連鎖恋愛


シーナはどう見ても怒っている様子だった。
「ルック……話があるんだけど」
何の用事があったのかは知らないけれど、今日一日城を留守にしていた挙句、帰ってきていきなりそれでは如何にも感じが悪い。
一瞬でも、「早く帰ってこないだろうか」などと考えたのが馬鹿だったと思わざるを得なかった。
「ここに座って」
部屋に入ってくるなりそう言って、僕のベッドに腰掛けると自分の隣りを指差す。
指図をされるのは不愉快だったけれど、ここであれこれ言っても面倒な時間を引き延ばすだけになりそうだと思った。
仕方なく言われた通りの場所に腰を下ろすと、シーナはいつになく真剣な顔で尋ねてきた。
「今日の午前中、なにしてた?」
「……別に、なにも」
「嘘だ。ちゃんと思い出せよ」
なんのことだかさっぱり分からない。
僕が何をしたっていうんだ。
とりあえず記憶を辿ってみる。
朝起きて、いつも通り石板の前に行って、それから……。
考えているうちにシーナは痺れを切らしたらしく、僕が思い出す前にそれを吐き出した。
「……お前が女の子と歩いてるところを見た奴がいる」
「はぁ?」
言われて驚く。
午前中?
誰が?
僕が?
女の子と?
「……ああ!」
あのことか。
今日の午前中の出来事が、ようやく脳裏に甦る。
僕が声を上げると、シーナはとっさに顔色を変えて僕の両肩に掴みかかってきた。
「やっぱり本当なのか? 嘘だろ? 嘘だよな?」
真正面から顔を近づけてきて、必死に問い掛けてくる。
勢いで体を揺さぶられながら、僕は内心、あまりのくだらなさに呆れ果てていた。
「その話、誰から聞いたんだよ」
「ビクトールだよ。だけど、今はそんなこと問題じゃないだろ。本当なのか? 嘘だよな?」
成る程、あのおしゃべり熊が、余計なことを吹き込んでくれたらしい。
さて、どうしたものか。
本当のことを話せばすぐに誤解は解けるけれど、せっかくお膳立てしてくれたものをあっさり終わらせてしまうのもなんだか勿体無いような気がする。
それにシーナの珍しく必死な顔を見ていたら、なんとなくからかってみたくなってきた。
「それ、本当のことだよ」
「!!!」
僕の言葉に、シーナは顔を引き攣らせた。
ほんの少し胸が痛まなくもなかったけれど、いつも僕がされていることを考えたら、これぐらいどうってことないだろう。
僕はあくまでも平然と言い放つ。
「で、それがどうかしたの?」
「じゃ、じゃあ、手繋いでたってのも……」
「ああ、そうだね。そういえば繋いだかな」
「な……」
あわあわと唇を戦慄かせるシーナなんて、初めて見た。
面白い。
かなり面白い。
こんな表情、誰かに見せたことあるのだろうか。
きっと無いはずだ。
あるとしても、せいぜい父親のレパントの前でぐらいだろう。
そんな顔を今僕が目にしているという事実は、かなり僕を愉快にさせた。
けれど今にも吹き出しそうになるのを堪えていると、シーナは突然気を取り直したように、断固とした口調で叫んだから驚きだ。
「俺は信じない! 絶対に信じないからな! そうだ、そんなことあるわけがない。馬鹿だな、俺。信じそうになっちまったよ。アハハハー」
「……」
無理しているのが丸分かりだった。
それにしてもここまで言い切られると、意地でも信じさせたくなってくる。
どうして「そんなことあるわけがない」んだ。
馬鹿にするな。
「信じてくれなくても結構だよ。僕は別に困らない」
「じゃあ、答えてみろよ。それ誰なんだ? 俺の知ってる奴か? 何処に住んでる? いつから付き合ってる? 本気で好きなのか?」
どうせ答えられないだろう、と言わんばかりの口調と表情。
本当に腹立たしい。
「そんなに一度に聞かれたら、答えられないだろ。それに聞かれても教えたくないね」
「どうして!」
「君にちょっかい出されたら困るからだよ。決まってるだろ」
「……」
最後の一言がよほど効いたのか、シーナは絶句した。
それから顔色を青くしてしょんぼり項垂れると、身動きひとつしなくなってしまった。
(……ちょっと、やりすぎたかな)
重苦しい空気が流れる。
これ以上からかい続けると、ややこしい事になるかもしれない。
