chocolate
日暮れをとうに過ぎた頃。
ルックの部屋へと向かうシーナの足取りは、いつも以上に軽やかだった。
今日はリーダーからお声が掛からなかったせいで、一日中暇を持て余していたのだ。
ルックをパーティに入れるときには必ず自分も連れて行ってくれるよう、あれほど頼んでいたというのに。
しかしそんな恨み言も、ルック達が戻ってきたと聞いた瞬間に忘れてしまった。
シーナは勢いよく、目指す部屋のドアを開けた。
「お帰り、ルック!」
飛びついて抱き締めたい気持ちを堪えながらも、限りなく嬉しそうにシーナは叫んだ。
しかし当のルックの反応は、いつも以上に冷たいものだった。
「うるさいなぁ……。大きな声出さないでよ」
入り口に背を向けて立っていたルックはそう言って、シーナをちらりと振り返っただけだった。
機嫌はすこぶる悪いらしい。
シーナは小さく肩を竦めると、これ以上ルックを刺激しないよう静かにドアを閉めた。
「ずいぶん疲れてるみたいじゃん。どこまで行ってたんだ?」
「ティント。往復、歩いた」
「え!? なんで、また」
ビッキーにテレポートを頼むとか、瞬きの手鏡を使うとかすればもっと楽に移動出来たはずだ。
絶句しているシーナを前に、ルックは盛大な溜息を吐きながらベッドに腰掛けると、疲れきった様子で項垂れた。
「探し物があるとか、鍛錬がどうだとか言ってたね。とにかく、もうくたくただよ」
「へぇ。じゃあ、俺は行かないで良かったのかも……」
思わず本音を覗かせたシーナを、ルックが睨みつける。
しかしいつもの口の悪さを発揮させるほどの元気は、ルックにはもう残っていなかった。
ただうんざりしたように顔を歪めただけで、てっきり何か言われると思って身構えていたシーナは拍子抜けした。
「そういうわけで、僕はもう休みたいんだ。悪いけど出て行ってよ」
「そっか……」
しかしシーナはすぐに出ていこうとはしない。
ルックはそんなシーナに構わず、ベッドの上にごろりと横になると四肢を投げ出した。
「そんなに疲れてるんじゃ、仕方ないなぁ」
そう言いながら、何故ベッドに腰掛けるのか。
もう一度「出て行け」と言いたいところだったけれど、既に眠気を感じ始めていたルックにはそれさえ出来なかった。
放っておけばそのうち出て行くだろう。
そう思って眠りに落ちていこうとしたときだった。
「そうだ。いい物、やるよ」
閉じかけていた目蓋をなんとかもう一度開くと、目の前に何か小さくて丸いものが映った。
シーナの指先が、それを摘んで差し出している。
「……なに、それ」
「チョコレート。食べない?」
ルックの返事を待たずに、シーナは銀色の包み紙を剥いてみせる。
中からは何の変哲も無い茶色の球体が出てきた。
「はい。口開けて」
唇に近づけてみるが、ルックは口を開けない。
「……腹、減ってるだろう?」
確かに空腹感はあったものの、今は眠りたい気持ちのほうが強かった。
それにルックはもともと、食べることに執着が無いのだ。
何も食べずに済むのならそうしたいぐらい、
食べるという行為自体が、面倒臭くて鬱陶しいものでしかなかった。
シーナもルックのそういった考えは十分承知していたけれど、それでも手を引っ込めようとはしなかった。
「疲れてるときには、甘いものがいいんだってよ?」
「……」
根負けしたのか、ようやくルックの唇が薄く開く。
シーナはチョコレートをルックの口の中に入れた。
指先が僅かに、唇に触れた。
無表情のまま微かに動いているルックの口元を、シーナはじっと見守っていた。
「……甘い」
ルックがぽつりと呟く。
「そりゃ、甘いさ。チョコレートだもん」
「あぁ……」
「それ、家からくすねてきたんだけどさ。結構、いい品らしいぜ」
「ふぅん……」
「あっ、そういえばさ。何処かの国では好きな相手に告白するときに、チョコレートを渡す習慣があるんだって。知ってた?」
「……」
「えーと……」
反応が無さ過ぎる。
もう少し一緒にいたくて粘ってみたものの、どうやらこれ以上は無理そうだ。
シーナは潔く諦めることにした。
「まあ、ゆっくり休みなよ。とりあえず、また明日……」
そう言いながら立ち上がりかけたとき、不意にルックの手がシーナへと差し出された。
掌を上に向け、まるで何かをねだるように。
「……もう、ないの?」
「え?」
一瞬、なんのことか分からずにシーナは戸惑う。
それからすぐにルックが何を要求しているのかに気づいた。
「チョコレート……もっと欲しいの?」
意外そうなその問い掛けに、ルックは不愉快そうに顔を顰めながらも、小さく頷く。
自分からねだっておいて、そんな顔をするなんて。
シーナは思わず噴出しそうになるのを堪える。
「……何が可笑しいのさ」
「い、いや」
よほど美味しかったのだろうか。
それにしてもチョコレートをねだるなんて、今日のルックはずいぶんと可愛らしい。
眠すぎて思考がうまく働いていないせいだ。
シーナは覆いかぶさるようにして、ルックを真上から見下ろした。
「チョコレートなら、俺の部屋にまだあるよ。取ってきてあげてもいいけど、戻ってくるまで起きてられる?」
「……」
「それとも……俺の部屋まで、一緒に行く?」
どうしようか?と囁きながら、ルックの指先を弄ぶ。
ルックは眠そうな目でシーナを暫く見つめた後、その手を緩く握り返した。
「……行く」
行けば今度は戻ってくるのが面倒になって、そのままシーナの部屋に泊まってしまうに違いない。
しかしいくらシーナとて、これほどまでに疲れているルックに何かしようだなんてつもりはなかったし、
ただ一緒に眠れるだけで十分に嬉しいことだと思っていた。
それでもシーナの部屋に向かう間、ルックはあくび混じりに何度も「チョコレート、食べるだけだからね」と繰り返した。
お菓子に釣られて重い腰を上げたのだと主張することが、ルックの本意であったのかは分からない。
しかしそんなことすら眠いあまりに気づいていないようなルックに、シーナはただ笑って頷いていた。
- end -
2006.01.31
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