新婚の果実

ひとり帰り着いた、真っ暗な部屋。
リビングの灯りをつけると、克哉はその眩しさに一瞬顔を顰めた。
普段なら帰宅後は、着替えをするためすぐにクローゼットに向かう。
けれど今日の克哉はそのままソファに座り込むと、溜息をついて力無く項垂れてしまった。

最近、御堂の様子がおかしい。
どこかよそよそしいというか、素っ気無いというか、どうにも避けられているような気がしてならないのだ。
今日も、いつもならば仕事帰りに一緒にジムに行く予定のはずだった。
克哉はそのつもりで仕事を早く終わらせたというのに、帰り際になって御堂から、今日は残業になるから先に帰っているようにと言われてしまったのだ。
克哉は御堂の補佐的なこともしているから、御堂の仕事内容やスケジュールなども、概ね把握している。
よほどのトラブルでもない限り、今日は残業の必要は無かったはずだ。
それだけではない。
スキンシップも、避けられているような気がする。
有り体に言えば、キスやセックスの回数が減っているのだ。
もちろん、克哉もいちいち数えているわけではないが、これは間違いないだろう。
原因を考えてみるも、思い当たる節はない。
ケンカをしたわけでもないし、嫌われるようなことをした覚えもなかった。
とすると、考えられる理由はただひとつ。
「……倦怠期ですね」
「それですかね、やっぱり……って、うわあぁっ?!」
いきなり背後から誰かに話しかけられて、克哉は飛び上がるほどに驚く。
そうして後ろを振り返った途端、そこに立っている人物の姿に再度驚くはめになった。
「ミ、Mr.R……! どうして、ここに?!」
「こんばんは~。あなたが、お悩みのようでしたので」
Mr.Rは至ってにこやかに、白々しく言ってのける。
しかし克哉には、彼がまた悩みを増やすためにやってきたとしか思えなかった。
うんざりした様子で溜息をつくと、相変わらず不自然に黒ずくめの男から嫌そうに顔を背ける。
「もう、オレのことは放っておいてくださいよ……。あなただって、もうオレに用はないはずでしょう?」
「とんでもない。私はいつでも、あなたのことを気にかけているんです。あなたが、いつまた眼鏡を必要とされるかと思って……」
「いりませんよ!」
冗談じゃない。
もう二度と眼鏡に頼ることなどないだろう。
克哉に断固として拒否されたにも関わらず、Mr.Rはまったく堪えていないのか、ウンウンと知った風に頷く。
「はい、もちろん承知しております。今のあなたにとって必要なものは、眼鏡ではなく……」
突然、Mr.Rが黒いコートを翻した。
一瞬、目の前が漆黒に染まり、やがてそれがピンク色に変わる。
「コレです! 佐伯克哉さん」
「はあ……?」
きょとんとしている克哉の前で、Mr.Rは手にしているピンク色の生地を、ひらひらと揺らしてみせた。
「それって……エプ……ロン?」
「はい。仰る通り、これはエプロンです」
「……」
淡いピンク色をしたそのエプロンは、周囲を白いフリルに縁取られた、それはそれは可愛らしい逸品だ。
手袋まで嵌めた黒ずくめの男が持っていると怪しいことこの上ないが、 若くて初々しい奥さんが身につけたら、さぞかし似合うことだろう。
しかしバラエティ番組のコントなどではよく目にするものの、実際に使っている人がいるのかというと甚だ疑問ではある。
あまり実用的とは思えないし、なにより何故今ここでコレが出てくるのか、さっぱり訳が分からない。
克哉はひどく嫌な予感がして、恐る恐る尋ねた。
「あのう……それで、これをオレにどうしろと……?」
「もちろん、あなたがお使いになるんですよ」
「玄関まで送りますね」
間髪入れずに笑顔で立ち上がった克哉を、Mr.Rは慌てもせずに嗜める。
「まあ、そう仰らないでください。佐伯克哉さん……あなたは最近、初心をお忘れなのではありませんか?」
「えっ……?」
その言葉に克哉の顔色が変わったのを見て、Mr.Rはレンズの奥の目を細めた。
「あなた方人間はすぐに、愛だの信頼だのという曖昧で危うい感情にすがりたがる。 しかしそれは時間の経過と共に甘えと油断を呼び、やがてはただの自惚れへと変わってしまう……。 今のあなたがそうなっていないと、本当に言い切れるのですか?」
「それ、は……」
克哉は最近の自分を思い返してみる。
仕事も、御堂との関係も順調で、何も問題はないと思っていた。
けれど果たして、本当にそうだったのだろうか?
