自慰の果実

ビジネスホテルの簡素な部屋に戻ると、ようやく人心地がついた。
資料の入った重いアタッシュケースをソファの脇に置き、スーツの上着を脱いでハンガーに掛ける。
年に二回開かれる合同部会の為、御堂は大阪に来ていた。
会議の後には懇親会と称した食事会があって、全ての予定が終わったのは十一時近かった。
今頃、克哉は何をしているのだろうか―――。
ふと考えて、御堂は無意識に目を細めていた。
明日になれば、克哉の待つマンションに帰れる。
たった二晩だけなのに、彼を抱き締めて眠れない夜がこんなにも長く感じられるとは思わなかった。
(私も変わったな……)
自分自身に苦笑しながら、ネクタイを緩めようと指を掛ける。
そのとき不意に、甘酸っぱい香りが御堂の鼻腔をくすぐった。
「……なんだ?」
この部屋で、こんな香りを嗅いだ覚えはない。
新しく芳香剤でも置いたのだろうかと、御堂は周囲を見回す。
するとテーブルの上に、血のように赤い色をした果実があることに気がついた。
「……これか?」
御堂はテーブルに近づくと、それを手に取り、鼻先に持っていく。
やはり香りの発生源は、この果実のようだ。
弾けた割れ目からは、溢れんばかりのルビー色の粒が覗いている。
「これは……柘榴か」
ホテルのサービスだろうか。
それにしてはこんなに無造作に、しかも柘榴をひとつだけ置いておくなど奇妙な話ではある。
不審に思いながらも、疲れている体は無意識にその果実を欲しがっていた。
濃厚な色と香りに誘われるように、柘榴を口元に運ぶ。
そして真紅の粒に歯を立てた瞬間、強すぎる香りに目眩を覚えて、御堂はきつく目を閉じた。

「……こんばんは」
「―――?!」
突然、背後から男の声が聞こえてきて、御堂はぎょっとして振り返る。
そこにはいつの間にか、見たこともない黒ずくめの男が立っていた。
今日は暑ささえ感じる日だったというのに、黒いコートに身を包み、黒い帽子を被っている。
「だ、誰だ、貴様は?!」
部屋に入るとき、誰かが後をつけてきた気配は無かった。
いったい、どうやって入り込んだのだろう。
御堂は慌てて部屋に備え付けてある電話に駆け寄る。
フロントを呼び出そうとして受話器を取ると、皮手袋に包まれた指先がそっと電話を切った。
「なにをする?!」
「まあ、そう騒がないでください。……御堂孝典さん」
「……」
何故、私の名前を知っているんだ。
険しい表情で睨みつける御堂に、男は柔らかく微笑み掛ける。
眼鏡の奥で細められた瞳には、ぞっとするほどの残酷さが秘められていた。
「今日はあなたに、プレゼントをお持ちしたのです」
「プレゼント……?」
「はい。あなたが寂しい想いをしていらっしゃるだろうと思いまして」
男の声も態度も、あくまで優しく、穏やかなものだ。
しかし、だからといって信用する気にはなれない。
警戒心から身構える御堂に、それでも男は笑顔を絶やさず話し続ける。
「恋人と離れて過ごす夜は、誰でも寂しさを感じるもの……。それは、佐伯克哉さんも同じなのではありませんか?」
「……!」
克哉の名前を出されて、御堂は顔を引き攣らせた。
男の掛けている眼鏡のフレームが、部屋の灯りを反射して銀の光を放つ。
「あなたに、面白いものを見せてさしあげましょう―――」



