに、まだまだ硬さと熱を保っていた。
「……安心しろ。君が満足するまでイかせてやる」
「孝典、さん……」
オレは首を捻って、孝典さんと繋がったままキスをする。
こんな風に快楽を分かち合えるのは、きっとこの人だけ。
こんなオレを全部受け止めてくれるのは、世界中でこの人だけだ。
オレは全てを見せました。
だからあなたも全てをオレにください。
これからもずっと。
永遠に。
- end -
2011.11.22
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