獣化の果実
「なんだ、これは?」
シャワーを終えてリビングに戻ってきた御堂は、テーブルの上に置いてある紙切れを見つけて、克哉に尋ねた。
「ポストに入ってたんです。多分、全室に配られてるんだと思いますよ」
キッチンにいた克哉は、冷蔵庫からミネラルウォーターを出しながら答える。
御堂はソファに腰掛けると、その用紙を手に取った。
『ペットに関するお願い』というタイトルのついたそれは、マンションの管理会社からのものだった。
このマンションでは、ペットを飼うことは禁止されている。
どうやらそれにも関わらず、内緒でペットを飼っている家があるらしい。
恐らくはそれに気づいた誰かが管理会社に連絡して、このお知らせを配ることになったのだろう。
『ペット禁止』という文字が、そこだけ黒々と太字で強調されていた。
「御堂さんは、犬派ですか? 猫派ですか?」
克哉がペットボトルを持ったままやってきて、御堂の隣りに座る。
「そういう派閥があるのか?」
「あるんですよ」
嘯く克哉の手からペットボトルを奪い、御堂は冷たい水を一口喉に流し込む。
それからすぐに克哉に返すと、克哉もまたそれに口をつけた。
「御堂さんは犬派な感じがしますね」
「その通りだ」
「飼ってたこと、あるんですか?」
「いや。喘息持ちだったからな」
「ああ……」
御堂が子供の頃、喘息を患っていたという話は以前にも聞いていた。
動物の毛が喘息には良くないという説もあるらしいから、それで飼うことを控えていたのだろう。
なんとなくドーベルマン辺りでも飼っていたのではないかと、克哉は勝手に想像していたのだが。
「……君は猫派だろう」
御堂が意味有りげに笑いながら言う。
「そう、思いますか?」
「そんな気がする」
確かに犬よりは猫のほうが好きかもしれない。
特に確固とした理由があるわけではないが、ある程度放っておいても良さそうだからだろうか。
逆に御堂は、そういった猫の自由さよりも、犬の忠実さのほうを好むのだろう。
そんなことを考えていたら、不意に御堂に抱き寄せられた。
「君自身も、ネコ科の獣を思い起こさせるからな」
「えっ」
耳元で囁かれて、克哉はドキリと胸を鳴らす。
セックスのときの自分を言っているのかと思うのは、深読みしすぎだろうか。
「み、御堂さんこそ」
「私が?」
「ヒョウとかチーターとか、そういう感じ……」
そこまで言ったところで、唇を塞がれる。
すぐに忍び込んできた舌に自分の舌を絡めると、克哉の呼吸はあっという間に乱れた。
薄い唇の熱っぽい弾力が触れるだけで、身体が汗ばむほどに昂ぶる。
御堂の腕に縋りついた指先に、自然と力がこもった。
「……確かに肉食なところは似ているかもしれないが、私は上等の肉しか食さない」
唇が離れた途端、にやりと笑いながら言われて、克哉は今度こそ顔を真っ赤にする。
既に力の抜け始めていた身体を御堂に僅かに預けて、克哉は恥ずかしさに俯いた。
「ベッドに行くか?」
「……はい」
小さく頷き、御堂に助けられながら立ち上がる。
それから置いたままだったペットボトルを手に取ると、それを御堂に見せながら言った。
「これ、しまってから行きますから。先に行っててください」
「……分かった」
御堂が背中を見せるのを確認して、克哉はほうと溜息をつく。
キスぐらいもう数え切れないほどしているというのに、それだけで蕩けてしまう自分がなんだか恥ずかしかった。
一呼吸置かなければ、また乱れすぎてしまう。
克哉は冷たいペットボトルを熱くなった頬に押し当てながら、キッチンへと向かう。
そして冷蔵庫を開けたとき、そこに見慣れないものを見つけて目を丸くした。
「……こんなの、あったっけ?」
それは、真っ赤に熟した柘榴だった。
さっきここを開けたときには入っていなかったはずなのに、どうしてこんなものがあるのだろう。
克哉は不思議に思いながら、それを取り出す。
柘榴は見事に弾けて、甘酸っぱい芳香を周囲に漂わせていた。
「美味しそうだなぁ……」
匂いを嗅ぐだけのつもりで、克哉は柘榴を鼻先に近づける。
しかしその濃厚な香りと色は、どうしても口にしてみたいと思わせるには充分だった。
気がつけば克哉は、真紅の果実に歯を立てていた。
そして柔らかな果肉の感触を味わった瞬間、目の前がぐらりと大きく揺れて、そのまま意識が遠のいていった。
「ん……」
意識が戻ったとき、克哉はキッチンの床に倒れていた。
いったい、どうしてしまったのだろう。
床に両手をついて上半身を起こしたまでは良かったが、そのまま立ち上がろうとしたものの力が入らない。
身体のどこにも痛むところは無いのに、どうもおかしい。
何度も立ち上がろうとしては失敗して、克哉は焦りながら床を這い蹲っていた。
「……何をしている?」
そのとき視界に御堂の足先が見えて、克哉は顔を上げる。
立てないんです、と言いたかったのだが、何故かうまく声が出ない。
そうこうしているうちに御堂が近づいてきて、克哉の前にしゃがみ込んだ。
「どうしたんだ? 腹でも空いたのか?」
克哉の髪を撫でる御堂も、どこかおかしい。
自分を心配している様子もなく、助け起こしてもくれないのだ。
克哉は嫌な予感がして、必死で声を振り絞った。
「……にゃあ」
自分で自分の耳を疑う。
今、変な声がしなかったか?
