アプローチ
ロビーに降りてきたノエルから「今日はゆっくり休んでね」と言われたときは、さすがにホッとした。
ここ数日、続けざまにパーティに組まれていた所為で、疲れきっていたのだ。
ノエル達が出発すると、ロビーは静けさを取り戻す。
リーダーが不在となったからには、石板に用事がある人間も当分は現れないだろう。
戦況に動きも見られないから、しばらくはこの場所を離れても急ぎの問題は発生しないはずだ。
今日は言われた通り、部屋で静かにしていようと考えて、その前に図書館へ本を借りに行くことに決めた。
「あら、やっぱり待ち合わせだったのね」
入口で会ったエミリアが、僕を見るなりそう言った。
「……は?」
「珍しい人が来たなと思ってたんですよ」
右奥の席にいるわ、と彼女はそれがまるでとっておきの情報ででもあるかのように、一際小声で囁く。
そしてきょとんとしている僕に、にっこりと微笑むと、二階へ上がっていってしまった。
何のことだかさっぱり分からないまま、言われた席に目を向けると確かに珍しい人物がいた。
そういうことか、と危うく納得しかけて、心の中で慌ててそれを否定する。
そんな風に見られていることは、僕にとって不本意であるべきことだ。
しかし本当に珍しかった。
その席に座っていたのは、紛れもなくシーナだった。
シーナは僕に気づかないまま、真剣に本を読んでいる。
そういえば今日は朝から姿が見えなかったけれど、まさかこんなところにいるとは思いもしなかった。
僕は棚から目ぼしい本を手に取ると、シーナの席に近づいていった。
後ろからそっと覗き込んでみる。
読んでいるのはどうやら、経済学に関する本のようだった。
「……珍しいね」
僕が声をかけると、シーナはびっくりした様子で振り返った。
「うぉっ! あ、ああ、ルックか。びっくりした」
「大声出さないでよ」
図書館には僕達以外、ほとんど人はいなかったけれど、それでも大きな声を出すのは憚られる。
僕が嗜めると、シーナは肩を竦めた。
「どうしたっていうのさ。君がこんなところに来るなんて」
シーナの部屋にはそれなりに本があったけれど、ほとんどは父親から無理矢理に持たされた物だと言っていた。
わざわざ自分から図書館に出向いてまで本を読むほどの本好きではない。
僕が声を潜めて尋ねると、シーナはわざとおどけて答える。
「ちょっとな。気分転換ってやつ?」
「……変なの」
へへへ、とシーナは誤魔化すように笑う。
そんな気分転換、あるはずがない。
何か他に理由があるのだろう。
けれどそれを聞くまでもなく、僕には本当の理由がなんとなく分かってしまった。
シーナの父親が大統領を務めるトラン共和国の財政状況は、あまり芳しくないと聞いている。
そしてシーナは最近、父親の仕事に多少は興味を持ち始めているようだった。
シーナに大統領になる気があるとは全く思えなかったけれど、
少しは何かの役に立ちたいという気持ちが芽生えてきたのだろう。
それ自体は、なかなかいい傾向だと思う。
果たして身になるかどうかは別として。
「まあ、いいけどね。せいぜい頑張って」
僕はシーナの正面―――から、一つずれた席に座った。
確か借りていって部屋で読もうと思っていたはずなのに、どうしてこんなことをしているのだろう?
