Selfish Baby


龍斗が天戒の屋敷に戻ったのは、もう既に夕餉も終わってだいぶ経った頃だった。
天戒の命が無ければほとんど村を出ない桔梗と澳継に対して、九桐と龍斗は比較的自由に行動している。
それでも、龍斗が夕餉の席を外すことは滅多に無かった。
しかし呑気な龍斗はちょっと遅くなったかな、程度にしか考えてはいなかったのだ。
「ただいま〜」
龍斗の声を聞きつけた澳継は自分の部屋から飛び出して、玄関先へと走った。
「おいッ!! たんたん!!」
龍斗の前に仁王立ちになると、いきなり怒鳴りつける。
「おお、澳継。どしたー?」
「どしたーじゃねェ! てめェ、こんな時間までどこ行ってやがった!?」
澳継はたいした憤慨ぶりを見せつけているが、彼の龍斗に対する態度はほとんどがこんな調子なので龍斗もまともには取り合わないことにしている。
平然としている龍斗に、澳継は苛々と足を揺すった。
「俺? 奈涸んとこで蔵の整理手伝って、そのまんま飯食ってきたんだけど……」
「てめェのせいで俺達がとばっちりくったんだからな! 早く御屋形様のところへ行きやがれッ!!」
澳継はそう吐き捨てると、どすどすと怒った足音を立てて再び自分の部屋へと戻っていく。
本気で龍斗がどこに行っていたのかを聞きたかったわけではなく、ただ怒りをぶつけたかっただけらしい。
「なんだぁ、あいつ……?」
龍斗は訳の分からぬまま、それでも天戒の部屋に向かうことにした。

天戒の部屋に通じる廊下に出たところで、龍斗は盆を手にした桔梗と鉢合わせた。
「おや」
「ああ、桔梗。ただいま」
龍斗の顔を見た途端、桔梗はほぅっと安堵の溜息を吐いた。
「あぁ、良かったよ、たーさん。やっと帰ってきておくれかい。まったく、何処に行ってたんだい?」
「なんだよ、どうした?」
桔梗といい澳継といい、自分がいない間に何かあったのだろうか。
訝しげにしている龍斗に身を寄せると、桔梗は天戒の部屋の方を気にしながら小声で告げた。
「実は……天戒様がずっとご機嫌斜めでねぇ」
「えっ?」
桔梗はますます体を近づけて、更に声をひそめる。
「何がお気に召さなかったのか知らないけど、ずっとぴりぴりしてらしてねぇ。こんな時にあの坊主はいないし、あたしも手を焼いていたところなんだよ」
「へぇ……。珍しいこともあるもんだな」
天戒がそんな風に他の者達にあたるなど、この村に来てから一度も見たことがない。
余程のことがあったのだろうか。
龍斗は首を傾げた。
「ああ。それで澳継も」
さっき澳継はとばっちりをくったと言っていた。
きっとまたろくでも無い失言をして、いつもより強く諌められでもしたのだろう。
それを自分の所為だと言われるのは納得がいかなかったが、龍斗は勝手にその場を思い浮かべて、人の悪い笑みを零した。
「なんだい、ひとりで笑ったりして。いやらしいね」
「あ、いや。何でもないよ」
「……まぁ、いいさね。とにかくたーさんが戻ってきてくれたのなら安心だよ。天戒様のこと、後は頼んだよ」
「えっ? お、俺が?」
機嫌が悪いのなら会うのはやめておこう、そう思ったところだったのだ。
しかし桔梗は当然といった顔で龍斗を横目で見やる。
「悔しいけど、たーさんは天戒様の一番のお気に入りだからねぇ。あんたの顔を見れば、天戒様も少しはご機嫌を直してくださるに違いないさ」
「う〜ん……」
桔梗は持っていた盆で、躊躇している龍斗の尻を軽く叩いた。
「そら、行った、行った。ああ、天戒様はもう随分と呑んでらっしゃるからね。これ以上は呑ませないでおくれよ」
結局その場にひとり残された龍斗に、選ぶ権利など無いのだった。