「にゃあ、にゃあ!」
普通に言葉を喋ろうとしているにも関わらず、口から出るのはどう聞いても猫の鳴き声だ。
克哉は慌てて自分の身体を眺め回す。
さっきまで着ていたはずのバスローブはなく、素っ裸ではあったものの、身体は確かに人間だった。
しかし足に何かふわふわしたものが触れている。
首を捻って後ろを見てみると、そこには長い尻尾がくねくねと曲線を描いていた。
(なんだよ、これ?! どういうことだ?!)
信じられない光景に、冷や汗がどっと噴き出す。
克哉は助けを求めて、御堂の膝にすがりついた。
「にゃっ……にゃあ! にゃあ!」
「ああ……そうか。喉が渇いているんだな?」
克哉がどんなに説明しようとしても、猫の鳴き声では御堂に伝わるはずもない。
御堂は見当違いのことを言いながら、突然バスローブの前をくつろげた。
「ミルクが欲しいのなら、たっぷりと飲めばいい」
「―――!!」
うなじを掴まれ、顔が下肢に押し付けられる。
それから御堂は克哉の顎を捉えると、まだ力無く萎えたままの中心を、その口に含ませた。
「んっ……ぐ……」
「……お前は、これが好きだっただろう?」
顔を離そうにも、頭を押さえつけられている所為で動けない。
もがくたびに舌が御堂のものに触れて、そこは次第に熱を帯びてきた。
(どうして、こんな……。猫の話なんて、していたからか?)
いくら考えても、答えが出るわけもない。
何が起きたのかも分からぬまま、克哉は四つん這いの姿勢で懸命に息苦しさに耐えていた。
口内を満たし始める御堂の欲望に、いつしか克哉も自ら舌を這わせる。
「……上手だ」
「ん……んっ…ふ……」
唾液を絡ませながら、ぺちゃぺちゃと音を立てて棹をしゃぶる。
先端をぐるりと円を描くように舐め、それから筋を丹念に辿ると、御堂のものは一層容量を増した。
苦しさに涙が滲むものの、御堂が感じていると思うと克哉も行為に夢中になっていく。
歯を立てないよう注意を払いながら、克哉はいつもしているように、熱心に御堂の屹立を愛撫した。
「いいぞ、克哉……。お前はいい子だ……」
御堂が髪を撫でるたび、指先が何かに当たる。
それが自分の耳だと分かるまで、しばらく掛かった。
きっと、猫の耳が生えているに違いない。
見なくても分かる。
その耳に触れられるのがとても気持ちよくて、克哉は恍惚とした表情を浮かべた。
「んぅ……」
声にならない声を漏らしながら、克哉は口淫を続ける。
やがて御堂のものがどくどくと脈打ちだすのを、舌先に感じた。
「かつ、や……出すぞ……っ…」
ざらりとした舌を大きく動かした瞬間、御堂の腰がぶるりと震えた。
同時に迸ったものが、克哉の口内にどっと流れ込んでくる。
克哉は喉を上下させて、それを全て飲み込んだ。
「…にゃぁ……」
異常な状況にあることは分かっていても、それ以上頭がうまく働かない。
どうしてこんなことに、と考えたくても、思考はそこで停止してしまう。
それよりも、すっかり熱くなってしまったこの身体をなんとかしてほしかった。
御堂は汚れた克哉の口元を拭ってやると、視線を下肢に落として笑った。
「……随分と興奮しているようだな」
「にゃあ……」
克哉は強請るように、御堂の膝に顔をすり寄せる。
もう、自分の姿などどうでもいい。
御堂はそんな克哉の背中を愛しそうに撫でた。
「……そうだな。次はお前を満足させてやらなければ」
そう言って、手のひらを背中から腰に滑らせていく。
そして尻尾の先が指先に触れると、御堂はそれをするりと握り込んだ。
「にゃ、あ……っ!」
克哉の身体がびくんと跳ねる。
今までに感じたことのない刺激に、克哉はおろおろと鳴き声を上げ続けた。
御堂はゆるく握った手を、ゆっくりと上下に動かす。
その感覚は克哉の全身に伝わり、克哉は快感に戦慄いた。
「お前はこれが気持ちいいんだろう?」
「にゃ、っ……みゃ…あ……にゃあっ……!」
まるで性器を擦られているようだ。
克哉の身体から力が抜け、御堂の膝に押し付けていた顔がずるりと床に落ちる。
「みゃ……みゃあ…っ……」
キッチンの硬い床に転がった克哉は、ぴくぴくと四肢を痙攣させながら悶えた。
そして―――。
「にゃッ……!」
御堂が克哉の尻尾を、ぐいと強く引っ張った。
その途端、克哉は大きく目を見開き、身体を波打たせる。
すっかり硬くなっていた中心から、どろりと透明な雫が溢れて床を濡らした。
