secret lover
その日は朝から雲行きが怪しかった。
やがて予想通りにぽつぽつと小さな雫が窓を打ち始め、昼近くにはすっかり土砂降りになっていた。
本拠地の中は何処も薄暗く、まるで夕刻のように部屋で灯りをつけている者もいた。
けれど滅多に朝寝坊などしないルックがいつまでも起きられずにいたのは、それだけが理由ではなかった。
だからいつもならとうに石板の前に立っているはずの彼がいないからといって、
心配して様子を見に来たりしてはいけなかったのだ。
「……あっ!」
部屋の入口付近から頓狂な声が上がり、ルックは億劫そうにベッドの中から身を起こした。
「……なに?」
「えっ、あっ、あのっ」
そこには顔を真っ赤にしながら、オロオロとうろたえているノエルの姿があった。
ノエルがドアをノックする音は、確かにルックの耳に届いていた。
そしてルックは寝惚けながらも、確かに返事をした。
だからノエルがそこに居るのはなんら不自然なことでは無かったし、責められるべきものでもない。
けれど今、この部屋のドアは開けられてはならなかったのである。
「……どうしたぁ……?」
間の抜けた声と共に、ルックの隣りに横たわっていた人間がむくりと起き上がる。
そして暫し、時間は止まった。
「あっ、うわっ」
数秒の後、シーナは我に返った。
慌ててベッドから飛び降りると、床の上に散らばっていた服を急いで身につける。
「ご、ごめん!! ロビーにルックがいなかったからちょっと見に来ただけで……」
「いやっ、これは! ちょ、ちょっと待って!」
ノエルは二人に気を遣って、顔を背けながらドアを閉めようとする。
しかしシーナはそんなノエルの手を掴んで引き止めると、真剣な表情で訴えた。
「あのさ、今ここで見たことは誰にも言わないでくれよっ。なっ?」
「う、うん」
「絶対だからな? 特にナナミちゃんとかには! 絶対に話すなよ?」
「うん、わ、分かった」
「約束だからな? 信じるからな?」
「う、うん。あの、えっと、じゃあ僕、行くね!」
ノエルは強張った笑みを浮かべながらシーナの手を振り払い、逃げ出すように走り去っていった。
「あぁ……焦った……」
シーナは呟いて、長い溜息を吐く。
責任感の強いリーダーのことだから、約束はきっと守ってくれるだろう。
ほっとしたのも束の間、振り返った先を見てシーナはぎくりと身を竦めた。
それまで二人のやり取りを黙って見ていたルックが、凄い形相で睨みつけていたからだ。
「……なんなんだよ、今のは」
ルックは寝起きがあまり良くない。
しかしこの怒りぶりは普段の寝起きの悪さからくるものとは訳が違うと、シーナもすぐに気づいた。
「えーと、今のと申しますと……」
ビームでも出しそうなルックの視線に対して、無意識に敬語になる。
「とぼけるんじゃないよ。なんなんだよ、今の口止めの仕方は」
「え、いや、仕方って……?」
「なんで知られたらマズイのさ。特にナ・ナ・ミに」
ナナミの名前が強調される。
シーナは瞬時に脳味噌をフル回転させて言い訳を考えた。
「えっと、そ、それは……だってさ! ノエルが喋るとしたら一番可能性が高いのはナナミちゃんだろ? だから……」
「嘘つくなっ。それだけが理由じゃないだろ」
「嘘じゃないって!」
「どうせ他の女の子達に知られたら、後々困るって思ったんだろ? 正直に言いなよ」
「ち、違うって!」
シーナは必死に否定する。
しかしルックは取り合う様子もない。
ふん、と鼻を鳴らすと、ますますきつくシーナを睨みつけながら言った。
「そもそもこれは、そんなに慌てて隠さなきゃならないようなことなわけ?
僕のベッドに君が寝ているのは、そんなにマズイことなの」
「えっ」
この発言にシーナは少し驚いた。
自分達の事が公になるのを嫌がっているのは、ルックの方だと思っていたからだ。
それなのにルックは口止めしたこと自体を怒っている。
「だ、だって……お前だってこんなことが皆に知れ渡ったら嫌だろ……?」
確かにルックの言う通り、ナナミの名前を出してしまったのは、
このことが広まって女の子達に相手にされなくなったら困ると思ったからだ。
けれどもしもルックがその気なら、それはそれで構わなかった。
寧ろ嬉しくさえ思う。
シーナはルックが「別に嫌じゃない」と答えてくれるのを期待した。
しかしルックの返事は、そんなシーナの期待を木っ端微塵に打ち砕くものだった。
「ああ、嫌だね。真っ平ゴメンだよ。だから今すぐ出ていってくれる?」
「なっ、なんだよ、それ!」
「いいから、さっさと出ていきなよ。そして二度と来ないでよね」
「言ってることが支離滅裂だよ、お前……」
「何が支離滅裂なのさ。だいたい君がなかなか寝かせてくれないから、こんなことになったんだろ?
