Confession


シーナの妙に弾んだ声を聞いた時から、嫌な予感はしていた。
森の奥にあるこの場所からは湖を見渡すことが出来る。
暖かな木漏れ日が降り注ぐ中、僕は読みかけの本を開いたまま、樹に凭れ微睡んでいた。
その時は本当に静かで、安らかな気持ちでいたのだ。
それをこんなことでぶち壊されて、僕は猛烈に腹を立てていた。
「……どういうことか説明してもらおうか?」
開いた左の掌を突き出すと、シーナは顔を引き攣らせながら二、三歩後退った。
「ご……ごめん……」
「謝罪なんて聞きたくないね。僕はどういうことか説明しろって言ってるんだよ」
「いや、だからね、それは……」
「僕は最初にちゃんと聞いたよ。怪しい物じゃないだろうね、って。 そんなことないと君は答えた。要するに君は嘘を吐いたってわけだ」
「だ、だからさぁ」
「そうじゃなきゃ、こんなことになるわけないよねぇ?」
僕は左手の中指に嵌っている指輪を力任せに引っ張った。
しかし結果は同じだった。
どうしても抜けない。
皮膚にぴったりと吸い付いてしまったように離れないのだ。

見たことも無い程に深い翠色をした石は、細かい細工の施された銀色の台座に収まっている。
年代物らしく銀は少しくすんでいたけれど、粗悪な物でないことはすぐに分かった。
けれど僕は装飾品としての指輪なんてものに興味は無かったし、 シーナが余りにも嬉々として差し出してきたから充分怪しんだのだ。
けれど結局は彼の必死とも言える程の説得に負けて、一度嵌めてみるぐらいならいいかと思ってしまった。
今思えばあの必死さこそが不自然だったというのに。
彼のしつこさを前にして、面倒臭くなってしまったのが運の尽きだった。

「だから、呪いとかじゃないんだってば」
シーナは執拗に言い訳をする。
外れなくなる指輪なんて、呪い以外の何物でも無いだろう。
しかもシーナはこうなる事を分かっていながら、僕にこれを嵌めさせたのだ。
悔しくて、腹が立って仕方が無かった。
いったいどういう魂胆なんだ。
あてつけがましく無駄な努力を続けている僕を、シーナが制止した。
「もう止せって! 外す方法なら、ちゃんと分かってるんだから!」
「……そうなの?」
「そうだよ!」
だったら早くそれを言えばいい。
僕の怒りのボルテージが少しだけ下がったのを感じて、シーナは途端に得意気になる。
そういう態度がかえって怒りを煽ると知らないのだろうか。
僕の肩に手を置いて、ご機嫌取りの笑顔まで浮かべてきたシーナに、再び掌を突きつける。
「じゃあ、さっさとそれを実行しなよ。早く」
ニヤニヤ笑ってる場合じゃないんだよ。
しかしシーナはのらりくらりと矛先をかわす。
「うん〜……でもね。それは俺じゃなくて、ルックがやらないとダメなんだよな」
「はぁ? 何をすればいいのさ」
「それにはまず、その指輪が何なのかから話さないと」
なんてまどろっこしいんだろう。
どうにか苛立ちを抑えながら聞いたシーナの話は、こういうものだった。

昔、あるところに貴族の娘がいた。
その娘はあろうことか屋敷で下働きをしている青年に恋をしてしまった。
しかし娘には既に親の決めた婚約者がいたうえに、 身分違いの恋が認められるはずもなく、娘はその想いを告げることさえ出来ずにいた。
そうこうしているうちに婚礼の日取りが決まり、いよいよ娘は嫁ぐこととなった。
結婚式の日の朝、娘の元を訪れた青年は彼女に小さな包みを渡した。
包みを開くと、中にはとても美しい指輪が入っていた。
それは青年が母親の形見として大事に持っていたものだった。
そして戸惑う娘に暇を告げると、青年は屋敷を去って行ってしまった。
そう、青年もまた娘に恋をしていたのである。
娘がそれに気づいたときには既に遅く、結局彼女は泣く泣く婚約者の元に嫁いでいった。
しかし娘はその指輪を生涯外すことは無かったという。
勇気を出して、想いを告げていればという後悔と共に……。