「そんなに気持ちがいいのか? 本当にお前はいやらしい猫だな……」
「にゃ……ぁ……」
頭の上で御堂がククッと笑うのも、克哉の耳には入ってこない。
今はただ、早く自分の中を御堂のもので満たしてほしかった。
克哉は自ら四つん這いになると、御堂に尻を突き出す。
無意識に尻尾が揺れて、その姿に御堂はまたしても喉の奥で笑った。
「おねだりか? 仕方の無い奴だ」
御堂が克哉の双丘に手を掛ける。
そしてさっきからひくひくと収縮を繰り返していた後孔に、先端があてがわれた。
「……入れるぞ」
その言葉を合図に、熱い塊がぐっと入り込んでくる。
息を詰めたのも束の間、そのまま御堂は一気に奥まで克哉を貫いた。
「にゃ、ああぁっ……!」
細く、甲高い悲鳴のような鳴き声が、キッチンに響き渡る。
克哉は冷たい床に額を押し付け、御堂に揺さぶられるがままになった。
御堂の欲望は、まるでそれ自身が意思を持つ生き物のように、克哉の中を掻き回す。
唇の端から溢れた唾液と、中心から零れる雫が、どちらも糸を引いて床に落ちていった。
身体中が、頭の中までが、燃えるように熱い。
御堂は克哉を貫きながら、再び克哉の尻尾を握り締めた。
「にゃ、ぁッ……!」
余りにも強すぎる快感に、克哉は反り返って喘ぐ。
いつもとは全く違う場所から与えられる刺激が、人としての理性を奪っていく。
克哉はまさしく獣のように、悦楽に身を任せた。
「みゃ…っ……にゃあ……あッ……!」
もう、イきたい。
これ以上は、狂ってしまう。
克哉が腰を振ると、御堂の律動も激しさを増す。
そして再び尻尾をぎゅっと握り締められた瞬間、克哉の中心が弾けた。
吐精の快感に、頭の中が真っ白になる。
電流が全身を走り抜けたかのごとく、克哉は痙攣を繰り返した。
「……みゃ……ぁ………」
か細い鳴き声を上げながら遠のいていく意識の中、身体の奥で御堂が放つ熱を微かに感じていた。
誰かが自分を揺さぶっている。
「……つや、克哉!」
聞き覚えのある声に、克哉ははっと目を覚ました。
心配そうに覗き込んでいる御堂と視線がぶつかって、克哉は慌てて飛び起きる。
「あっ、オレ、あのっ」
「どうしたんだ、克哉? 貧血でも起こしたのか?」
鼓動が激しい。
克哉は訳が分からないまま、恐る恐る自分の腰に手を回した。
何も無い。
今度は、頭に。
やはり、そこにも何も無い。
「……何をやっているんだ?」
訝しげに様子を見ている御堂に、克哉は尋ねる。
「あの、御堂さん、オレ……人間に見えてますか?」
「はぁ?」
御堂が盛大に首を傾げる。
それから両の手のひらで克哉の頬を挟み込むと、その瞳をまじまじと見つめた。
「大丈夫か? 頭でも打ったのか? 気分は?」
「いえ、だ、大丈夫です」
そういえば、さっきからちゃんと人の言葉を喋れているではないか。
とすると、今のは……。
「……夢だったのかも」
「夢だと?」
御堂は溜息をついて、克哉の頬から手を離す。
「なかなか来ないから心配してきてみれば、こんなところで夢を見ていたというのか? キッチンの床で?」
「え、ええと、あの……」
なんと説明すればいいのだろうか。
確か冷蔵庫を開けて、柘榴を食べて―――それから、おかしくなったのだ。
けれどそんな話、御堂に信じてもらえるはずがない。
自分が、猫になったなど。
「すみません、何でもないんです。ちょっと目眩がしただけで」
克哉は作り笑いを見せながら、よろよろと立ち上がる。
しかし立ち上がった瞬間、その笑みがさあっと引いた。
「あっ……」
両足の間から、白濁した液体がとろりと伝い落ちる。
まだ床に膝をついたままだった御堂は、それを目の当たりにしてしまった。
「克哉……」
「あ、あのっ! 違うんです、これは!」
「何が違うんだ」
御堂は立ち上がると、克哉の肩を抱き寄せる。
そして押し殺したような低い声で、克哉に囁いた。
「いったいどんな夢を見ていたのか、ベッドの中でじっくり聞かせてもらうことにしよう」
「え、ええと……」
どうやら、御堂は怒っているようだ。
克哉は冷や汗を掻きながら、御堂と共に寝室へと向かう。
キッチンの隅では、歯型のついた真紅の柘榴がひとつ、転がっていた。
- end -
2008.06.18
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