そこに自己満足や、慢心は無かっただろうか。
確かに御堂はいつも、もっと自分に自信を持てと言うが、それは自惚れろと言っているわけではない。
御堂に対してもそうだ。
付き合い始めの頃は、とにかく嫌われたくなくて、御堂に早く追いつきたくて、がむしゃらに頑張っていた。
それが一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、不安に思うことや、焦る気持ちが少なくなっていったのも事実だ。
御堂に愛されていることを確信し、これからもずっと共に歩んでいくのだと信じた。
もしかすると、それが緊張感を無くし、努力を忘れ、甘えに繋がっていたのかもしれない。
聡い御堂が、そんな自分の怠惰に気づいていたとしてもおかしくはなかった。
「御堂さん……それで……」
御堂は、惰性で関係を続けていくことを良しとするような人間ではない。
このままでは、愛想をつかされてしまう日も遠くはないだろう。
―――そんなのは、イヤだ。
克哉は、御堂を愛している。
その気持ちは、付き合い始めの頃と少しも変わってはいない。
それどころか御堂という人を知るごとに、彼への気持ちは深まっていく。
離れたくない。
失くしたくない。
けれど、いったいどうすればいいのだろう。
御堂の気持ちが離れていくのを、止める為には―――。
「そんなときこそ、コレです!」
まるで克哉の考えを見透かすように、Mr.Rが再びエプロンをひらひらさせた。
「それ……ですか……」
なんとなく、彼の言いたいことは分かった。
しかし、本当にそれしか方法はないのだろうか。
想像するだけでげんなりして、克哉は憂鬱そうに溜息をついた。
そんな克哉に、Mr.Rは歌うような口調で囁きかける。
「このエプロンを目にした者は、誰でも【新妻】という単語を思い浮かべることでしょう。 そんなエプロンを身につけることによって、あなたは以前の初々しい気持ちを思い出し、 あの方はいつもと違う刺激的なあなたの姿に、やはり欲望を煽られる……。 言うなれば……そう。あなたにとってのラッキーアイテムのようなものです。 試しに、つけてみてはいかがですか? そのくらい、たいしたお手間じゃないでしょう?」
「……」
なんとなく聞き覚えのあるフレーズだなぁと思いながら、克哉は渋々とそのピンクに手を伸ばす。
指先にふわりと触れた布地の感触は、思いのほか心地好かった。



御堂が帰宅したのは、それから二時間四十三分後のことだった。
玄関に入った途端、パタパタと小走りにやってくるスリッパの足音が聞こえてくる。
「お帰りなさい。孝典さん」
「ああ、ただい……」
ま、の文字を御堂は飲み込んだ。
そして靴を脱ぎかけた体勢のまま、しばし硬直する。
「ど……」
うしたんだ、その格好は。
続く言葉を、またもや御堂は飲み込む。
というよりも、声が出ない。
目の前に立つ恋人の姿は、それほどまでに衝撃的だった。
「あ、あの……すぐ食事にしますか? それとも、シャワーにしますか? それとも、あ、あの……えっと……」
克哉は真っ赤な顔で俯きながら、もごもごと何かを言っている。
しかし克哉に目を奪われている御堂には、それを聞き取る余裕がなかった。
白いフリルのついたピンクのエプロンからは、すらりと伸びた長い手足が覗いている。
その手足は一切の布地に包まれていない、素肌のままだった。
克哉がMr.Rから、『これを着用するときには、くれぐれも全裸の上からお願いします』と念を押されたことなど、御堂は知る由もない。
驚愕のあまり言葉を失っている御堂を前にして、克哉はもじもじとエプロンの前を引っ張った。
「あの……孝典さん?」
「あ、ああ。じゃあ、食事、に……」
呆然としたまま御堂が呟くと、克哉はぱっと笑顔になった。
「分かりました、食事ですね。すぐに準備します」
「?!!」
そう言って克哉がくるりと背中を向けた瞬間、御堂はまたしても激しく動揺した。
剥き出しになった形のいい尻を振りながら、克哉はキッチンの方へと消えていく。
(どどどどうしたんだ、克哉?!)