「……で、その馬鹿馬鹿しい話がなんだっていうんだよ」
心底うんざりしていた。
何処にでもありそうな、つまらない話だ。
どっちもどっち、自業自得じゃないか。
今、僕が聞きたいのは指輪を外す方法だけだ。
シーナは僕の手を取って、わざとらしくしみじみと言った。
「うん。それでね、これがその娘のしていた指輪らしいんだよね。 だからこの指輪には、娘の後悔の念が今も宿ってるっていうわけ。 恋しい人に、せめてヒトコト想いを告げていればっていう……」
嫌な予感がする。
物凄くする。
そしてその予感は悲しいことに、見事的中した。
「好きな人に告白する―――。それが指輪を外す方法なんだって」
「なっ……」
冗談じゃない。
なんだそのお節介な指輪は。
自分の想いが実らなかったからって、どうして無関係な人間に告白を強要したり出来る?
「嘘を吐くな!」
僕は思わず怒鳴った。
シーナは心外だと言わんばかりに、目を剥いて乗り出してくる。
「嘘じゃないって! そもそも俺がこんな嘘を考えつくと思う?」
「それは……思わないけど」
「うっ……ちょっと傷ついたけど、そうだろう? ジーンさんから聞いたんだ。本当の話だよ」
「……」
頭を抱えたくなった。
シーナのくだらない思惑が手に取るように分かる。
こいつはどうしてこうも次々と馬鹿なことをしてくるのだろう。
そんなにも僕に好きだと言わせたいんだろうか。
何でも口にすればいいってもんじゃないだろうに……。
これ見よがしに長い溜息を吐いた僕に、シーナは更に追い討ちをかける。
「好きな人にまだ想いを告げていない人がこの指輪を嵌めると、外れなくなるんだって。だから……」
「もう、いいよ」
「へ?」
「もういいって言ってるんだよ」
中指にきっちりと嵌ってしまった指輪を見つめる。
こうなったら意地だ。
シーナの話が本当なら、指輪が外れなくなった時点で、僕には想いを告げていない相手がいることになる。
その事実だけで充分じゃないか。
これ以上のことはプライドが許さない。
僕は出来るだけ冷静な口調でシーナに宣言した。
「君の考えてることはよく分かった。だったら一生これを嵌めてるよ。それでいいだろう?」
「……ええっ!?」
「今は鬱陶しいけど、そのうち慣れるさ。じゃあ僕は行くよ」
「ちょ、ちょっと待っ……!」
もしかしたら何か悪いことが起きるかもしれないけれど、もうそんなことどうでもよかった。
草の上に置き去りになっていた本を拾い上げ、シーナに背を向ける。
するとシーナは慌てたように僕の腕を掴んで引き止めてきた。
いい加減にしてくれ。
シーナの手を乱暴に振り払い、睨みつける。
「僕は君を見損なったよ」
「ルック……?」
「本人の意思を無視して、強制的に告白されて、それで君は嬉しいわけ? 僕だったら嬉しくないね。ぜんぜん嬉しくない」
「あ……」
そこでシーナは初めて、自分のしたことの愚かさを痛感したようだった。
「ごめん……」
呟いて、しょんぼりと俯く。
ああ、なんて馬鹿なんだろう。
馬鹿も馬鹿、大馬鹿だ。
こんなくだらないことをしてくるシーナも、 それを後悔している姿を見て、そんなくだらないことで気が済むなら面倒臭いからやってしまおうかと 思い始めてしまった僕も、本当に大馬鹿だ。
「……絶対に外れるんだろうね」
尋ねると、シーナがぱっと顔を上げた。
「う、うん。きっと」
「きっとじゃ困るんだよ。絶対じゃないと」
「うん! 絶対!」
「……」
シーナの言葉を本気で信用したわけじゃない。
けれど面倒なことは早く終わらせるに限る。
それにこれは僕の意思じゃないんだ。
シーナにとっては重要なことなのかもしれないけれど、強制されたことで僕にとっては価値も意味も無くなった。
それでもいいと言うのなら、やってやろうじゃないか。
「約束。今から僕が言うことはすぐに忘れること。それから今後も、この話をしたら許さないからね」
「う、うん」
「……じゃあ、後ろ向いて」
シーナは言われた通り背中を向けた。
息を吸い込む。
「僕は……」
価値も意味も無いはずなのに、どうしてもその後の言葉が出てこない。
何度も息を吸っては吐く。
気づけば口の中が乾いていた。
どうしてこんなことになったんだろう。
僕は一生言わないつもりでいたんだ。
それでもこの指輪の持ち主のように、後悔なんてしない自信があった。
それなのに―――。