「酒を取ってくるだけで、随分と……」
入ってきたのが桔梗だと思い、天戒はそこまで言って人違いに気づき口を噤んだ。
「よッ、天戒。ただいま」
「……」
天戒は応えもせずに、既に空だと分かっている徳利を尚も逆さに振る。
(こりゃ、ほんとに機嫌悪いみたいだな……)
龍斗は苦笑しながら、天戒の側に胡座をかいた。
「なんだよ、随分と呑んだんだな。……あ、こっちまだ少し余ってるみたいだぜ?」
膳の上に並べられた徳利のひとつを振ると、ちゃぷちゃぷと微かな音がした。
天戒は龍斗の手からそれを奪うと、自分の猪口に注いだ。
「おい、俺にも呑ませろよ〜」
「……」
天戒は矢張り応えようとせず、それを一口嘗める。
流石の気不味い雰囲気に、龍斗は困って頭を掻いた。
「……龍」
「ん、んっ?」
漸く口を開いてくれた天戒に、龍斗は表情を明るくして身を乗り出す。
しかし、天戒の顔つきはあくまで険しかった。
「お前……今日は何処に行っていた?」
「えっ?」
いったい、この質問をされるのは何度目だろう。
龍斗は少々うんざりしながらも、ここは答えるしかないのだろうと判断した。
「あー……奈涸に蔵の整理を手伝ってくれって頼まれてさ。その後、お礼にって晩飯ご馳走になってきたよ」
帰りが遅くなった理由を尋ねられたのだとばかり思った龍斗は澳継にしたのと同じ説明をしたのだが、どうやらそれでは不足だったらしい。
天戒は酒をもう一口嘗める。
「……その前からだ。朝飯の後、王子の骨董屋に行くまでは何をしていた」
「えぇ〜……」
これではまるで御厨の旦那にお調べを受けているようではないか。
龍斗はややムッとしながらも、朝からの自分の行動を思い起こしてみた。
「朝は霜葉と一緒に鍛錬をしたなぁ……その後、弥勒に内藤新宿まで買い出しにつきあってくれって言われたんで行ったんだ。 そこで奈涸に捕まったんだな……でも、それがどうしたんだよ?」
あと少しで『もういい加減にしろよ』と言いそうになったとき、漸く天戒の表情が僅かに緩んだ。
「なるほどな……。どんなに待っても捕まらんわけだ」
「はぁ?」
天戒は残っていた僅かな酒を飲み干して、
「……お前に会うには、一日がかりだ」
と呟いた。
「……それは……つまり……」
龍斗は一瞬唖然とし、それから堪らなく可笑しくなった。
要するにこの男は拗ねていたのだ。
江戸の鬼ともあろう男が、たった一日自分の姿が見えなかったからと言って、桔梗や澳継にまで分かるほど機嫌を悪くしていたとは……。
龍斗は顔を伏せ、懸命に笑いを堪えていた。
「……何が可笑しい」
「い、いや」
そうと分かれば簡単なことである。
龍斗は笑いを何とか飲み込み、居住まいを正すと真面目な顔で天戒に向き直った。
「不肖、緋勇 龍斗。何処にいようとも御屋形様への忠誠は忘れず……」
「よせ。そのような言い方をお前にされるのは……好きではない」
「そうか? なら……」
龍斗は天戒に膝を寄せて身を乗り出し、その耳元に囁いた。
「ごめんな、天戒」
「……」
「ん? うわっ」
天戒は龍斗の体を乱暴に引き寄せると、その腕の中に抱え込んだ。
それでも尚、龍斗は惚けて尋ねる。
「……俺に何か急ぎの用でもあったのか?」
「用が無くては、俺はお前の顔を見ることも出来ぬのか?」
「んなことはないけどさぁ」
「龍」
天戒は龍斗の肩をぐいと抱き寄せ、顔を上げさせた。
「俺が顔を見たいとき、いつでも見られる場所にいろ。俺が触れたいと思ったとき、いつでも触れられる距離にいろ。それが俺の―――本音だ」
「……」
その言葉に龍斗は再び顔を伏せて、押し殺した笑いを漏らす。
「……我侭な奴だと思っているのであろう」
「勿論。酷い我侭だ……ククッ……」
「……ふん。お前ももう少し俺に対し、我侭になってくれたら良いものを」
「ふぅん?」
見れば、天戒も流石にばつが悪そうな顔をしている。
このままでは少々可哀想に思えた龍斗は、天戒の頬に触れながら言った。
「では、今宵はずっと一緒にいてもらえますか?」
……我侭になっておらん。
未だ憮然としている天戒に、龍斗は笑いながらくちづけた。

- end -

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