克哉の意図するところが、まったく分からない。
これはもしや、罰ゲームか何かなのだろうか?
それにしては嫌々やっている様子はないし、なによりここには御堂と克哉以外誰もいないのだから、律儀にそんなことをする必要もないだろう。
しかしあの克哉が自らあんな格好をするなど、なにか余程のことがあったとみえる。
(私はいったい、どんな反応をするべきなのだろうか……)
御堂は半ばパニックに陥ったまま、とりあえず着替えを済ませて、食卓についた。
テーブルの上には、いつもと少し違った料理が並んでいることに気づく。
生ハムとグレープフルーツのサラダ、牛フィレ肉のステーキ、温野菜のつけあわせ……。
ケータリングではよく口にするメニューだが、和食が多い克哉の手料理にしては珍しい。
準備を終えた克哉は御堂の向かい側の席に座ると、
「今日はちょっと奮発しちゃいました」
と言いながら、一本のワインを出して見せた。
「これ、覚えてますか?」
「ああ……もちろん」
シャトー・ラフィット・ロートシルト。
それは克哉が初めて御堂に贈ったワインと同じものだった。
御堂が覚えていてくれたのが嬉しかったのか、克哉ははにかみながら御堂のグラスにワインを注ぐ。
御堂もまた、同じく克哉のグラスにワインを注いだ。
「じゃあ、乾杯」
「……乾杯」
グラスを掲げ、食事が始まる。
そのとき、御堂はひとつの考えに思い当たった。
(もしかして、今日は何かの記念日だったのか……?)
この雰囲気は、まさにそれだ。
特別な格好に、特別な食事。
しかし何の記念日なのかは、一向に見当がつかなかった。
今日は行事イベントの類とは無関係な平日だし、もちろん互いの誕生日でもない。
克哉と初めて出会った日、克哉と想いが通じた日、克哉がこのマンションに引っ越してきた日……。
どれもこれも具体的な日付を覚えているわけではなかったけれど、今日でないことだけは確かだった。
ましてや結婚記念日など、あるはずもない。
(分からん……)
御堂は次第に、考えることに疲れてきた。
自分は忘れていて、克哉は覚えている何かがあるのかもしれないが、思い出せないものはどうしようもない。
それよりもさっきから、目のやり場に困っているのをどうにかしてもらいたかった。
克哉のエプロンの肩紐が時折落ちて、そのたびに克哉は照れ笑いしながらそれを直すのだ。
これでは、食事どころではない。
裸の肩と、見えそうで見えない胸の尖りが、御堂の思考だけでなく、味覚までも麻痺させていった。

まったく味の分からないまま、ようやく食事を終える。
皿を下げるのを御堂も手伝い、克哉はキッチンで洗い物を始めた。
「ありがとうございます。ここ終わるまで、ゆっくりしててくださいね」
「あ、ああ」
しかし御堂は、その場から離れられない。
何故克哉がこんな格好をしているのかまだ分からなかったけれど、これは克哉なりに誘っているのだと思っていいはずだ。
たとえ違っていたとしても、この状況で何もするなと言うほうが無茶だろう。
御堂はそっと克哉の後ろに立つと、その滑らかな双丘をするりと撫でた。
「あっ」
食器がぶつかり、ガチャンと音を立てる。
その声に気を良くした御堂は、今度は手のひら全体で円を描くようにそこを撫でまわした。
「孝典、さん……」
「……こうしてほしかったんじゃないのか?」
「あ、あの……」
御堂の手は双丘から腰、背中をゆっくりと往復する。
クロスした紐の下や、ゆるく結ばれたリボンの奥にも忍び込む指先の感触に、克哉の身体が小さく震えだした。
「これは、新しい趣向なのか?」
「……やっぱり……おかしい、ですよね……?」
「いや、少々驚きはしたが……悪くない」
御堂は克哉を背中から抱き締めると、ほんのり赤く染まったうなじに唇を寄せる。
すっかり手の止まってしまった克哉は、それだけで乱れた吐息を零した。
裸の肩に軽く歯を立て、今度はエプロンの上から胸の尖りを探り当てる。
それは布地越しでもすぐに見つけられるほど、既に硬くなっていた。