克哉はベッドの上に四肢を投げ出して、大きな溜息をついた。
「御堂、さん……」
暗い天井に向かって、小さな声で呟く。
もちろん、返事はない。
早く夜が明ければいいのにと、さっきからそればかりを考えていた。
明日になれば、御堂が帰ってくる。
克哉はごろりと寝返りを打って、いつもならば御堂がいるはずの空間をぼんやりと見つめた。
「御堂さん……」
甘えるような声で呼びながら、誰もいないシーツの上を撫でる。
さらりと乾いた手触りは気持ちが良かったけれど、克哉の望んでいる感触とは違っていた。
「御堂さん……大好き……」
本人を前にすれば照れてしまうような言葉も、今は素直に口に出来る。
けれど言葉に出してしまえば、想いはかえって募るばかりだった。
克哉は御堂の枕を引き寄せると、まるでそれが御堂自身であるかのようにきつく抱き締めた。
御堂の匂いがする。
その香りを吸い込んでうっとりと目を閉じたそのとき、枕の下に差し入れた手に何かが当たって、克哉はそこを覗き込んだ。
「なに……?」
枕を押し退け、目を凝らす。
そしてそれが何であるのか分かった途端、克哉はかあっと顔を赤くした。
「なっ……なんだよ、これ!」
それは、電動式のバイブだった。
恐らく御堂がわざと置いていったのだろう。
克哉がこうして寂しさに枕を抱き寄せることまで、計算済みだったのかもしれない。
そう考えると、恥ずかしいやら悔しいやらで、克哉は唇を尖らせた。
「もう……あの人は……」
自分がいない間、これで慰めろとでも言うのだろうか?
克哉は馬鹿馬鹿しいような気分で、ピンク色をしたそれを手に取った。
ご丁寧なことに、リモコンまでついている。
興味本位でスイッチを入れてみると、バイブはうねうねとグロテスクな動きを見せた。
冗談じゃない。
こんなもの、使うはずがないじゃないか……。
「……」
たった二晩だ。
それだけの時間が我慢出来ないほど、欲求不満ではない。
けれど、こんなのは卑怯だ。
せっかく御堂が戻るまで我慢しようと思っていたのに、こんなことをされたら―――。
バイブを見つめる克哉の喉が、ごくりと鳴った。



