微熱


屋敷から表に出ると、天戒は注意深く村の様子を見渡す。
すっかり身に付いてしまった習慣は、そうそう変えられないらしい。
しかし、目に入る限りの光景は至って穏やかだ。
どんなに陽射しが暖かくとも、どんなに子供達がはしゃいでいても、 この村には常に翳りがつきまとっていたような気がする。
剣の稽古に励む者や見張り櫓に立つ者、直接闘いに加わることの無い者までもが、 いつも胸の内に復讐という名の昏い炎を燃やしていたからなのかもしれない。
けれど今の村人達の笑顔には、未来を信じる明るさと、明日を変えようとする強さがあった。
勿論、負わされた傷はそう簡単に癒えるものではない。
それでもこの明るさを齎してくれた彼に、天戒は感謝の念を抱かずにはいられなかった。
「―――天戒様」
いつからそこにいたのだろう。
意味ありげな笑みを浮かべた桔梗が、すぐ近くに立っていた。
「おお、桔梗か」
「天戒様、たーさんをお探しで?」
「ん? い、いや」
確かに辺りを見回してはいたが、そんなつもりはなかった。
否定しかけた天戒の言葉を、鈴を転がすような笑いが遮る。
「今更、照れるこたぁないじゃありませんか。たーさんなら那智滝のほうに行ったみたいですよ。 見かけたのはついさっきですから、すぐ追いつきますよ」
「……」
くすくすと笑いながら去る桔梗の後ろ姿を見ながら、そんな風に思われているのか、と少々落胆した。
しかし、強ち桔梗の勘違いとも言い切れまい。
恐らくは無意識に龍斗の姿を探していたのが見抜かれてしまったのだ。
そう心得る他は無いと思わせる理由が、天戒の中にはあった。

那智滝の周辺は、流れ落ちる水音が余計に寒さを増しているようだった。
地面は柔らかく、すっかり葉を落とした木々が空に網目模様を描き出している。
もう少しで林を抜けるというところで、白い胴着の背中が見えた。
「た……」
声をかけようとして、躊躇う。
龍斗は膝を抱え、ただじっとそこに座っていた。
その背中が何もかもを拒絶しているように感じる。
けれどそれは決して攻撃的なものではない、寧ろ自分で自分を消そうとしているかのような―――。
(龍……?)
振り返ってくれ。
天戒は何故か、そんなことを願っていた。
焦って手を伸ばせば、するりと逃げられてしまうような気がした。
「……?」
願いが通じたのか、龍斗がゆっくりと振り返る。
「あれ……天戒」
「あ、ああ」
声を発した途端に、龍斗を覆っていた膜のようなものが剥がれた。
今のはいったい何だったのだろうか?
思いながら天戒は、龍斗の隣りに腰を下ろす。
「……すまんな。邪魔ではなかったか?」
「まさか」
笑いながら龍斗は言って、眼下を流れる川に向かって小枝を投げる。
それから二人は黙ったまま、暫く滝を眺めていた。
滝の水音と、鳥の囀りだけが辺りに響いていた。