そうなると後始末が面倒だ。
シーナの反応も予想を上回るもので満足出来たし、この辺が引き時だろう。
僕は項垂れているシーナの横顔に、そ知らぬ顔で告げた。
「……五歳だよ」
シーナがゆっくりとこちらを向く。
眉を八の字にして、口をへの字にして、間抜けなほどに情けない顔で。
そんな泣きそうな顔するなよ、バカ。
君らしくもない。
「ちゃんと聞いてる? 五歳だよ、五歳。その子の年。要するに子供。幼児ってやつ」
「は……」
これだけ言えば分かるだろう。
その瞬間、シーナはぷつんと糸が切れたように脱力して、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「騙された……!」
天井を仰ぎながら、悔しそうに言う。
ざまあみろ、だ。
僕は思わずほくそ笑んだ。
「人聞きが悪いな。誰も騙してないじゃないか。僕もビクトールも本当のことしか言ってない」
ロビーに迷い込んできたその女の子は、父親と一緒に城内のレストラン目当てにやって来たらしい。
しかしその前にあちこち見て回っているうちに、父親とはぐれてしまったのだという。
いわゆる迷子というやつだが、ここでは珍しくもない事だった。
こういうときは下手に親を探して回るより、目的地であるレストランで待っているほうがいい。
運が悪いことに、そのときロビーで手が空いていたのは僕だけだったから、 仕方なくその子をレストランまで連れて行ってやったのだ。
面倒臭かったけれど説明するよりその方が早いと思ったし、実際すぐに親子は再会出来た。
ちなみに手を繋いできたのは、もちろん向こうからだ。
「嘘は言ってないだろう?」
「そうかもしれないけど……」
事情を知ったシーナは、それでもどこか納得がいかないようだった。
「でも本気で焦った……どうしようかと思った……」
「ふん。自分はしょっちゅう似たようなことしてるじゃないか」
「そう言われれば、そうなんだけど……」
「これで少しは僕の気持ちが分かった?」
「はい、分かりました……って、え?」
「……!」
しまった、と思った。
つい調子に乗って口にしてしまったけれど、 これじゃ僕がシーナのナンパ癖を、内心面白くないと思っているのがばればれじゃないか。
いつも平然と、興味無い風を装っているのに。
気づかないでくれればいいのに、こういうときのシーナは本当に耳聡い。
シーナはがばっとベッドから起き上がって、横から僕の顔を覗き込もうとする。
僕は顔を背ける。
シーナは更に覗き込む。
首が痛くなるほど顔を逸らす。
更に覗き込む。
これ以上は無理、というところまできたとき、シーナが僕を押し倒した。
「ちょっ……!」
抵抗する隙も無く、唇を塞がれる。
「んっ……」
すぐに舌が入ってきて、否応無しに絡め取られた。
強く押し付けるようなキスに、始めは少し冷たかった唇が暖かくなっていく。
ふとシーナとのキスが、いつの間にか僕の中で自然なことになっているのに気づいた。
シーナはいつも通り僕の髪に指を通しながら、何度も角度を変え、少し離れてはまたくちづけるのを繰り返す。
腕に縋りながらキスを続けている間に、次第に気持ちが高まっていくのが分かった。
「……俺、つくづく思ったよ。お前を絶対、誰にも渡したくないって」
唇が離れると、シーナは僕を見つめながら言った。
「……君のものになった覚えはないんだけど」
キスだけでもうぼんやりとし始めているというのに、それでも僕はそう答える。
これはもう癖だ。
治るものじゃない。
そういう僕のことをよく知っているシーナは、気を悪くしたような様子もない。
笑顔で僕の首筋に顔を埋めると、耳元で囁いた。
「分かってる。でも少なくとも、俺はお前のものだよ」
「……よく言うね」
掛かる吐息に、じわりと熱が広がる。
こんな台詞、シーナにとっては言い慣れた睦言のうちのひとつなんだろう。
僕は何も、誰も欲しくない。
今この時、僕だけを見てくれればそれでいい。
だから早く肌を重ねたい。
ぎゅっと抱き締めてほしい。
シーナがゆっくりと僕の服を脱がせ始める。
鼓動が少しずつ速くなっていった。