不意に一羽の蝶がやってきて、シーナの頭に止まった。
シーナは気づかない。
まるでリボンを付けているみたいだ。
なんて間抜けな姿なんだろう。

ああ、そうか。
僕は君のことが好きなんだっけ。
そういえば、そんな気もするよ。
軽薄で、お調子者で、そのくせ変なところでしつこくて。
僕なんかのことを好きだって、何度も言うんだ。
どんなに冷たくあしらっても、どんなに酷いことを言っても、それでも君は僕を好きだと言う。
まるで何もかも見透かしているみたいに、僕のことを抱き締める。
いつも自由で、いつも笑ってて。
一緒に居ると自分まで、自由に生きているような錯覚をしてしまう。
それが時々とても辛くて、だけどどうしても手放したくなくて。
求められることも、腕の中の温もりも、何も知らなかった僕には余りにも幸せすぎたから。

蝶が再び羽ばたく。
僕はその姿を目で追った。
柔らかな風が吹いて、樹々が優しく鳴る。
木漏れ日が眩しい。
「僕は……」
さざめく葉音に溶けるように、その言葉は零れた。

「君が……好きだよ」

「ルッ……」
シーナが振り向いた瞬間、指輪が光を放ちだした。
弾かれるように身を反らす。
光はどんどん強くなり、目を開けていられないほどになる。
暫く耐えていると次第に光は弱まり、やがて完全に消えた。
指輪がするりと抜けて、草の上に落ちる。
「取れた……」
僕はそれを拾い上げ、湖岸に向かって歩いた。
そして鏡のように澄んだ水面に指輪を投げる。
「あっ……!」
シーナが声を上げた。
指輪は音も立てずに水を打ち、沈んでいく。
小さな波紋が生まれてから消えていくのを、僕達はただ見つめていた。
「……いいのかな?」
「いいんだよ。あんなもの無いほうが」
必要とする人間がいれば、必ず手にすることになるんだ。
だからきっと、僕も―――。

僕はシーナを置き去りに、歩き出した。
後ろからシーナが大声で叫ぶ。
「俺も!」
「……なにが」
肩越しに振り返り、睨みつける。
それ以上言ったら許さない。
シーナは満面の笑みで答えた。
「ううん、なんでもない。独り言」
「……」
最悪だった。
自分が何を言ったのかなんて思い出したくもない。
指輪が外れたことで、僕は自分の本当の気持ちを嫌でも自覚させられたのだ。
どうして僕はあんな奴のことが好きなんだ。
僕に好きだと言わせたいが為だけに、こんなことをしてくるような奴のことを。
僕はどうかしている。
こんなのは一時的な気の迷いに違いない。

だから、さっきより景色が鮮やかに見えるような気がするのも。
なんとなく心の中が軽くなったように思えるのも。
全部、何かの間違いに決まってる。
絶対に、そうだ。

- end -

2005.01.17


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