皮手袋の掌が指し示したのは、部屋の隅にあるテレビだった。
「テレビ……?」
「はい。つけてみてください」
テレビなどつけて、何の意味があるのだろう。
怪しすぎる。
しかしなんとなく抵抗出来ない迫力を感じて、御堂は渋々テーブルの上にあったリモコンのスイッチを押した。
電源が入り、ブラウン管に何かが映り始める。
「これ、は……?」
それは何処か見覚えのある部屋だった。
薄暗い画面の中に映るベッドの上には、一人の青年が座っている。
カメラが彼に近づき、その顔が大きく映し出されると、御堂は目を疑った。
「克哉……っ?!」
それは、確かに克哉だった。
どうりで見覚えがあると思ったその部屋は、御堂のマンションの寝室だ。
「どういうことだ、いったい……!」
しかし、振り返ると既に男の姿は無かった。
部屋を出て行くような物音はしなかったはず。
御堂はしばらく周囲を見回していたが、不意にテレビの中から聞こえてきた微かな声に耳を奪われた。
―――孝典、さん……。
克哉が、御堂の名を呼んでいる。
御堂はふらふらと誘われるようにしてテレビの正面に回ると、その映像を凝視した。
これはいったい、どういうことなのだろう。
盗撮ビデオの類かとも思ったが、カメラのアングルが移動するところを見ると、そうではないらしい。
ましてや、あのマンションのセキュリティは厳重だ。
何者かが忍び込んで、カメラを設置したとは考えにくい。
そのとき御堂は、あることに気づいた。
ベッドの上の克哉は、握り締めたものを見つめながら僅かに頬を染めている。
克哉が手にしているのは、バイブだった。
それは御堂が出張に発つ日の朝、悪戯心から枕の下に忍び込ませてきたものだ。
(ということは、この映像は録画されたものではなく、今現在の克哉なのか……?)
信じられなく思いながら見つめていると、画面の中の克哉がバイブを口元に運ぶ。
開いた唇の隙間からおずおずと赤い舌を差し出し、それを舐め始めた。
始めは遠慮がちに、やがて熱心に舌を動かすと、微かなノイズに小さな水音が混じってくる。
―――んっ……ぅ……。
ぴちゃぴちゃと音を立てながら、舌は先端から棹の部分を丁寧に辿っていく。
その恍惚とした表情は、いつも自分の腕の中で見せるものと変わらないはずだ。
しかしブラウン管を通して見る克哉は、まるで別人のように思える。
御堂がいない分、羞恥心が影を潜めているのかもしれない。
いつも以上に淫らに見える克哉の姿に、御堂の下肢がずんと疼いた。
―――…あっ……は、ぁ……。
克哉はバイブを舐め続けたまま、片手でパジャマの前を肌蹴ていく。
滑り込ませた指先で胸の尖りを摘むと、甘い吐息を漏らした。
「克哉……」
御堂は恋人の自慰を盗み見るという行為に、どこか後ろめたさを感じる一方で、異様な興奮をも覚えていた。
今までにも目の前で、克哉に自慰を強制したことはある。
しかしそれは、純粋な意味での自慰とは違っていた。
自らの意思で、自らの与える快感に没頭する克哉の姿は酷く蠱惑的だ。
やがて克哉は堪らなくなったように、性急にパジャマと下着を引きずり下ろす。
そしてシーツの上に伏せると、高々と尻を突き上げ、唾液に塗れたバイブを自分の後孔にあてがった。
―――あっ……ぐ……あぁっ……。
シーツに押し付けた頬が、真っ赤に染まっている。
バイブはずぶずぶと克哉の中に沈んでいき、苦しげな表情が次第にせつなげなものへと変わっていく。
きつく閉じた目尻に涙らしきものが光っているのも、飲み込むごとにびくびくと痙攣する尻房も、全てがはっきりと映し出されている。
克哉はそうとも知らず、深々と突き刺さったバイブをゆっくりと前後に動かしながら、自らも腰を揺らし始めていた。
―――あ、気持ち、いい……孝典、さん……孝典さん……っ……。
名を呼ばれるたび、御堂の中心は容量を増していく。
克哉の痴態は御堂を完全に捕らえ、一瞬も画面から目を離させない。
時折、御堂の手は無意識に下肢に伸びていた。
そのたびにハッとして手を離すものの、ずきずきと疼くそれはスーツの布地をすっかり持ち上げて脈打っていた。
―――孝典、さん……。
克哉はハァハァと荒い息を吐きながら、シーツの上のリモコンを震える手で取った。
しばらくためらいがちに見つめていたが、その指先がスイッチを押した瞬間、克哉の体は大きく跳ねた。
―――あぁっ……! はっ…や、ぁぁっ……!
泣き出しそうな顔で悲鳴を上げ、克哉はベッドの上で悶えよがる。
ブウゥ――ン……という微かな振動音が、御堂の耳にもしっかりと届いていた。
克哉はシーツをきつく握り締め、びくびくと体を震わせている。
あの太いバイブが、今克哉の中をいやらしく蠢いているのだと思うと、御堂は堪らなかった。
「克哉……」
御堂はふらふらとテレビに近づき、画面の中にいる克哉を指先で撫でる。
つるりとしたブラウン管の感触しか伝わるはずがないというのに、それでも克哉の髪を、唇を、滑らかな背中を指で辿った。
そして御堂はとうとうファスナーを下ろし、硬くなった自身を取り出す。
画面越しによがる克哉を見つめながら、御堂はゆるゆると手を動かした。
「かつ、や……」
―――あぁっ…孝典さん……好き……孝典、さんっ……!
御堂の声が聞こえるはずもないのに、克哉はまるで御堂に答えるかのように名を呼ぶ。
屹立の先端をシーツに押し付け、淫らに腰を揺らした。
やがてスイッチが入ったままのバイブを再び前後に動かすと、克哉の嬌声も一際大きくなっていく。
―――孝典さん…っ……もう…ダメ…っ……出る……イく……っ!
背中が、大きくしなる。
そして両足の間から覗く克哉の中心から、白濁した液体が迸るのが見えた。
「克哉……かつ、や…っ……!」
ぶるりと御堂が震えた。
御堂の放った大量の精液が、画面の中で細かな痙攣を繰り返している克哉にかかる。
克哉の髪に、克哉の頬に。
滑らかな画面をどろりと伝うそれを、御堂は濡れた指先で掬い取った。
―――孝典、さん……。
「―――?!」
うわ言のように呟いた克哉の視線が、一瞬御堂に向けられた。
そして突然、画面はノイズに消されてしまう。
それきり、テレビは何も映さない。
呆然と立ち尽くす御堂の耳に、遠くで笑う男の声が聞こえたような気がした。

- end -
2008.06.12



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