トレランス
子供染みた態度だと自分でも思った。
しかしどうにも我慢出来なかったのである。
私はわざと大きな音をたてて席を立つと、逃げ出すように教室を後にした。
中禅寺はすぐには追ってこなかった。
彼が寮に戻ってきたのは、それから小一時間も経った頃だろうか。
部屋に入ってきた彼に何を言われるだろうかと身構えて、膝を抱えた手に力が入った。
「……まだ不貞腐れていたのか」
私は返事をしなかった。
中禅寺は畳の上に腰を下ろすと、大きく溜息を吐いた。
「まるで子供だな」
そんなことは、言われなくとも分かっている。
分かっているだけに悔しくて、私は唇を噛んだ。
中禅寺は膝を立て、その上に肘をつくと、些か伸びすぎた前髪を鬱陶しそうにかきあげる。
苛付いているときの彼の仕草だった。
「あんなのは何でもないことだろうに。君は過剰に反応し過ぎだよ」
「……何でもない?」
私は思わず反芻した。
彼は続ける。
「ああ、そうさ。確かに彼らの話は場所を弁えていないという点で、無神経が過ぎたと言えよう。
だがね。そこまで不快になるようなことかい? 誰でもあれぐらいの話はするものじゃないか」
「……」
中禅寺は分かっていない。
彼の言う通り、級友らの無神経さにも勿論腹は立った。
しかし私がなによりも厭だったのは、それを耳にしていながら中禅寺が至って平然としていることだったのだ。
教室で声も高らかに猥談に耽るようなことを、彼には肯定してほしくなかったのである。
私は中禅寺がいつ彼らを嗜めるか恫喝するか、あるいはそこまでしなくともせめて不快な感情を露わにするか、今か今かと待っていた。
しかし彼は何の反応も見せなかった。
私にはそれが信じられなかった。
「誰でも……か」
唇を尖らせて呟いた私に、中禅寺は侮蔑の眼差しを寄越してきた。
「まさか君は、自分は違うとでも言うつもりかい? だとしたら問題だな。
僕らぐらいの年齢であの手の話に興味が無いほうが可笑しい」
「じゃあ、君は……っ!」
予想外に大きな声を出してしまった自分に驚く。
私は少し黙り、それから矢張り我慢出来ずに吐き出した。
「じゃあ君は……君もあんな話がしたいのか……あんな下品な……」
中禅寺は眉を顰めた。
「そんなことは言っていない」
「言っているも同然じゃないか!」
「おい、関口。君ね」
分かっている。
分かっているのだ。
けれど中禅寺があの連中と同じように、誰かに対して破廉恥な妄想を抱くことがあるとはどうしても思いたくなかった。
考えられなかった。
そのとき、中禅寺が二度目の溜息を吐いた。
「……君は僕をなんだと思っているんだい?」
突然、冷えた声。
本格的に怒らせてしまったのだろうか。
怖くなって俯くと、不意に顎を掴まれた。
「まさか聖人君子だとでも思っているわけではあるまいね。僕にだって性欲ぐらいあるぜ」
「……!」
性欲、というあまりにも直截的な単語に頬が熱くなる。
私は彼の手を振り解くべく顔を背けたが、今度は腕を掴まれてしまった。
身を捩る。
「さっきの言い方で分かったよ。君は彼らの話の内容そのものではなく、
僕がああいった話題に興味を持つということが厭だったわけだ。
君は僕に対して随分と迷惑な思い込みをしてくれているらしい」
「やめ…っ……分かったから」
「いいや、分かってないね。いいかい。僕だって相手構わずそういった感情を持つわけじゃあない。
だが少なくとも好意を持った相手に性的欲求を覚えるのは至って普通のことだ。
認めないほうが不自然なんだよ。君も、僕も」
「もう、いいよ」
「良くない」
腕を掴む力が強まった。
恐る恐る顔をあげる。
目が合った途端、乱暴に引き寄せられた。
「なっ……!」
勢いで固い胸に額をぶつける。
中禅寺の腕が背中に回る。
「なんなんだよっ……」
みっともなく震える声で抗議してみるが、効果はない。
そのままぎゅうと抱き締められる。
胸を押し返そうとしたが、いまいち力が入らない。
なんなんだ?
