床屋さん


いつもの場所にルックの後ろ姿を見つけると、シーナは喜び勇んで走り寄った。
「おーっす!」
草の上に座り、木に凭れて本を読んでいるルックの頭上から声をかけるが反応は無い。
完全無視のまま、立てた膝の上に開かれた本のページを捲る。
何度も経験している状況ではあった。
しかし、今日はいつもと何処かが違う。
ルックの周囲からそこはかとなく怒りのオーラが漂っているのを、シーナは敏感に察知した。
「……ルック?」
恐る恐る声をかけながら、ルックの側にしゃがみ込む。
表情を見て確かめようとするが、俯いている為に垂れた前髪に顔が隠れていて全く判別出来ない。
「……お〜い……?」
もう一度小声で呼びかけてみる。
すると。
「……煩いっ!!」
ルックは突然乱暴に本を閉じて怒鳴った。
思わずシーナはびくっと飛び跳ね、少しばかり後退りする。
「な、なんか……ご機嫌斜め……みたいだね……?」
ルックはぎろりと横目でシーナを睨みつける。
「分かってるなら話しかけないでよ」
「あ、いや、えっと……」
「あぁ、もう……イライラするなぁ」
ルックは顔を顰め、ぐしゃぐしゃと自分の髪の毛を掻き回した。
普段から愛想の良くない彼だが、ここまであからさまに不機嫌なのも珍しい。
シーナはふいに思い当り、草の上に両手をついてがばっと頭を下げた。
「ごめん!!!」
「……はぁ?」
ルックが手を止めて、シーナを見下ろす。
シーナは草に額を押し付けて、まるで蛙みたいに平ぺったくなっている。
「お前にこの間借りた本、難しくて読めなかったんだ!! だからつい寝ちゃって、あのページを涎で汚したことなら……」
ゴンッ、と鈍い音がした。
「いってぇーっ! な、殴るなよ!!」
「バッカじゃないの?! そんなことどうでもいいんだよっ」
「え……違うのっ?」
ルックはまた前髪を掻き毟る。
どうやら原因は別にあるらしい。
「じゃ、なんなんだよ? どうしたっていうんだよ?」
ルックは暫く沈黙を守っていたが、やがて不貞腐れたように尖らせた唇でぽつりと言った。
「……髪の毛だよ」
「……髪の毛?」
「そう」
それを聞いて、シーナは初めてルックの髪をまじまじと眺めた。
さっきからイライラとかきあげているルックの前髪は、既に目が隠れてしまうほどの長さまで伸びている。
後ろ髪も覗いてみると、そちらも随分伸びて法衣の襟をとうに過ぎ背中に掛かっていた。
「鬱陶しくて本も読めやしない。どうしてノエルは散髪屋を仲間にしないんだ」
ルックは本気でそう思っているらしく、苛立ちも露わに言う。
気が抜けたシーナは、安堵に大きな溜め息をついた。
「なんだよ、そんなことかよ〜……」
「そんなことってなんだよ。じゃあ、君が切ってくれるわけ?」
挑発するつもりなんて無かったのだ。
しかしルックが余計なことを言ったと自覚した時には、もう既に手遅れだった。
「おう! 俺にまかせろって!」
シーナは自分の胸をどんと景気良く叩くと、スタリオン顔負けのスピードで城に向かって走っていってしまった。

十分ほどで戻ってきたシーナの手にあったもの。
タオル一枚、はさみ一つ、手鏡一つ。
いったいどうしてこんなことに?と納得出来ずにいるルックを尻目に、シーナは妙に楽しそうに鼻歌まで歌っている。
「苦しかったら言ってくださいね〜」
なんだ、その口調は。
突っ込む気力もないルックの襟元にくるりと華麗にタオルを巻き、中から伸びすぎた髪を引っ張り出す。
それからにっこり微笑んで、鏡を手渡した。
「ちょっと……ほんとに大丈夫なんだろうね」
「だーいじょうぶ! 俺が、大事なルックを変な髪型にするわけないだろう?」
まったく一言余計だ。
しかしなんのかんの言って、シーナがとても器用な奴だということは認めざるを得ない。
たいして訓練している様子も無いのに剣も魔法も一流なのは、一重にその器用さと血筋のおかげだろう。
しかしそれとこれとは話が違う気もする。
散髪が出来るなんて聞いたこともないし、やっているところを確かめたこともない。
シーナに髪を切ってもらった、なんて話は聞いたこともない。
鏡の中で良く切れそうな鋏を鳴らしているシーナを、ルックは不安そうに見つめた。
「とりあえず、どれぐらい切る?」
「……なんでもいいよ。邪魔にならなければ」
「あっそ♪」
もうどうにでもなれという気分だ。
そんなルックの気持ちを知ってか知らずか、シーナはルックの髪を指先に取る。
サラサラとして癖の無い、細い髪。
光に当たると金色に光る。
伸ばしたらさぞかし綺麗だろうに、と思いながらシーナは鋏を入れ始めた。