「本当に君は、いやらしいな……」
「あっ……」
御堂は囁きながら、もう片方の手を克哉の前に回す。
そして熱くなり始めている中心を、エプロンごと握り締めた。
「こんな格好で私を誘うとは……いったい、誰に入れ知恵されたんだ?」
「ちがっ……誰に、も……」
「嘘をつくな。君が自分の意思でこんなことをするとは考えられない」
「そん、な……ことっ…」
そのまま御堂は手を動かし始める。
そこはすぐに容量を増して、御堂の手の中でどくどくと脈打った。
先端から溢れた透明な雫が、ピンクの生地を小さく濡らす。
「……なんだ、これは?」
「や、あぁっ……!」
濡れた場所を親指で抉られ、克哉の身体が大きく跳ねる。
いつもより感じやすくなっているのか、今にも達してしまいそうなほどだ。
しかしこのまま終わらせてしまうのは、あまりにも勿体無い。
御堂は克哉の中心から手を離すと、今度はその足元に跪く。
それから目の前の双丘に両の手のひらを添えると、なだらかな丸みにわざと音を立ててくちづけた。
「……可愛いな」
「あっ、やっ……」
克哉はシンクの縁に手をつきながら、ぶるぶると下肢を震わせる。
御堂は幾度もそこにくちづけた後、双丘の谷間に舌を差し入れた。
「そこは、ダメ……っ! 孝典さん……!」
克哉が焦ったように、腰を振る。
本人は逃れようとしているつもりなのだが、御堂にしてみれば強請られているようにしか感じられない。
尻房をぐいと割り開き、敏感な皮膚に舌を這わせる。
「やぁ……あぁっ……」
克哉は堪らず、エプロン越しの中心をシンクの下に擦りつけた。
先端からだらだらと溢れ続ける雫は糸を引いて、ピンク色をすっかり濃くしてしまっている。
シンクの下の硬い収納扉までもが濡れて、克哉は後孔をひくつかせた。
「もう…ダメ……我慢、出来ません……」
克哉は首を捻り、涙を浮かべながら足元の御堂を見下ろす。
御堂はそれを上目遣いで見上げ、ふと呟いた。
「……邪魔だな」
さっきからちらちらと目に入る、ピンクのリボンが鬱陶しい。
御堂はその端を口に咥えると、ぐいと顔を引いた。
「あっ……!」
リボンがはらりと解ける。
こんな僅かな布地でも、無くなってしまうと酷く頼りない気持ちになった。
御堂は満足そうに笑いながら立ち上がり、前をくつろげると、克哉の腰を抱えた。
「克哉……」
ぐっ、と御堂が腰を押し進める。
痺れるほどに疼いていた後孔が、御堂の欲望を待ち構えていたように飲み込んでいく。
「あっ、う……あぁっ……!」
克哉が喉を見せて喘いだ。
熱い楔が身体の中を貫いていく感覚に、全身が戦慄く。
こんな恥ずかしい姿で、こんな場所で、御堂と繋がっているという事実が、克哉の羞恥と欲望を最高に煽った。
「孝典さん……気持ち、いい……っ…」
御堂のものが激しく中を往復するごとに、身体中が快楽に支配されていく。
腰に食い込む御堂の指先が、最奥を突き上げる御堂の欲望が、克哉の全てになっていく。
落ちた肩紐が腕に纏わりつくのも気にせず、克哉は快感を貪った。
「あっ、いいっ…好き……孝典さん……っ」
「まったく、君は……」
御堂は息を弾ませながら、克哉を突き上げ続ける。
やはり御堂にとって克哉は、なかなか理解しがたい存在だ。
些細なことで恥らったり、妙なところで頑固だったり。
自信が無いと俯いてばかりいるのかと思えば、こんな風に突拍子もなく大胆なことをしてみせたりする。
そんな克哉が可愛くて、面白くて、そして―――とても愛しかった。
(本当に君は、私を飽きさせないな……)
御堂は笑みを浮かべ、更に激しく克哉を突き上げる。
エプロンはもうほとんど引っ掛かっているだけの状態だ。
克哉が堪らなさそうに顔を振ると、薄茶色の髪がぱらぱらと散った。
「もう……もう、イっても……いい…ですか……?」
「ああ……私、も……」
「あっ、はぁっ……イく……孝典、さん……あ、あぁぁっ……!」
「……ッ!」
克哉の後孔がきゅうと収縮し、同時に身体が大きく波打つ。
