Bazaar


普段に比べて随分と人が少ないように見えるのは気のせいではないはずだ。
毎日毎日同じ場所に立っているから、ほんの少し変化しただけでも違和感を覚えてしまう。
ここを歩く足音は、こんなに反響して聴こえなかった。
エレベーターの動く音だって、いつもならこの場所まで聴こえてくることはない。
明り取りの窓から落ちる陽光が、冷えた空気と石畳を暖めている。

二週間前、サウスウィンドウを占拠していた王国軍が漸く撤退した。
元々人の出入りも物の出入りも激しかった街は再び活気を取り戻し、商人達や観光客らが待ち構えていたかのようにそこへ雪崩れ込んだ。
周辺には次々に市が立ち、今その辺りはちょっとしたお祭りのようになっているらしい。
街の解放に一役買った同盟軍の連中も、たまの息抜きとばかりに、こぞってサウスウィンドウに向かってしまった。
いつもならばこの時間、午後からの訓練に向かう兵士や冷やかしにやってきた観光客でロビーは喧騒に満ちているはずなのに、 ここ二、三日は妙に閑散としている。
ルックが違和感を感じているのは、そのせいだった。

誘われなかったわけではない。
寧ろ、しつこいぐらいに誘われたのだ。
勿論、シーナに。
『なぁ、行こうぜ』
『行かない』
『絶対に面白いって』
『興味ない』
『みんな行ってるのに?』
『関係ない』
心底苛々した。
会話が噛み合わない。
シーナには人の嗜好の違いというものを理解する気がないように思えた。
そもそも人の多い場所は苦手だと知っているくせに、何故誘うのだろう。
そういう場所に行ったことはないが想像は簡単につく。
さぞかし賑やかで、人々の熱気に溢れているに違いない。
今日は天気もいい。
風も無いから、蒸し暑いぐらいだ。
陽気な音楽や、出店に並ぶ極彩色の食べ物や、商人特有のあのしゃがれ声。
人と音と色の洪水。
考えただけで目眩がした。

石板の前に立ち、明り取りの窓を見上げる。
水の中にいるみたいだ。
それほど深くはない水の底から、光に満ちた水面を見上げている。
眩しすぎて空の色は見えない。
あそこには本当は何があるのだろう、と意味も無く思った。
「ただいま」
聴き慣れた声のした方向に視線を向けると、彼はニッと唇の端を吊り上げてみせた。
ルックは一瞬、きょとんとする。
「……さっき行ったばかりじゃなかった?」
「そうだっけ?」
出かけてから1時間も経っていないはずだ。
あの不毛なやり取りに辟易した感覚がまだ残っているから間違いない。
シーナは右手を差し出す。
「おみやげ」
掌に乗っていたのは赤い果実だった。
初めて見る。
名前も分からない。
「……なに、これ?」
「わかんね。美味しそうだったから」
シーナは左手にも同じものを持っていた。
ルックは訝しげな顔をしたまま、それを受け取る。
鼻に寄せてみると仄かに柑橘系の匂いがして、なんとなく酸っぱそうな気がした。
唇をつけるルックを、シーナはじっと見ている。
「……あんたは食べないの?」
「ルックが食べたら食べる」
「……」
歯を立てると意外なほどに皮は柔らかく、すぐに果肉に届いた。
白いそれは口に含むとすぐに溶けて、一緒に甘酸っぱい瑞々しさが喉の奥に流れ込む。
食べたことのない味だった。
「……美味しい?」
ルックは僅かに首を傾げる。
美味しいのだと思う。
けれど素直にそう答えるのが多分、嫌だっただけだ。
シーナがルックに覆い被さるようにして、背中にある石板に手をついた。
顔が近づくにつれ目の前の光が遮られて、やがて唇が重なる。
忍び込んだ舌先に口内を探られる。
シーナはルックの柔らかな舌の上に残っていた甘味を掬い取って、 それから、まるでそれが果実そのものであるみたいに、唇を軽く噛んで離れた。
「……うん、美味しいじゃん」
満足げに唇を舐めてシーナが言う。
ルックは何事もなかったような顔で、再び果実に口をつけた。
「……で、面白かったわけ?」
「つまんなかった」
「ふぅん」
「明日は一緒に行こうよ」
「つまんなかったって言ったの誰だよ」
「だから、さ」
シーナは石板に寄りかかりながら、今日何度目かの同じ台詞を口にする。
果実に触れるたび、柔らかく捲れる唇を横から眺める。
白い歯が、果肉を抉る。
「行こうよ。明日は二人で」
ルックは答えない。
必要ないからだ。
答えないことが返事だとシーナは知っている。
明日はこの果実の名前を確かめよう。

- end -

2002.10.17


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