分からないけれど、どうせ何処で読んでも変わらないからと自分を納得させる。
ひらひらと手を振ってくるシーナを無視して、僕は本を開いた。
区切りのいいところまで読み進めたときには、一時間近く経っていたかもしれない。
僕は顔を上げて、シーナの方を見た。
てっきりもう飽きて居眠りでもしている頃じゃないかと思っていたのだけれど、
意外なことにシーナはまだ真剣に本を読み続けていた。
シーナは決して頭は悪くないから、読み始めたら意外と面白く感じたのかもしれない。
僕はしばらくそんなシーナの珍しい姿を眺めていた。
悪くない光景だ。
何も知らない人が見たら、彼が軟派で軽薄なお調子者だなんて絶対に信じないだろう。
それどころか勉強中の良家の子息、といった雰囲気だ。
ふと、考える。
シーナは本当に僕が好きなんだろうか。
そして僕はシーナのことを、本当はどう思っているのだろう。
そもそも僕はシーナのことを、どれぐらい知っているのだろうか。
シーナが僕を知っている程度には、僕もシーナのことを知っているつもりだけれど、
それが全てじゃないことも分かっている。
シーナだって僕のことを全て知っているわけじゃない。
現にこうして、僕がシーナを見続けていることに、シーナは気づいていない。
だったらシーナにも、もっともっと僕の知らない顔があるのだろう。
今までに見たことのない姿を目にした所為か、そんなことを考えてしまう。
そして不意に、自分で取った中途半端な距離に、酷くもどかしさを覚えた。
くだらない考えだと思いつつ、本を手に席を立つ。
シーナがそれに気づいて、僕を目で追った。
てっきり帰ると思ったのだろう。
シーナの隣りの席に行き、椅子を引くと、不思議そうな視線を向けてきた。
「……僕が隣りに座ったら迷惑?」
「え、まさか。有難き幸せです」
シーナは僕の牽制を笑顔でかわすと、また本の続きを読み始めた。
だから僕もそのまま席に着いたけれど、なんとなく面白くない。
別に読書の邪魔をしたいわけじゃない。
僕だってそんなことをされるのは大嫌いだし、何よりせっかくその気になっているところに水を差すような真似はしたくなかった。
ただ、もう少し―――もう少し、反応があってもいいんじゃないかと思ったのだ。
僕の方から近づいてくるなんて、滅多にないことじゃないのか?
それはシーナが読書に耽るのと同じぐらいには、稀有なことだと思う。
そんな悔しさからつい、僕はシーナに話しかけてしまった。
「……そんなに、面白いの?」
「え?」
「その本」
「ああ……うん、まあ」
「ふうん……」
ここで終われば、まだ良かった。
しかしシーナは少しだけ僕の方に体を傾けると、妙に瞳を輝かせながら言ってきた。
「もしかして……構ってほしいの?」
「……!」
僕はシーナを思い切り睨みつけた。
やっぱり話しかけるべきじゃなかった。
勢いよく本を開き、テーブルに肘をつく。
それが微かに、シーナの腕に触れた。
シーナはますます調子に乗って、顔を近づけてくる。
「お兄さん。この後、お時間空いてるんですか?」
わざとらしい口調。
いつもと違う場所にいるせいで、どこかおかしくなったんだろうか。
「君に関係ないだろ」
「そんな。一緒に食事でもいかがかと思いまして」
なにが、食事だ。
頭にきていた僕は、シーナの誘いをすんなりと受け入れる気にはなれない。
「お断りだね。お腹、空いてないし」
「なら、散歩でも」
「外、暑いから嫌だ」
「じゃあ、この後のご予定は?」
「部屋に戻って休む」
シーナは黙り込む。
もう、諦めるの?
腕は触れたままだ。
さっき感じたもどかしさが、再び僕を襲う。
じれったい。
僕はあくまでも本に視線を落としたまま、独り言のように呟いた。
「……ついてくるのは、君の勝手だけど」
「!!!」
シーナが身を乗り出したせいで、椅子が大きな音を立てる。
「静かにしなよっ」
「あ、あ、ごめん。でも」
また調子に乗らせて堪るものかと、僕はすかさず釘を刺した。
「君がその本、読み終わったら、の話だからね」
「すっ、すぐ読み終わります!」
「だから、静かにしなって!」
必死になってページを捲り出す姿に、僕が思わず笑ってしまったのをシーナは見ていなかった。
だからきっと気づいていない。
僕が今、君にもっと近づきたいと思っていることなんて。
- end -
2006.09.25
[ Back ]