御堂の欲望が注がれるのを奥で感じながら、克哉は果てた。
びくんびくんと跳ねた中心から迸ったものが、ピンクのエプロンを白く汚す。
全てを解放すると、克哉は一気に弛緩し、キッチンの床に崩れ落ちた。



御堂がシャワーを終えて寝室に行くと、克哉はよほど疲れたのか既にベッドで横たわっていた。
慌てて起き上がろうとするのを制止して、御堂も隣りで横になる。
まだ湿っている髪を撫でてやると、克哉は気持ち良さそうに目を細めた。
「……それで? 今日はいったい、どうしたんだ?」
しかし御堂が尋ねると、克哉は表情を曇らせる。
そんなにも、話したくないのだろうか。
そう思うと、御堂は少しばかり苛立った。
「何か理由があるなら、はっきり言えばいい。それとも、私には言えないようなことなのか?」
強めに問い質すと、克哉はようやく口を開いた。
「実は、その……」
克哉の話を聞いて、御堂は唖然とした。
最近、御堂が冷たい。
それはきっと自分に飽きてきたからだ。
ならば、つきあい始めの頃の気持ちを思い出す為にも、新妻を連想させるあのエプロンをつけてみればと―――。
何故、そこでエプロンなのか御堂にはまったく理解出来なかったが、 それよりも克哉が自分に飽きられたと思っていたことこそが驚きだった。
「……君の為を思ってのことだったんだがな」
「え?」
今度は御堂が気まずそうに白状する。
「栄養ドリンクを飲んでいるだろう? 私に隠れて、しかも毎日のように」
「あ……」
克哉がつと目を逸らす。
キッチンのダストボックスの後ろに、栄養ドリンクの空き瓶が大量に隠してあることに御堂が気づいたのは、三週間ほど前のことだった。
「最近少し痩せたようだし、私は君に無理をさせているのではないかと思ったんだ。 だから君に、出来るだけ接触しないようにと……」
「……ち、違うんです!」
「ん?」
克哉は御堂の胸にすがりついて、釈明を始める。
「あれは……違うんです。前に他社の商品研究であれを飲んだんですけど、すごく美味しくてはまってしまって……。 でもMGNのライバル会社の商品だし、そんなに気に入ってるなんて、御堂さんには知られない方がいいかと思って……」
思いも寄らなかった理由に、御堂は目を瞬かせた。
「御堂さんに内緒で捨てるタイミングが見つけられなくて、それで溜まっちゃったんです」
「……そういうことだったのか」
分かってしまえば、なんということはない。
どうやらお互い、誤解していただけのようだ。
克哉はそのままおずおずと御堂の胸に顔を埋めると、頬を染めながら上目遣いで尋ねた。
「じゃあ、御堂さん……オレに飽きたわけじゃ、ないんですね……?」
「当たり前だろう。君みたいに面白い人間は、そうそういないからな」
「面白い……?」
顔を上げた克哉は、少し不満そうだ。
しかし御堂は断言する。
「ああ、君は面白い。いきなりあんな格好で、私を出迎えてくれるんだ。面白いとしか言いようがないだろう」
「……」
「それに」
御堂は笑いながら、克哉を抱き締めた。
「君に触れるのをセーブしている間、私がどれだけの努力を要したと思っている?  少しは君に飽きることが出来たほうが、私にとってはよほど楽なんだがな」
「御堂、さん……」
克哉も御堂の背中に手を回し、ぎゅっと抱き締め返す。
御堂は心から愛しそうに、克哉の髪にくちづけを繰り返した。

(倦怠期なんて、嘘じゃないか……)
力強い温もりに抱かれながら、克哉は恨みがましくMr.Rの言葉を思い返す。
彼の言葉を真に受けて、あんな格好までした自分が恥ずかしくて堪らなかった。
けれどこの先、いつか本当に倦怠期というものが訪れるかもしれないとも思う。
だからその日まで、あのエプロンは取っておこう。
愛する恋人の腕の中で、克哉は心から安堵して眠りに落ちていった。

- end -
2008.06.16



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