互いに全てを脱ぎ捨てると、シーナが僕を抱き締めた。
暖かい。
シーナの肩に顎を乗せて、僕は目を閉じる。
「好きだよ、ルック……」
シーナはそう言いながら、唇を僕の上に滑らせていく。
触れるか触れないかの距離が、くすぐったいようなもどかしいような感じがして、僕は身を捩った。
胸の尖りを啄ばまれて、せつなく走る快感に思わず声が漏れる。
「…っ……ん……あぁ……」
僕はシーナの髪を撫でた。
短いけれど、柔らかい髪。
僕がこの感触をとても好きだと思っていることなど、シーナは知らないのだろう。
「はっ……や……っ、んぁ……」
舌の先で突くように舐められて、甘い痺れが全身に広がっていく。
下肢が疼いて、どうにもならない。
僕が腰を押しつけると、シーナの空いた手がそこを覆った。
「すごく、熱くなってる」
「い、やだ……っ…」
本当はもっと触れて欲しいのに、僕はあくまでも拒絶の言葉を口にする。
シーナの顔がゆっくり下へと降りていって―――。
「あ、あぁっ……!」
唇が僕のものを含んだ。
信じられない。
以前同じことをされた時に、これだけは絶対に嫌だと言ってからはしないでいてくれたのに。
「や、だ……いやだ……!」
僕は頭を振った。
この行為だけはどうしても嫌だった。
恥ずかしすぎて、感じすぎて、すぐに達してしまいそうになるから。
けれどシーナの舌は絡み付いて決して離れようとはしない。
おまけに酷くいやらしい音がして、耳を塞ぎたくなる。
「シーナ、嫌だ……やめて……」
弾む呼吸を堪えながら、なんとかそれだけを口にすると、ようやくシーナが離れた。
「これ、そんなにイヤ?」
「嫌だ……」
「すごく気持ち良さそうな顔してるのに?」
「……!」
良すぎるから嫌なんだ、なんて言えるわけがない。
ぷいと顔を背けると、今度は笑いながら指を入れてくる。
「……じゃあ、こっちは?」
「……っ」
声が出そうになるのを、指を噛んで堪える。
僕だけが一方的に煽られているのが悔しい。
シーナももっと切羽詰ればいいのに。
「も……早くっ……」
中を掻き回されることに耐え切れず呟くと、シーナがくすりと笑いを漏らした。
「はいはい、分かりましたよ」
指と入れ違いにシーナ自身が入ってくる。
望んでいた熱。
この時ばかりは声を堪えることは出来なかった。
「は……あっ……あぁっ……!」
何も考えられなくなっていく。
早く奥まで来て。
シーナの腕を掴み、引き寄せるようにした。
「ルック……なんだかいつもと違うね」
「あ、っ……はっ……なに、が……」
「いつもより、良さそう」
「……」
確かにいつもより感じているような気がした。
多分、僕は嬉しかったんだと思う。
シーナが予想以上にうろたえて、ショックを受けてくれたことが。
いつも僕ばかりがやきもきさせられていたから、ささやかな仕返しが出来て嬉しかったんだ。
けれどもしもあれが本当のことだったら、シーナはどうしていただろう。
意外とあっさり諦めるだろうか。
それとも二股でもいい、なんて言うかもしれない。
どちらでもいい。
一瞬でもシーナが、本気で僕を失いたくないと思ってくれたなら。
「ルック……」
シーナが僕の上に覆い被さるようにして、僕を突き上げる。
始めはゆっくりと、やがて激しく。
僕はシーナの背中に手を回した。
もっと近づいて。
もっと傍に来て。
昔はこんな行為、絶対にしたくないと思っていたのにどうしてしまったのだろう。
今でもシーナ以外の人とするなんて、想像もしたくない。
いつの間にシーナは僕にとって唯一の人になっていたのだろうか。
おかしい。
こんなはずじゃなかったのに。
ベッドの軋んだ音に混じる水音。
どちらのものかも分からない荒い呼吸。
息が、詰まる。
「あ、あっ、もう……」
「ルック……イっていいよ」
「や……いや、だ……」
シーナが僕を追い立てる。
涙が出そうになる。
シーナは僕を突き上げながら、僕自身を握り締めた手を激しく動かす。
僕は強く目を閉じ、シーナの背中を掻き抱いた。
「あっ、や……あ…あぁ、あ―――っ……!!」
「ル……ック……!」
快感が全身を突き抜けて、欲望が放たれる。
高い場所から落ちていくような感覚を覚えて、僕は必死でシーナにしがみついた。
その瞬間シーナの体が跳ねて、恐らく彼も達したのだと思う。
互いの体が放出のたびにびくびくと震えて、波打った。
「あ……はぁ……はぁ……あぁっ……」
「……ルック……」
息を弾ませたまま強く抱き締めあい、キスを交わす。
この僕が誰かを恋しいと思ったり、嫉妬したり、その誰かの言葉に一喜一憂したり、 抱き合ったりキスをしたりするなんて考えられなかったことだ。
いつからなのか、なにがきっかけだったのか、分からない。
分かっているのはシーナの所為だということ。
シーナが僕を好きになったりするから。
だから僕まで、シーナを好きになってしまったんだ。

- end -

2006.07.03


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