中禅寺はいったい何をしようとしているんだ?
息苦しさにもがけばもがくほど、ますます強く抱き締められてしまう。
厭だ。
怖い。
「……少しおとなしくしていたまえ」
吐息と共に囁かれて鼓動が跳ね上がった。
顔が、身体が熱い。
背中を何度も撫でられる。
母に宥められる子供になったような気分だ。
掌は背中からやがて脇腹を滑り、腰を撫で、それから―――。
「ひゃっ……!」
不自然に折り曲げていた両足の間に、中禅寺の手が滑り込んだ。
「っ……な、な……」
うまく言葉が出ない。
混乱している。
内股を摩られて思わず足を閉じようとした。
けれどそれをすると中禅寺の手を挟むことになってしまう。
自分の手を使って退けたいのだが、両腕は自分と中禅寺の間にきつく挟まれて自由がきかない。
どうしよう。
厭だ。
どうすればいい?
がくがくと膝が震える。
「や…やめ……」
「……」
心臓が口から飛び出しそうだ。
どうして。
どうして。
掌が、指先が、布越しに内股を滑り、膝から足の付け根へと何度も移動を繰り返す。
さわさわとくすぐったい。
もう片方の手に抱えられた私の背は、すっかり汗ばんでいる。
どうしよう。
どうすればいいのだろう。
そのうちに彼の手は足の付け根にばかり触れるようになってきた。
腰の辺りがむずむずしてくる。
逃れたいのだが、最悪なことに足が痺れてきてしまった。
中禅寺は何を考えているのだろう。
顔を見たいのだが、どうしても顔をあげられない。
息が苦しい。
「―――!!!」
中禅寺の掌が私の中心を覆った。
何を考えているんだ?!
怒鳴りたいのだが喉がからからに渇いていて声が出ない。
私はああとかううとか意味の無い呻き声をあげながら、
中禅寺のシャツの胸元を握り締めた。
厭だ。
厭だ、厭だ、厭だ。
けれど掌は容赦なくそこを握っては擦り上げる。
熱い。
苦しい。
「あぁ……ぅ………」
泣きたい気分だ。
私を抱きかかえている手も、
中心を攻め立てる手も次第に強さを増してくる。
やがて私の身体はいやらしく反応を見せ始め、中禅寺の手の中で頭をもたげだした。
感じていることが、欲情していることが知られてしまう。
恥ずかしさと混乱とで、どうにかなりそうだ。
厭だ。
やめてくれ!!
「……関口」
「あっ」
また耳元で囁かれ、身体が跳ね上がる。
更に耳を軽く噛まれた。
力が抜ける。
どうして中禅寺はこんなことをするのだろう?
