02 二つずつ
洗面所に備え付けてあるホルダーには二つの歯磨き粉が立ててある。
一つは御堂が以前から使っていたもの、もう一つは克哉が後から置いたものだ。
始めは御堂のものを一緒に使っていたのだが、どうも味が苦手だったらしく、克哉も自分が以前から使っていたものを買ってきて置くようになった。
それを見ていて、御堂が思い出す。
あれはまだ克哉と付き合い始めたばかりの頃のことだった。
「あの……。御堂さん、お願いがあるんですが」
「なんだ?」
夜、シャワーを浴び終えて髪を拭いていた御堂が振り返ると、そこには歯ブラシを握り締めた克哉が立っていた。
「その……私物を少しだけ、置かせて頂くことは出来ないでしょうか……?」
明日は平日だから、克哉は御堂のマンションから直接仕事に行く予定だった。
以前の克哉はここに泊まった日でも必ず早朝に一度アパートに戻ってから出勤していたのだが、時間の無駄だと言って御堂はそれをやめさせた。
だからこその頼みだったのだろう。
それにしても歯ブラシ一本を置いていく程度のことで、わざわざ許可を得る必要などないというのに。
御堂がぽかんとしているのを勘違いしたのか、克哉が慌てて付け加える。
「す、すみません。大きなものとかじゃないんです。この歯ブラシとか、ちょっとしたものを……あの、でも、やっぱり邪魔ですよね?! ごめんなさい、図々しくて……」
「待ちたまえ」
たかが歯ブラシでこの調子だ。
御堂はまさかと思いながら、ソファの傍においてあった克哉のカバンを指差す。
「それの中を見せてくれ」
「え、あ、あの」
「いいから」
「う……」
妙に膨らんだカバンを克哉が開けると、なにやら大きめのポーチのようなものが入っている。
その中には替えの下着や洗面用具、シェーバーやらがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。
「……」
この部屋にあるものはなんでも使っていいと言ってあった。
足りないものがあれば用意するから言ってくれとも。
しかし、たとえ恋人同士とはいえ他人とはどうしても共有したくないものもあるだろう。
それは生理的な嫌悪感からかもしれないし、単に使い慣れたものを使いたいという心理かもしれない。
それにただでさえ遠慮が過ぎるきらいがある克哉には、自分の身支度のために人の物を勝手に使ったり、あまつさえ足りない何かを要求したりするなど易々と出来るようなことではなかったのだ。
だからこそ面倒でも一旦自宅に戻っていたものを、やめさせたのは他でもない御堂だ。
その結果、克哉は毎週かえって面倒な思いをしなければならなくなってしまっていた。
他人と生活を共にするどころか、恋人を部屋に上げたことさえなかった御堂は、そこに気づいていなかった。
「克哉」
「は、はい!」
御堂は改めて克哉に向き合う。
「空いている部屋があるから、そこを君のプライベートルームとして使っていい。
勿論そこ以外の場所でも、どれだけ君の荷物を置いていっても構わない。運ぶのが大変なものがあるときには、私が車を出すから言ってくれ」
「あ、いえ、そこまでは……」
「既にこの家にあるものであっても、君が使いたいものがあるのなら別に用意して構わない。
だから今後はこんなにたくさんの荷物を、いちいち持ってきては持って帰ることなどしなくていい」
「……すみません」
克哉がしょんぼりと俯く。
やや強い口調になってしまったことで、責められているように感じたのだろう。
御堂が苛立っているのは、ただ「克哉にここにいてほしい」という気持ちばかりが先行して、
細かいところにまで気が回らなかった自分自身に対してだというのに。
まったく自分らしくない、と御堂は自分に呆れていたのだ。
「言っておくが、君の荷物を邪魔だと思うことなど絶対にない。だから遠慮するな。
置いていった荷物にも、君の許可無く勝手に触れたりはしない。約束する」
「そんな心配はしていません……! でも……本当に置いていってもいいんですか?」
「当たり前だ」
「……ありがとうございます!」
嬉しそうに微笑んだ克哉を御堂は抱き締めた。
本音を言えば、克哉にはさっさと今のアパートを引き払ってもらって、早く正式にこの部屋の住人になってほしかった。
けれど彼の性格から考えて、いきなりそれは無理だろう。
焦らず、気長にやっていくしかないことは覚悟している。
それにきっとこれからこの部屋にはいろいろな物が二つずつになっていくのだと思うと、御堂にはその過程が楽しみでさえあった。
こんな気持ちになったのは初めてのことだった。
「……孝典さん? どうかしましたか?」
洗面所からなかなか戻らない御堂を心配して、克哉がやってくる。
御堂は我に返って答えた。
「ああ、いや。……克哉、君の歯磨き粉を使ってみてもいいか?」
「はい、どうぞ。オレ、先に寝室に行ってますね」
「分かった」
ニコニコしながら戻っていく克哉を鏡越しに見送りながら、御堂は歯ブラシと歯磨き粉を手に取る。
あのときに想像した通り、この部屋には少しずつ物が増えていった。
けれどそれは二つずつになったというよりも、全てが二人のものになっていったと言うほうが正しいかもしれない。
今や克哉はこの部屋の正式な住人であり、これからもここはずっと二人の家であり続けるだろう。
御堂はそのことにとても満足していた。
- end -
2017.07.24
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