星に願いを


外に出たいと言い出したのは、僕のほうだった。
暖かで柔らかな夜の空気に誘われたのだろう。
葉擦れの音以外は何も聴こえないその場所で、暗い湖面をぼんやりと眺める。
あまりにも気持ちが良くて、つい素直に口にしてしまった。
「……気持ちいい」
僕を後ろから抱いていたシーナが、目を輝かせて顔を覗き込んでくる。
「えっ? 俺?」
「馬鹿。違うに決まってるだろ」
本当はそれもちょっとだけあった。
人の温もりが心地好いものだと思い始めたのはいつからだったろう。
昔は他人と時間や場所を共有するのは大嫌いだったし、ましてや触れられるなんて考えたくもなかった。
でも今はほんの少しだけ、誰かが傍にいるのもいいことだなと思っている。
もちろん、相手にもよるのだけれど。

今も僕はシーナに体を預け、腕の中に納まってしまっている。
変われば変わるもんだな、とまるで他人事みたいに心の中で笑った。
「で? なにが気持ちいいんだよ」
「空気がだよ」
淡い花の香りを孕んだ、春の夜の空気。
通り過ぎてゆく風はどこまでも優しくて、こんな闇さえも穏やかなものに変えてしまう。
耳たぶに、シーナの唇が触れた。
「……もっと気持ちよくしてあげようか?」
甘い声が響く。
いつもなら一旦は拒絶するところだけど、なんだか今はこの空気に漂っていたかった。
「どうかな」
「なに、その返事?」
シーナはくすくすと笑いながら僕の顎に指をかけた。
目を閉じる。
そっと唇を啄ばまれる。
激しいキスはしたくなかったから、舌先だけを絡ませた。
いつもよりも静かで、長いくちづけ。
シーナもこの夜に酔っているのかもしれないと思った。

ゆっくりと草の上に倒される。
さやさやと揺れる葉の合間に、星を散りばめた夜空が覗く。
本当に気持ちがいい。
このまま眠ってしまいたいぐらいだ。
ぼんやりとしている間に、慣れた手つきでシーナが僕の服を脱がせてゆく。
「綺麗だなぁ……」
僕を見下ろしながらしみじみと言うシーナが可笑しくて、少しだけ笑った。
指先が首筋から鎖骨をなぞる。
何度も僕の体の線を辿る。
もどかしいぐらいの時間をかけて、シーナは漸く僕の胸の突起を口に含んだ。
「あっ……」
途端、まどろんでいた意識が形を成した。
湿った舌の先が胸を突つくたびに、体の芯が熱くなる。
僕は堪らなくなって身を捩った。
「なんだかルック、猫みたいだ」
シーナはそう言って笑いながら、自分も服を脱いだ。
それから僕を抱き締めて首筋に顔を埋める。
「猫? 僕が?」
「うん、猫。我侭で気紛れで、そのまんまじゃん」
「聞き捨てならないこと言うね。誰が我侭なんだよ」
「あれぇ? 気づいてないの?」
頬を寄せ合いながら交わす言葉は、ただの遊び。
でもそれは、まるで内緒話のようで。
甘い愛の言葉よりは、この夜にずっと相応しかった。
「うん……っ」
シーナの指が僕を解く。
待ちわびていた体が震えた。
「なんか……いつもより柔らかい」
「……知らないよ」
恥ずかしくなってぷいと横を向く。
けど、多分シーナの言う通りなんだろう。
身体の何処にも力が入っていないのが、自分でも分かるから。
外のせいか汗ばむこともなくて、やっぱり気持ちがいい。
「ほんと……気持ちいい夜だよな」
シーナが僕の中にゆっくりと腰を沈めてきた。
いつもはもう少し乱暴なのに、今夜は随分と優しい。
一応は僕が浸っている気分を読み取っているのかなと思って、少しだけシーナを見直した。
「ん……は……ぁっ……」
夜の中に溶けていきそう。
満たされるって、こういうことを言うんだろうか。
僕は無意識にシーナの背中を掻き抱いた。
視界の隅に暗い空が見える。
誰もいない。
この世に二人きりみたいだ。
「ルック……」
いつもは何度も呼ぶくせに、そのときシーナは初めて僕の名前を口にした。
それが果てる合図。
少し速さを増した後、僕達は達した。

余韻が引いていく頃、僕は閉じていた瞼を開いた。
その瞬間、夜空を一筋の星が流れていった。
僕は思わずそれを指で追った。
「星……」
僕のうえに倒れ込んだままだったシーナが、そこで漸く顔をあげた。
「……流れ星?」
「うん、そう」
「願い事、した?」
「ううん」
「じゃあ、次は間に合うといいな」
「……」
シーナはそう言ったけれど、きっと次も見送るだけだと思った。
だって今の僕には、願い事なんて思いつかなかったから。
起き上がろうとするシーナを引き止めて、首に腕を回してしがみつく。
ぴたりと合わさる胸が、暖かい。
「珍しいなぁ」
シーナは笑って、僕の髪をくしゃくしゃに掻き回す。
からかわれたって構わない。
たったひとつの願い事が、今叶っているのだから。

星に願いを。
星に願いを。

明日も安らかな夜が訪れますように。

- end -

2003.03.29


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