Pretender
月は月だ。
昨日の月と少しばかり形が変わっていても、本当の姿は何も変わってはいない。
星はたまたまそこにいただけなのに、それを星座にして物語を想うのも人間達の勝手でささやかな自己満足だ。
明日から少しずつこの国は変わるだろう。
でもそこで暮らす人々の姿はたいして変わらないのかもしれない。
勝利の祝杯に酔う輪から抜け出して、ルックは屋上でひとり、そんなことを考えていた。
「また、すぐにいなくなる〜」
後ろから掛けられた声にやっぱり来たか、と思いながらルックは少しだけ笑った。
毎日つきまとわれてうんざりした日々も、今日で終わるのかと思うとなんとなく名残惜しいような気がしてくるから不思議だ。
「……ルックちゃん、センチメンタル中?」
手摺りに凭れて顔を覗き込んでくるシーナを、ルックは笑みを引っ込めて睨んだ。
「なにそれ。なんで僕がセンチメンタルにならなきゃいけないのさ」
「知らない。そう見えたから」
「はっ。馬鹿馬鹿しい」
「違うんならいいけど」
シーナは手摺りに頬杖をついて、眼下に広がる風景をぼんやりと眺めた。
遙か広がる草原は真っ暗な海のようだ。
遠くに見える仄かな灯りだけが、そこに住む人々がいることを伝えている。
「……小さい頃さぁ、ごっこ遊びってしなかった?」
「……はぁ?」
突然の言葉にルックはきょとんとする。
「ほら、先生ごっことかお医者さんごっことか、そういうの。俺、結構好きだったのよ。ごっこ遊び」
シーナの言う遊びがどんなものなのかは分かったが、ルックにはそれをやった記憶はなかった。
嬉々として話しているのを見ると、それは楽しいものなのだろうか。
ルックは訝しげに首を傾げた。
「そんでさ、一番好きだったのが戦争ごっこ。
戦争って言っても仲間何人か集めて二手に分かれて、木の枝振り回したり落とし穴作ったりするぐらいなんだけどね。
で、負けた方がなんでもひとつだけ言うこと聞くってことにしてさ……」
そこまで言ってシーナは、馬鹿だったよなあと自嘲して笑った。
本物の戦いを経験した今となっては、そのごっこ遊びが愚かなことに思えたのだろう。
けれどそんなのは、今更後悔してもどうにもならないことだ。
ルックはシーナの横顔から目を逸らす。
風が雲を流し、月を隠した。
「……仕方ないんじゃない? 子供だったんだから」
珍しく発せられたルックの優しい言葉に、シーナは照れたように笑う。
「そうだよな。子供だったんだもんな」
「……」
風が吹いている。
階下の窓からは、絶え間無く笑い声が聞こえてくる。
その賑やかさが余計にこの場所の静けさを引き立たせていた。
雲が動いて、再び月が覗く。
「……なぁ、ルック」
「なに?」
「今から、ごっこ遊びしようぜ」
「……はぁ?」
シーナは驚いているルックの腰を乱暴に引き寄せた。
「ダメ? しない?」
「何言ってるんだよ、急に……」
ルックは逃れようとして顔を背ける。
「いいじゃん。遊びだよ。フリをするだけ」
「だから……なんの」
「恋人ごっこ」
「……」
シーナが何故、こんなことを言い出したのか分かった。
そして何故、自分がそれを許すのかも―――。
シーナの腕の中で身を捩っていたルックは、おとなしく身体を正面に向けると黙って目を閉じた。
何度重ねたか分からない唇。
その暖かい柔らかさを感じなかった日は無い。
形も、温度も、全てを覚えてしまった。
シーナのくちづけは理性さえ絡め取るようだったけれど、それでもいつかは忘れてしまう日が来るのだろうと思う。
「ん……っ…」
唇が頬を滑り、耳元に辿り着く。
甘く掛かる吐息のくすぐったさを、目をぎゅっと閉じて堪える。
耳たぶを軽く噛まれて、思わず身体が震えた。
「ルック……」
背中に回されていたシーナの手が双丘へと滑る。
腰が引き寄せられ、昂ぶりを押しつけられた瞬間、身体中に甘い疼きが走った。
「…っ……いや、だ……」
いつもの癖で、つい拒絶の言葉が出てしまう。
それでもシーナは手を緩めず、身体をぴったりと密着させたままルックの首筋に顔を埋めた。
「恋人ごっこ、って言ったろ。ちゃんと演じろよ……」
「……」
そうだった。
これはお遊び。
恋人のふりをする遊びだ。
ルックはシーナの腕を強く掴んだ。
もう何処も知られていないところなんてないのに、まるで初めて体を預けるみたいな気がする。
シーナはルックの背中を優しく撫でながら、もう一度唇を重ねた。
手摺りを掴まされ、背中から抱き締められる。
シーナの右手はルックの細い首をなぞり、左手は緩く開かれた両脚の間に忍び込む。
白いうなじにくちづけながら両手を動かすと、左の掌に包まれた熱が首を擡げ始める。
「ん、あ…っ……」
無意識に腰が強請るように動く。
もっと強く触れてほしいと願う。
けれど視界の隅に滲んだ月が映って、溺れてゆこうとする意識に水を差した。
「……誰か、来たら…………」
「大丈夫だって。誰も来ないよ」
軽い口調で言って、シーナはルックのベルトを外す。
投げ捨てられたそれは石の上に落ちて、微かな音を立てた。
敏感になっている肌には、そんな僅かな物音さえも響いてしまう。
「……ッ…!」
差し込まれた手が直接肌に触れて、その冷たさにルックは魚のように跳ねた。
シーナの掌はルックの中心を包み込み、そこはゆっくりと形を変えてゆく。
指先で触れた先端は、既に滲んだ蜜で湿っていた。
「気持ちいいんだ……?」
わざと耳元に囁いて握る力を強める。