だから二度と来るなって言ってるの。これで分かった? 同じこと何度も言わせないでよね」
ここまで言われて、流石のシーナもカチンときた。
思わず声を荒げる。
「なんで全部俺の所為みたいな言い方するんだよ!」
「全部あんたの所為だからに決まってるじゃない」
「ルックの分からず屋!!」
「シーナのお調子者!!」
「この……」
取り付く島もないとはこのことだ。
結局シーナは部屋を追い出され、二人の間には気まずさだけが残ることとなった。
支度を整えて石板の前に行ってからも、ルックの怒りは治まらなかった。
勿論、シーナとのことが広まるのを望んでいたわけではない。
しかし見られてしまったのなら、わざわざ口止めをする必要もないと思った。
こそこそするのは面倒臭くて性に合わなかったし、
ましてやあのノエルなら、こんなことを面白がって言い触らしたりはしないはずだ。
それなのにあんなに顔色を変えてまで必死に口止めをして、しかもナナミの名前まで出して。
考えれば考えるほど腹が立って仕方が無かった。
やがてロビーにノエル達が現れた。
その中にはナナミやアイリの姿もある。
何処かに出かけるのだろう。
この雨の中をご苦労なことだ、と思っていると、ノエルが小走りに駆け寄ってきた。
「ルック!」
「……なに?」
少しだけ警戒しながら答える。
しかしノエルはいつもと変わらぬ口調で言った。
「雨の中を悪いんだけどさ、これからサウスウィンドウに行かなくちゃいけないんだ。ルックも一緒に来てもらえないかな?」
「……別にいいけど」
「ほんと? ありがとう」
先ほどのことなどすっかり忘れたかのようにノエルが微笑む。
彼は意外と食わせ者のようだ。
ルックは小さく苦笑した。
「えーと、もう一人ぐらい連れて行きたいんだけどなぁ……」
目ぼしい人物がいないかと、ノエルが辺りを見回した時だった。
「おーい!」
聞き覚えのある声に、ルックはぎょっとする。
「俺も一緒に行くよ!」
振り向く間も与えず、その声の主がルックを背中からぎゅうと抱き締めた。
「……!!」
「シ、シーナ」
ノエルの顔が引き攣る。
「ね。俺も行くよ。いいだろ?」
「い、いいけど……どうしたの?」
「え?」
シーナは腕の中で固まってしまったルックの髪に、自分の頬をすり寄せながらぬけぬけと言い放った。
「ほら、俺達ってラブラブだからさぁ。ちょっとでも離れていたくないんだよねぇ〜」
今度はそこにいる全員の顔が引き攣った。
「……ふ……ざけるなっ!!!!!」
漸く硬直状態から立ち直ったルックが、怒鳴りながらシーナの腕を振り解く。
それから持っていたロッドを振り翳すと、彼の頭を思い切り殴りつけた。
「いてぇっ!!!」
「今、とんでもないこと言ったよね。誰と誰が離れていたくないって?」
「……俺とお前」
シーナは殴られた場所を擦りながら、恐る恐る答える。
「一緒にするな!」
再びロッドを向けられて、シーナは身を縮めながら哀願した。
「ちょ、ちょっと待って! 殴るのは無しで! 暴力反対!」
「……」
確かに暴力に訴えるのは自分らしくない。
ただでさえ腹が立っていたところに止めを刺されたせいで、熱くなりすぎてしまったようだ。
ルックは少しばかり反省して、ロッドを下げた。
それでも怒りはふつふつと湧いてくる。
ルックは小さくなったままのシーナを見下ろしながら、お説教口調で畳み掛けた。
「いいかい。言っておくけどね、僕は出来ることなら君の顔なんて二度と見たくないんだよ。
レックナート様の命令じゃなければこんなところ今すぐにでも出て行って、島に帰りたいぐらいさ。
寝言を言うのは寝てるときだけにしてもらいたいね」
「またまた、そんなぁ。照れなくてもいいだろう?」
「はぐらかすしか脳が無いの? それとも君は人間の言葉が分からない生き物なんだっけ?」
「まあ、ちょっと落ち着きなよ。それよりもさ、ほら……」
「だから、はぐらかすなって言ってるだろっ?」
「いいから、見ろって!」
シーナは自分の方に向いていたルックの体を、強引に城の入口へと向けさせた。
そこには喧嘩を始めた二人を置いて、さっさと城を出て行こうとするノエル達の後ろ姿が見えた。
「行っちゃったみたいよ?」
「……」
ああ、もう、とイライラしたように呟いて、ルックが髪を掻き毟る。
しかしシーナは平然としていた。
「いいじゃん。これで二人でいられるし」
ニコニコしているシーナを無視して、ルックは石板に寄りかかる。
シーナも並んで、ルックの足元にしゃがみこんだ。
また少し強くなった雨音が、本拠地の中に響き渡る。
「……ばれたら困るんじゃなかったの」
「え?」
「さっき。ナナミもいたけど」
「ああ」
シーナは惚ける。
どうやって気持ちを切り替えたのか、どこで折り合いをつけたのかは分からない。
元来、怒りが持続しないタイプなのだろう。
酷くあっさりと、事も無げに言った。
「お前に嫌われるほうがずっと困るって分かったからさ」
「……」
シーナはルックを見上げながら、ちょうど目の前にぶらさがっている彼の細い手を取った。
「ごめんな」
「……謝れば許されるとでも思うの?」
「えぇ〜」
拗ねて離れようとしたシーナの指先を、ルックは逃がさないように握り返す。
二人は知らなかった。
自分達の関係など、とうに周知の事実であるということを。
- end -
2004.05.21
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