LIFE
魂。
今の僕は、それだけの存在。
長い間ずっと、「死ぬ」とはどういうことなのかを考えていた。
人は時にそれに憧れ、または恐れ、そして逃れられないことを知る。
けれど僕はそれを永遠に知ることが無いと思っていたから、恐れることも、理解することも出来なかった。
そして死を迎えることが出来た今も、僕はまだ解らずにいる。
ただ感じるのは、無限の解放感。
魂を収めるべき器を無くし、紋章の力からも解き放たれ、僕は今、僕だけになったのだろうか。
「戻ってきたのですね……」
あの日、ここを発った時と変わらない魔術師の塔。
―――レックナートさま。僕はあなたに聞きたいことがあります。
「良いでしょう……。私の盲いた目に映るものならば、答えましょう……」
―――あなたには始めから、今の僕の姿が見えていたのですか?
「……運命の輪は重く、人の力で回すのは困難です。だがそれは不可能を意味するわけではありません」
―――僕の間違いは、その運命の輪を一人で回そうとしたことだと? けれど、レックナートさま。僕は自分のしたことを後悔してはいないのです。
「私はバランスの執行者……涙を持たぬ者……」
―――……。
「ルック……神に挑んだ愚かな魂……。百万の命を憎んだ、呪われた魂……。
だけど私はあなたを許し、祝福しましょう……。
あなたは、あなたはあまりに人でありすぎたのだから……その魂に祝福を……」
―――僕が……人だった……。
「我が弟子……我が子よ……呪われし紋章の子にして、人の子よ……眠るがいい……。
運命は過酷なれど、それさえ許さぬほど無慈悲ではない。
108の星はおまえを祝福するだろう……。それは人の力……運命を動かす力……。
いかに無力に思えても、それは意味なきものではありません」
―――……ありがとうございます。
僕はここを発つ時に、あなたを含めた世界を憎んでいると言いました。
ですがあなたが僕を、あの場所から連れ出してくれたこと……。
それだけは感謝しているのです。
塔を出ると、鏡のような月が輝いていた。
綺麗だ。
月がこんなにも綺麗に見えたことは、今まで一度も無かった気がする。
僕はあれに乗って逝かなければならない。
もうあまり時間がなかったけれど、その前にどうしても会っておきたい人がいた。
十五年の間、一度も忘れたことのない人。
今の僕なら何処へでも行ける。
もう少しだけ僕に、時間をください……。
とても、懐かしかった。
十五年という月日は、君の姿を確実に変えてしまってはいたけれど、それでもあの頃の面影はしっかりと残っている。
細く開かれた窓から、僕はベッドに眠るその人の傍に近づいた。
君を見ていると、まだ僅かな希望を抱いていた頃を思い出すよ。
僕と同じように運命に抗おうとする人々と、共に戦っていたあの頃。
熱い想いがいつか、紋章の力さえも打ち破ることが出来るかもしれないと夢見ていたあの頃。
それまでモノクロームに見えていた世界の中で、彼らといるときだけはほんの少し世界に色がついた。
けれどそれは僅か一時の自由を勝ち取ることしか出来ず、流される血が止まることはなかった。
そして僕の力が大きくなるほどに、紋章の見せる未来の記憶も鮮明になっていった。
それは今までと同じ、悲しく残酷な風景であることに変わりなかった。
人ではない僕にとっては目の前に広がる世界よりも、紋章が見せる世界の終焉の方がよほど現実だったんだ。
禍々しい紋章の力と、その力が作り出したこの世界。
その中で必死に生きようとする人々を見るたびに、僕は全ての元凶たる紋章の力を憎んだ。
紋章の力を憎むということは、即ち僕自身を憎むということ。
紋章の力を留めておくためだけに作られた、僕自身を。
君はそんな僕を、初めて好きだと言ってくれた人だった。
初めて人の腕に抱かれ、初めて人の鼓動というものを間近に聴いた。
僕はそれに驚き、戸惑った。
僕にも同じように赤い血が流れ、そして鼓動を響かせているというのに、僕は君と同じように老いることが出来ない。
僕は人の形をしていながら、君と同じ人ではなかった。
僕を構成しているあのおぞましいパーツを見たら、きっと君は狂ってしまうだろう。
あんな忌々しいものから出来ている身体を抱いていたのだと知ったら、誰でも普通でいられないはずだものね。
だから僕は君から離れた。
君に本当のことを打ち明ける勇気はなかった。
成長していく君に、いつまでも変わる事の無い自分を見られながら生きていくのは我慢出来なかった。
醜い、醜い、僕。
僕は世界を憎んでいると言ったけれど、一番憎んでいたのは僕自身だったから。
だから僕と同じ存在である、兄さんのことも憎くて仕方が無かった。