手の中で固さを増してゆくそれを揉むように扱くと、やがてルックの膝ががくがくと震え出す。
「やッ……いや、だ…っ……」
「嘘。気持ちいいくせに」
指を擦りつけるように動かされ、溢れる蜜は止まることを知らない。
ルックは呼吸を荒くしながら、手摺りに額を押し付けた。
指先が白くなるほどに手摺りを握り締め、息も切れ切れに呟く。
「も、やだ………は…ァ……ッ……」
「……もう、欲しいの?」
「……っ…」
シーナは相変わらずルックの腰を抱きかかえたまま、自分の昂ぶりを押しつけている。
逃れられない欲求がすぐそこまで来ているというのに、それでもルックは左右に激しく首を振った。
ぎりぎりまでプライドを捨てようとしないその姿には、さすがのシーナも苦笑するしかなかった。
「しょうがないなぁ。恋人ごっこだ、って言ってんのに……」
ルック自身から手を離さないまま、シーナは片手で自分のファスナーを下ろす。
こっちだって我慢してんだぞ、と心の中で毒吐きながら前を開放すると、今度はルックのズボンに手を掛けた。
ルックは、されるがままに肌を晒す。
思考がぼんやりとして、ここが何処なのかもよく分からなくなってきた。
それは多分、考えないようにしているから。
今までのことも、明日からのことも。
こんなにも感じているのは、これがごっこ遊びだからじゃない。
それは、きっと―――。
「あッ……!」
シーナの指が後ろに触れる。
既に何度も迎え入れたことのあるそこは、容易く指を受け入れた。
暖かな中を探りながらも、左手は絶え間無くルックを攻め立てる。
そこは溢れ続ける雫のせいで、濡れた音を立て始めていた。
「あ、あ、んッ…………」
ルックは手摺りを掴んだ両手の間に頭を垂れ、只管達してしまいそうなのを堪える。
もう、早くしてほしい。
そう思っても、決して口には出せない。
最後だからといって急に態度を変えるのは、絶対に嫌だった。
「挿れて……いいか?」
「……」
痺れをきらしたシーナの言葉に、ただ頷いて応える。
指が引き抜かれるのと入れ違いに、シーナのものが自分を割って入ってくるのを感じた。
「ア、あ―――ッ……!」
喉に貼り付いてしまったような、掠れた悲鳴があがる。
シーナはいつになく性急な動きでルックの奥深くを貫いた。
「ルック……ルック……」
ルックの背に覆い被さり、耳元で名を呼ぶ。
何回、この名を呼んだだろう。
何回、好きだと言っただろう。
何度もキスして、何度も抱いて。
それでも恋人同士だと思ったことは、一度も無かった。
(それで、いいんだ―――)
恋人じゃないんだから、悲しむ必要なんてない。
笑ってまた会える日を待てばいい。
だから、いつものように囁く。
「ルック……好きだよ……」
「……」
シーナの言葉が聞こえて、ルックは閉じていた瞼を開いた。
目の前には白い月の光が降っている。
柔らかな風が、上気した頬を撫でていった。
「…………僕も……好き、だよ……」
小さな声だった。
恋人ごっこに浸り過ぎたのかもしれない。
ルックの虚ろな呟きはそれでも確かにシーナに届き、シーナはただ悲しそうに笑った。
「ルック……」
シーナは激しくルックを突き上げた。
やがて短い悲鳴が上がり、ルックはシーナの手の中で果て、シーナはルックの中にそれを解き放った。
「なんか……喉乾いたな」
服を着直したシーナがいつもの軽い口調で切り出した。
「俺、ちょっと下行って何か貰ってくるけど。お前、何がいい?」
「……なんでもいいよ。甘くないやつ」
「分かった。じゃ、ちょっと待ってて」
シーナは笑って駆け出す。
その姿が城の中に完全に消えるのを見届けてから、ルックは夜空を見上げた。
「……」
これからもきっと、変わらないのだろう。
優しい言葉も態度も、自分には似合わない。
またいつか会えたとしても憎まれ口を叩いて、素っ気無い態度を取って。
そしてやっぱり―――シーナが好きで。
「……結構、楽しかったかもね」
青白い月に向かって呟きながら、ルックは少しだけ笑った。
シーナが屋上に戻ったとき、もうそこには誰もいなかった。
「……やっぱり、か」
溜息混じりに呟く。
別れの言葉なんて聞きたくなかったから、わざとルックを一人にした。
それでも、万に一つの可能性に賭けたかったのだ。
もしかしたらルックが、待っていてくれるかもしれないと。
「もしも俺が戻ってくるまでいてくれたら、なにがなんでも引き留めるつもりだったんだけどな……」
手にした二つのグラスを見つめる。
そのときは、二人で乾杯しようと思っていたのだ。
風に転がされた小石が乾いた音を立てて、妙に寂しさを助長した。
「……えーい、クソッ!」
やけくそになって二杯とも一気に口へ流し込む。
アルコールは喉を焼いて通り過ぎ、そこには熱さだけが残った。
「はぁ〜……」
誰も聞いていないのに、大袈裟に溜息をつく。
それから、ルックの言葉を思い出してみた。
ごっこ遊びにつきあってくれたのは、天邪鬼な彼にとって最大の譲歩だったのだろう。
でも、たとえフリだけだったとしても、あの言葉は本物だったと信じている。
だからきっと変わらない。
いつかまた会えたときには、笑ってまた「好きだよ」と告げよう。
「……結構、楽しかったよな」
シーナは呟いて、夜空を見上げた。
強い風が雲を流し、真っ白に輝く月が覗いた。
- end -
2002.07.01
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