シャキシャキと軽快に鋏は滑ってゆく。
ルックは諦めたように、もう鏡を見ることもしなかった。
「なぁ」
「あ?」
「お前知らないだろうけどー、俺、自分の髪は自分で切ってんだぜ?」
「……ふぅん」
シーナは時々鋏を止めて、色んな角度から長さを確かめている。
案外まともかもしれない、とルックは思う。
「お前は普段、どうしてたんだよ?」
シーナの問いかけにルックは何かを思い出したらしく、途端に憂鬱そうな顔になる。
「恐怖だね……」
「はぁ?」
「あぁ、髪が伸びてきたなぁと思うと……」
ルックはまるで怪談話をするみたいに、声のトーンを落とす。
「鋏を持った人がね、襲いかかってくるんだ……」
「は、鋏を持った人って……?」
「あそこには僕以外に、一人しかいないだろ……」
「……」
暫しの沈黙が流れる。
それからシーナがハッとして、大きな声を上げた。
「あっ、だってあの人、目見えないんじゃ……?!」
「……君、島に来てみたいって言ってたよね?」
「……え、遠慮しときます……」
なんだかとてつもなく恐ろしい場所のような気がしてきて、シーナは身震いしながら苦笑した。

「……よし! 後ろは完了!」
切り落とされた髪がルックの周りに小さく積もってきた頃、シーナが満足げに胸を張った。
ルックと顔を並べるようにして、鏡を覗いてみる。
「どうだ? 大丈夫そうか?」
「よくわかんないけど……いいんじゃない」
ルックは後ろ髪を引っ張って長さを確認する。
鏡を斜めにかざして見える範囲では、特に問題は無さそうだ。
ルックは内心、少しだけシーナを見直した。
「んじゃ、今度は前髪だな」
シーナはルックの前に回り、腰を落とす。
「目、つぶってろよ」
ルックは鏡を自分の脇に置いて、言われるがままに目を閉じた。
前髪を取る時に指先が頬に触れて、ルックは擽ったそうに眉を寄せる。
ちょっとだけ邪まな気持ちが過らなくもないが、前髪ばかりは失敗したら取り返しがつかない。
シーナは真剣な顔をして、慎重に鋏を入れていった。

多分、上手くいったはず。
シーナは少し離れて、ルックの顔を正面から眺めてみる。
大丈夫。
完璧だ。
安心した途端、さっきからおとなしく目を閉じているルックにいたずら心が沸き起こる。
シーナは音を立てないように鋏を置くと、息を止めてそうっと顔を近づけていった。
「……」
あとちょっとで唇がくっつくという距離まで来たとき、ルックの目がぱちっと開いた。
「わっ!」
慌てて身を引くシーナに、ルックは溜息をついて軽蔑の眼差しを向ける。
「……やっぱりね。そんなことだろうと思ったんだよ」
あはははと笑って誤魔化すシーナを無視してタオルを首から外すと、側に置いてあった鏡を取り上げる。
だいぶさっぱりしたようだ。
漸く視界が開けて、ルックは清清しい気分にさえなった。
「まぁ、いいんじゃない」
「ほんとに? ああ、良かった」
「……シーナ」
突然ルックに胸倉を掴まれ、ぐいと引き寄せられる。
それから唇にちゅ、と柔らかい感触が伝わった。
「?!!」
「……散髪代」
ルックはそう言ってニヤッと笑うと、じゃあねと軽く手を振りその場を去って行った。
残されたシーナは感動に咽びながら、早くまたルックの髪が伸びてくれることを心から祈らずにはいられなかった。

- end -

xxxx.xx.xx


Back ]