「―――なにか、あったのか?」
あまりにも唐突な問いかけに、龍斗は目を丸くして天戒を見た。
「……え? なにが?」
「……」
天戒は答えず、膝を抱えている龍斗の手に触れた。
妙に力のこもった指先が、脛の辺りに強く食い込んでいる。
寒さにほんのりと赤くなっている手の甲を、天戒は擦ってやった。
「……何を一人で抱えている?」
「……」
天戒の気がかりは恐らく当たっていた。
漸く柳生との闘いを終えて穏やかな日々を取り戻したというのに、 龍斗はしばしば村から姿をくらますようになった。
ふと気づくと姿が見えない。
誰に尋ねても行方が知れず、その癖知らぬ間に戻ってきては、何食わぬ顔で飯を食っていたりする。
もちろん龍斗も子供ではないのだから、いちいち行く先を告げてから外出するわけではないだろう。
非常時に備えて村に常駐していなければならないということもなくなった。
龍斗がいつ、何処へ行こうと、龍斗の自由だ。
けれどその度に、こんな風に昏い顔をして一人でいるとなれば話は別だ。
何があったというのか。
天戒の手に擦られているうちに、龍斗の指は次第に緩んでいった。
「……なぁ。あの富士の頂で、俺が最後に柳生に放った拳を覚えてるか?」
「勿論、覚えているが……突然、どうした?」
「……」
龍斗は膝を抱えていた手を離し、天に翳した。
木漏れ日に照らされた掌が、龍斗の顔に影を落とした。
富士の頂き。
その言葉だけで、あの凍てつく寒さが甦るような気がする。
震える大地、唸る山々、修羅の妄執に取り憑かれた魔人との闘い。
正直、よく全員が生きて帰れたと思う。
龍斗は翳した掌をゆっくりと握り締めると、その拳をじっと見つめた。
「……あの時、俺は初めて身をもって感じたんだよ。龍脈の力、ってやつをさ……」
最後に龍斗が放った拳は黄金色に光輝き、あの男を貫いた。
その瞬間に天は割れ、陰陽の気はあるべき場所に戻り、 この地に光が降り注いだ。
それはまさに奇跡。
天の所業だった。
「俺の体の中を、一瞬で龍脈の力が駆け抜けた。 森羅万象、この世の全てを司る力、黄金の龍―――」
話しながら、龍斗の拳が小さく震えだす。
龍斗はその拳を胸に抱え込み、怯えた子供のように背中を丸める。
「分かっていたつもりだった……自分が何をするために生まれてきたのか。 どんなものを相手に戦わなければならないのか。でも……本当はなにも分かっちゃいなかった……。あの力の大きさを……」
「龍……」
「可笑しいだろう? 今頃になってこんなこと言うの。 なんでもない時に、急に思い出すんだ。それで怖くなっちまう。馬鹿だよな。みっともねェ……」
「龍、そんなことは」
天戒はそれ以上、龍斗に掛けるべき言葉を持っていなかった。
龍斗の背負う宿命の重さも、龍脈の持つ力の大きさも、想像することならば誰にでも出来よう。
けれどそれはあくまでも想像でしかない。
龍斗の感じている重圧も、恐怖も、龍斗にしか分からないものだ。
叶うものならばその重荷を半分負わせてくれと申し出るだろうが、 今の龍斗にはきっと気休めにしかならないだろう。
天戒に出来ることはただ、縋るように体を寄せてくる龍斗の背中を抱いてやることぐらいだった。
初めて見る弱さを曝け出した龍斗の姿に、天戒はどうしようもない胸の痛みを感じていた。
「龍……すまなかった。お前の気持ちに気づいてやれずに……」
龍斗は天戒の胸に額を押し付けたまま、首を振る。
「……違うんだ、天戒……。俺が本当に怖いのは、俺自身のことなんだよ。 俺は……俺もあいつと変わらない、化け物なのかもしれないって……」
「―――龍!!」
なにを言い出すのか。
天戒は龍斗の肩を掴み、顔を覗き込む。
「馬鹿なことを言うな! そんなわけが……」
「でも! でも俺は……!」
「龍!!」
「……」
嗜める強い口調に、龍斗は唇を噛む。
天戒は俯く龍斗の頬に手を添えて、その唇を親指で辿りながら言い含めるように囁いた。
「龍……俺はお前が何者であろうと、お前の傍を離れる気はない。 お前と共に闘い、お前と共に生きる。俺はそう決めている。 それだけでは不安か? 頼りないか?」
龍斗は再び首を振る。
荷を引き受けることは出来なくとも、傍にいて支えることならば出来るだろう。
天戒は未だ俯いている龍斗の目の前に、小指を差し出した。
「ならば、約束だ。もう、一人で馬鹿なことを考えるのはやめろ。 これからは、もっと俺を頼れ。また怖くなったなら、すぐに俺の元へ来い」
「……」
龍斗は天戒を見上げる。
まるで保護者のようだ。
弱みを見せてしまったことを気恥ずかしく思いながらも、 天戒の優しさが嬉しくて、思わず笑みが零れた。
「……どうした?」
「ううん……」
立てられた小指と小指が絡まる。
天戒はそれを引き寄せて、龍斗の指先にそっと唇を寄せた。
そこには口づけの熱っぽさも、抱擁の力強さも無かったけれど。
今はこの微かな温もりこそが、この世で最も確かで、最も大切なもののように二人には思えた。

- end -

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