けれど君の中でだけは、綺麗な姿でいたかったんだ。
君の中にいる僕は、僕がなりたかった僕だったんだ。
だからそのままにしておきたかったんだよ。
君に「俺がお前を終わらせてやる」と言われたとき、「それならば今すぐに殺して」という言葉を僕は飲み込んだ。
例え僕の身体が滅んでも、紋章の力が無くなるわけじゃない。
きっとまた僕と同じような器が作られるだけ。
それじゃあ、何も変わらない。
悔しかった。
負けたくなかった。
紋章の器としての存在価値しか持たないまま、死にたくなかった。
人ではないくせに、僕はいつの間にか人を、この世界を愛していたのかもしれない。
現実を感じたことのなかった僕が、あんな悲しい世界の終焉を許せないと思ったのはその所為だったのかもしれない。
あいつにも言われたし。
お前は人を憎んではいないじゃないか、ってね。
悔しくて、悲しくて、おぞましくて、僕は段々とおかしくなってしまったのかもしれない。
真なる紋章を宿した者は他にもいる。
ある者はそれを護るために生き続け、ある者はそれを手離してでも人として生き、死ぬことを選んだ。
羨ましかったよ。
僕はどちらを選んだとしても、人として生き、死んでいくことは出来ない。
人して生きようとするならば、まずこの身を砕かなければならなかった。
「託すことの出来ない生は虚ろだ」と言った男がいたけれど、人ではない僕の生を誰に託すことが出来ただろう。
僕にとっては、三十年でも十分耐え難い時間だったんだ。
あの世界の終焉を見届けるまで生き続けなければならないと知ったとき、
僕の中には時の長さの違いなんてものは無くなってしまった。
だって想像してごらんよ?
これから先、長い長い時間を、世界が滅びると解っていながら、
それを知らない人々がもがき、苦しんで、抗って血を流す光景を、
全ての元凶である紋章の力を抱えたまま見つめていかなければならないなんて。
二十七ある真なる紋章を全て壊すことは出来なくても、
そのうちの一つでも壊すことが出来たなら、世界は変わるかもしれないと思った。
そして人の持つ力を信じていたからこそ、この歪んだ世界にリセットを掛けて、
百万の命を犠牲にしたとしても、人はそこからまた新たな世界を始められると思ったんだ。
紋章が作り出したこの世界と、人の存在。
そして紋章の力を使って繰り返される戦い。
それはこの世界を終わらせる為だけのものだった。
酷いことだと思わないかい?
勝手に作り出しておきながら、それを終わらせるために血を流させるなんて……。
争いの根本を消去しない限り、何も変わることはない。
そんな忌まわしい力をこの身に宿した僕だからこそ、抗わなければいけないと思った。
紋章の力に翻弄されて、ただ黙って流されて生きるなんて我慢出来なかったんだ。
運命の輪を一人で回そうとしたことは間違いだったのかもしれないけれど、僕はずっとひとりだったから。
こんなおぞましい存在は、この世界何処を探したっていやしない。
兄さんはいたけれど……でも、あの人に真実を伝えることを躊躇っていたのも本当だ。
知ってしまえば僕と同じように苦しむに決まっている。
あの人がそれを知るのは、真なる土の紋章を奪うときで構わない。
だから、誰かに理解されようなんて思いもしなかったんだ。
……だけどね。
こういう結果になることを、僕は少しだけ予感していたんだよ。
あの少年と、それに手を貸す者たちは、あの頃の僕らによく似ていたから。
そしてこうなって、僕は少しだけほっとしているんだ。
眠る君を見ていると、君の命を消さずに済んだことに安堵している。
僕は君に置いていかれることを恐れていたから、もうそうならないと知って少しだけ嬉しいんだ。
もちろん、僕が犯した罪が消えるわけじゃない。
世界の未来を変えることも出来ずに、多くの命を奪ってしまった。
それは許されることではない。
僕の間違いは自分の力を過信し、一人で運命の輪を回そうとしたこと。
そしてもうひとつ。
紋章の見せる絶望に飲み込まれてしまったことだ。
全ての争いの原因が僕自身にあることに、僕は耐えられなかった。
紋章の力を憎み、僕自身を憎み、紋章が作り出したこの世界を憎んだ。
百万の命を犠牲にする価値があると思ってしまうほどに、絶望してしまったことだ。
僕は彼女と逝くよ。
僕の為に力を使うだけ使って果ててしまった彼女を、見捨てることなど出来ないから。
君は僕に留まることを望み、彼女は僕についてくると言ってくれた。
彼女も僕と同じで、ずっとひとりぼっちだったからね。
それに僕は我侭だから。
それは君が一番良く知っているはずだろう?
