歌
シーナがいつからか景色のいい場所を探すようになったのは、何も心境の変化があったからではない。
本当ならこんな面倒なこと、しないで済むものならしたくはなかった。
しかし何しろ相手は人ごみが苦手で、しかも一度機嫌を損ねたら元に戻すのは一苦労なのだ。
石板の管理という仕事もあるからあまり遠出は出来ないし、かといって本拠地の中では人目につきすぎて、
構っても嫌がられるだけで終わるのは目に見えている。
だからこそシーナは手頃な場所を探すことに、労力を惜しまなかったのである。
それもこれも全ては恋人―――と呼んだら本人は激怒するだろうが、
ルックと二人きりになれる口実を得る為なのだった。
その日もシーナは本拠地から少し離れた場所に、億劫がるルックを半ば無理矢理に連れ出した。
お天気は快晴、絶好の散歩日和。
初めはぶつぶつと文句を言っていたルックも、
湖から吹く風に揺れる一面のシロツメクサを見ると、流石に表情を和らげた。
「……こんなところ、あったんだ」
まんざらでもなさそうに呟いたルックを見て、シーナは満足げに笑う。
大きく伸びをすると、体の中まで爽やかな風に満たされるような気がした。
ルックは草の上に座り、そのままごろりと仰向けに寝転んでみた。
頭上に広がる青い空が眩しくて、目を閉じる。
草と土の匂いが鼻先を掠め、ルックは少しだけまどろんだ。
「……その歌、なに?」
浅い眠りの中で、ずっと同じ歌が流れていた。
ルックが目を開けると、隣りに座っているシーナはいつの間にか花冠など作っている。
シロツメクサを器用に編む姿はまるで似つかわしくなくて、けれど彼は上機嫌で歌を歌いながら、その作業に没頭していた。
「さっきからずっと歌ってる」
「え、知らない? この歌」
それだけ言って、また歌い始める。
質問の答えになっていないじゃないか。
ルックは眉根を寄せた。
「知らないよ。初めて聞いた」
「さっきヨシノさんが洗濯しながら歌ってんの聞いて、思い出したんだよね。ガキの頃、よく歌ってたんだけど」
そして、また続きを歌う。
確かに子供が好みそうな歌だった。
単純で、どこか懐かしいメロディーの繰り返し。
けれどルックが一番気になったのは、歌詞の意味がまったく分からなかったことだ。
どこか他の国の言葉なのだろうか、と思いながら尋ねる。
「その歌詞、どういう意味なの?」
「意味なんてないだろ。多分、ただの言葉遊びだよ」
その答えに、漸くルックは納得した。
奇妙に韻を踏んだだけの、無意味な言葉の羅列だったのだ。
けれどそれは馴染み易いメロディーと上手く調和して、酷く耳に残る。
子供なら誰でも知っているような歌なのかもしれない。
ルックは自分が幼かった頃のことを思い出してみた。
歌を口ずさんだ記憶など無い。
誰も歌など教えてはくれなかったし、歌って聞かせてくれる人もいなかった。
それを寂しいことだとは思わなかったけれど、楽しそうに歌い続けるシーナの横顔を見ていると、ほんの少しだけ羨ましくなった。
シーナは繰り返し繰り返し、歌い続ける。
そしてルックはそれに聞き入っていた。
「……出来た!」
不意にシーナが声を上げた。
手にした花冠を掲げて、寝転んでいるルックに微笑みかける。
ルックは我に返り、先手を打った。
「……言っておくけど、僕はそんなものいらないからね」
「えっ!?」
シーナはがっくりと肩を落としたが、次の瞬間にはもう立ち直っていた。
「いいよーだ。俺がするから」
花冠を頭に乗せて「似合う?」と尋ねたシーナの姿に、ルックは溜息をついて再び目を閉じた。
これだったら僕がしていたほうが幾分マシだったかもしれない……と。
その日の夜、がらんとなったロビーに微かな歌声が響いていた。
何度も繰り返すメロディー。
意味の無い言葉の羅列。
その小さな小さな歌声を、階段の上でひとりシーナは聞いていた。
恐らく誰も聞いたことがないだろう、貴重な彼の歌声を独占できる悦びに微笑みながら。
もしも誰かが聞いていると知れば、彼はすぐさま口を噤むに違いない。
だからシーナはルックに声を掛けることをせず、ただ彼を見下ろすだけにしていた。
遠慮がちな歌声は少し擦れていて、そしてとても優しかった。
初めて覚えた歌を、ルックはいつまでも口ずさむ。
やがてシーナも声に出さず、唇だけでその歌に合わせて歌い出した。
石板の上に置かれた白い花冠だけが、二人の間で静かにそれを聞いていた。
- end -
2005.05.15
[ Back ]