さっきからその疑問ばかりが頭の中に浮かぶが、その度に与えられる刺激に阻まれて思考は中断してしまう。
中禅寺の手は動き続けている。
そのとき、朦朧としはじめた意識が一気に引き戻された。
「んぁっ―――!」
中禅寺はいつの間にかズボンの合わせから手を差し入れ、私の屹立に直接触れていた。
私は何か声をあげたような気がするが、自分ではもうよく分からなかった。
ただ目の前が霞んだことで涙ぐんでいることだけを知る。
呼吸がうまく出来なくてとても苦しい。
全神経が彼の手に包まれた場所に集中する。
そこを他人に触れられるなど、もちろん初めてのことだ。
なんだか信じられない。
中禅寺は汚いと思っていないのだろうか。
出来れば思われたくない。
さっきまであんなに嫌悪していたのに、そんな風に考える自分が厭だった。
彼の手が私のものをゆっくりと扱き始める。
身体が震えるのを抑えられないでいると、中禅寺は私の髪や額に口づけてきた。
「あ……あぁ………」
どうしていいのか分からない。
ただ彼の手が上下に動いて、先端を絞るように握り締められるたびに身体の奥がせつなく疼く。
押しのけようとしていたはずの手で縋りつき、息苦しさに喘ぐ。
指先が溝を滑り、そこから滲むものを塗るように広げる彼の骨張った指の形を感じる。
彼はどうしてしまったのだろう。
私は何をしているのだろう。
しかも私はろくな抵抗もせず、そこは恥ずかしげもなく気持ち良さにびくびくと脈を打っているのである。
「ちゅうぜ……どうし、て……」
息も切れ切れに問いかける。
耳に唇が触れた。
「さっきも言っただろう? 誰でもいいわけじゃない、と」
「……」
ともすれば遠ざかりそうな意識の中で、必死に思い返してみる。
誰彼構わずというわけじゃない。
けれど好意を持った相手になら。
彼は確かにそう言った。
「あ…んぁ………」
込み上げる甘い疼きに、どうしても声が漏れてしまう。
汗に濡れた頬をうっとりと目の前の胸に寄せたとき、中禅寺の呼吸が僅かに乱れていることに気づいた。
私と同じように熱い息を短く吐き出しているのがすぐ側で聞こえる。
私は思わず彼の胸に耳を押し付けた。
鼓動が速い。
これも私と同じだ。
身体の熱が急激に高まる。
いつの間にか私は中禅寺の股間へと手を伸ばしていた。
「……っ!」
中禅寺は一瞬驚いたようだった。
けれど私は構わず彼のものを探り当てると、私がされたのと同じく下着の中からそれを引き出そうとした。
私が手間取っていると、中禅寺は少し足を広げ私の行為を手伝ってくれる。
こんなことをするなど自分で自分が信じられないが、どうにも止められない。
漸く握り締めたそこは矢張り私と同じように熱く硬くなっていた。
私を抱き寄せている中禅寺の手に力がこもった。
彼も私と同じだと思うと、恥ずかしい気持ちが少しだけ軽くなる。
手の動きに合わせて腰が前後に揺れる。
自分がされているのと同じことを中禅寺にもした。
掌で擦り上げ、時折先端を指先で弄ぶ。
強弱を、緩急をつけて攻め立てる。
腰の辺りを昇ってくる快感に、解放を求めて身体が震える。
「あ……あ、あ……あぁ……」
喘ぎながら私は漸く目線を上げた。
思ったよりもずっと近くに中禅寺の顔があった。
唇は僅かに開き、瞳が微かに潤んでいる。
私に欲情していることが一目で分かった。
嫌悪感はなかった。
「んんっ……」
乾いた、熱っぽい唇が私の唇を塞いだ。
すぐに舌を絡め合う。
その間も互いの手が止まることはない。
寧ろその動きは激しさを増した。
「ふっ、んぅっ……」
ああ、もう駄目だ。
なにがなんだか分からない。
どちらが私の身体なのだろう。
この手の中の熱い塊はどちらのものなのだろう。
こんなにもいやらしい音を立てているのは私と中禅寺、どちらなのだろう。
なにかが出口を求めて身体の中を駆け回っている。
滅茶苦茶に手を動かす。
強請るように腰が揺れる。
熱い。
苦しい。
もう駄目だ。
許してくれ。
もっと。
もっと強く。
ああ、もう―――。
頭の中に白い靄がかかっているようだ。
私達は呼吸が整うまで、暫く互いの肩に額を押し付けていた。
それから、そっと手を離す。
どろりとしたものが指の間から零れていく感触。
彼の手にも同じものがあるのだろう。
そう思うと、とてつもなく恥ずかしい。
「……厭だったかい?」
降りてきた呟きに、私は力なく首を振った。
「現金な奴だ」
彼は笑う。
恥ずかしくて堪らない。
結局私は、彼の欲情の相手が自分ならば文句は無かったというわけだ。
本当に恥ずかしい。
恥ずかしくて情けない。
けれどこの気持ちを変えることは、私には当分出来そうになかった。
私は顔をあげられず、いつまでも俯くばかりだった。
- end -
2003.03.04
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