僕達は許しを乞うつもりはないから、罰を受けなければならないんだ。
だから僕は彼女と逝くことにしたよ。
ねぇ。
君の中で僕はまだ、綺麗なままだろうか。
口が悪くて、冷たくて、我侭な僕だろうか。
もし生まれ変わることが出来たなら、その時はもう少しだけ素直になれそうな気がするよ。
もちろん、今まで通りで良ければそうするけどね。
そうしたら君はまた僕を「好きだ」と言ってくれるかな。
その時の僕はきっと、やっぱり君を鬱陶しがって、それでも今度はきっと離れないだろうね。
君の傍で一緒に生きて、一緒に死んでいくと思うよ。
君は浮気性だけど……でも今度はそれを許さないよ。
蹴りのひとつも入れてあげるから、楽しみにしていてよね。
君は僕が嫉妬なんてしない奴だと思っていたかもしれないけど、そうじゃなかったんだよ。
僕はいつか君から離れなきゃならないと思っていたから……。
だから見ないふりをしていただけなんだ。
知らなかっただろう?
でもそんなことは、教えてあげないよ。
君の中の僕は、そのままでいいんだから……。
ああ、もう時間だ。
僕は逝かなくちゃ。
今の僕の望みは、君が世界の終焉を見ずに済めばいいということだけ。
それともまた英雄が現れて、今度こそ未来を変えることが出来るかもしれないしね。
……君を見ていたら、またあの頃の愚かな僕に逆戻りしてしまったみたいだ。
またこんな希望を抱いてしまうなんてね……。
それに今はもう、紋章が見せていた悲しい未来も見えなくなったから。
もしもあの時、全てに目を瞑って君の傍にい続けることを選んでいたら……。
いや、そんな例え話をしても無駄なことだね。
月がとても綺麗だよ。
あの綺麗な月に乗っていけるなんて、まんざら悪くないことだね。
そういえば君とも何度も一緒に月を見たよね。
君の腕の中はとても暖かくて、とても優しかったっけ。
……ねぇ、何故泣くの?
君に僕は見えていないはずなのに。
閉じられたままの瞼から透明な雫が浮かんで、目尻を伝っていく。
泣かないで。
僕は今、とても穏やかな気持ちなんだから。
ずっと切り離すことが出来ないと思っていたあの禍々しい力から解放されて、僕は自由になったんだよ。
僕は世界の運命を変えることは出来なかったけれど、僕自身の運命を変えることは出来たのだと信じてる。
僕は負けたわけじゃない。
けれど、許されないことをしたのは解ってる。
だからせめて、僕を哀れんだりしないでほしい。
罰を受ける覚悟も、ちゃんと出来ているよ。
寧ろ君は、僕を憎んでいいんだ。
僕達はいつかきっと、また巡り合う。
それまでに僕は、僕の罪を贖うことが出来るだろうか。
君は今のうちに、好きなだけ女を追いかけておくといいよ。
次に会うときはそうはいかせないつもりだからさ。
まぁ、いい年なんだからほどほどにしておいた方がいいとは思うけど。
それじゃあね。
ありがとう。
こんな僕の為に涙を流してくれて。
初めて僕を愛してくれた人。
初めて僕を抱きしめてくれた人。
この世界で唯一人、僕の望む僕の姿を映してくれた人。
ああ、風が吹いてきたよ。
この風に乗って、あの月まで行くことにするよ。
今夜の月は本当に綺麗だ……。
本当に……。
- end -
2002.07.21
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※レックナート様の台詞はゲーム中より引用致しました。