鎖
最近、龍斗は遠くばかり見ている。
皆と笑い合っていたかと思えば、ふいにその場から離れてひとり座っている。
意図して気配を消しているのであろう、俺以外の誰もそのことに気づいていない。
そうしてただぼんやりと山の向こうに広がる空を眺めたり、飛び去っていく鳥をいつまでも目で追っていたりする。
そんな姿を見かける度に、俺は酷く不安に駆られるのだ。
龍斗は離れにいた。
薄暗い縁側に座り、顔を少し上げている。
夕陽はとうに宵闇に追いやられ、紺色をした空には半分欠けた月が光っていた。
その弱々しい月光の中に浮かんだ横顔は、何処か寂しげにも見えた。
「……龍」
「あぁ、天戒」
俺が来たことなど気配ですぐに察したであろう?
何故、声を掛けられるまで気づかなかったようなフリをする。
言いようのない苛立ちに襲われながらも、俺はその感情をぐっと呑み込んだ。
「どうした。疲れているのか?」
「いや、別に。そう見えたか?」
「ああ」
龍斗は笑う。
お前の笑顔が好きだった。
だが、今はその笑顔が辛い。
「龍、お前にひとつ提案があるのだが」
俺は龍斗の隣りに腰を下ろした。
「なに、提案って?」
「うむ。……俺の部屋で寝起きをしてはどうかと思ってな」
「え、ええっ? どうした、突然?」
驚くのも無理は無い。
馬鹿なことを言っていると俺自身も分かっていた。
ただこうすればお前が夜の内に、黙ってこの村を出て行くことが出来ないだろうと思ったのだ。
まるで童が考えたような、愚かな策。
その程度でこの不安を拭い去ることなど出来るはずも無いというのに、それでも俺は足掻くしかなかった。
「お前が俺の部屋で寝起きをすることに、理由が要るのか」
俺が言うと、龍斗は肩を震わせた。
「いや、まあ、理由は要らないけどさ。でも……いいよ」
「何故だ?」
「恥ずかしいじゃねぇか。ただでさえ同じ屋敷にいるのに、そこまでしなくともいいだろう」
「……そうか」
「どうしたんだよ、天戒。お前、少し変だぞ?」
そうだ、俺は何処か正気を失くしている。
だがそれは、お前がそうさせているのだ。
俺が気づいていないとでも思っているのか?
お前はこの村を、己の居るべき場所ではないと思い始めている。
確かにお前はこんな山奥の隠された村に留まるような男ではない。
俺には俺の使命があるように、お前にはお前にしか成せぬ使命がある。
それは柳生の手からこの国を護ったことだけで終わるようなものではない。
だから俺はあの富士で、お前との別れを覚悟していた。
もしも二度と会えずとも、俺のお前への気持ちは変わらないからと。
だが、お前は戻ってきた。
これからも俺の傍にいると言った。
今更そんな目をするならば、何故初めから姿を消さなかったのだ。
「龍……」
「若、師匠。こんなところに居たんですか」
姿を現したのは尚雲だった。
「もう飯の用意が出来てますよ」
「そうか。すぐに行く」
話を遮られたことは俺にとって幸運だった。
問い詰めれば龍斗は答えを出してしまっていたであろう。
そしてその答えは聞かずとも分かっている。
責めたてたい気持ちとは裏腹に、俺はこの不安を終わらせることから逃げていた。
「じゃあ、先に行ってます……っと、師匠。明日なんだが、時間はあるか?」
「うん? なんだ?」
「王子の骨董屋に行きたいんだが、師匠も一緒に行かないかと思ってな」
「ああ、いいぜ。最近、行ってなかったからな」
「そりゃ、良かった。それじゃあ、後で」
二人のやり取りを聞いて、俺は僅かな安堵を手に入れる。
少なくとも明日一日は、龍斗はまだこの村に居ることとなったのだ。
俺は無様だ。
だが、無様でいい。
それで構わない。
こんな風にその日その日、辛うじてお前をここに引き止めておくしかない。
お前の気持ちを思いやる余裕など、今の俺には無いのだから。
夜風が心地好い。
何処からか梟の啼く声が聞こえる。
「……今日、桔梗が町で良い酒を買ってきた。後で俺の部屋で呑まぬか?」
「おう、そりゃいいな。じゃあ、飯の後に行くよ」
「ああ」
「さて、俺達も行くとするか」
「……待て」
立ち上がろうとした龍斗の手を引き、腕の中に収める。
きつく抱き締め、その唇を塞いだ。
「んっ……」
息苦しそうにもがく身体を一層強く抱く。
無理矢理に舌を捩じ込むと、やがて観念したように俺の背に手を回してきた。
もっと俺にしがみつけば良い。
身も心も。
暫く貪り合い、やがて戒めを解くと、龍斗は僅かに息を弾ませながら俺を睨みつけてきた。
「……随分といきなりだな」
「文句があるか?」
「ああ、おおいにあるね。飯の前だってのに、妙な気分になっちまったじゃねぇか。どうしてくれる」
「そのままでいるが良い。後で鎮めてやる」
「……恥ずかしいことを言うなよ」
俺は胸の内の暗い想いを押し隠して、笑ってみせた。
もしもお前がこの村を出て行こうとしたなら。
俺の傍から去ろうとしたなら。
その時、俺はお前を斬るだろう。
一瞬の躊躇いも無く、お前が痛みを感じぬよう一太刀で逝かせてやろう。
それともお前の足を杭でこの地に打ちつけ、身体を鎖に繋ぐが善いか。
俺がそこまでお前に執着していることを、お前が知らぬはずはない。
―――嗚呼、縛られているのは俺のほうか、お前のほうか。
お前を得るためならば、俺は本物の鬼となる。
そして奈落の底まで、お前と共に堕ちようぞ。
- end -
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