シナプス
あの日以来、私は中禅寺の顔をまともに見ることが出来なくなってしまった。
隠し続けていた欲望を見抜かれ、認めさせられ、思い出したくもないほどの醜態を晒してしまったのだから当然だ。
しかし中禅寺の方はと言えば、今までと少しも変わらぬ態度を取ってきたのには驚かされた。
恥ずかしい想いをしたのはお互い様のはずなのに、どうしてそんなことが出来るのか、私には全く理解が出来なかった。
昼間教室で周りに人がいるときならともかく、彼と二人きりで過ごさなければならない学生寮の部屋は、私にとって拷問部屋でしかなくなっていた。
特に夜は辛かった。
布団に潜るたび、言い知れぬ衝動が私に襲いかかる。
少し離れた隣りに眠る彼の息遣いが、まるで耳元で聴こえているような錯覚に陥る。
私は強く目を閉じ、必死で何か別のことを考えようとした。
しかしその意思に反して、私の脳はあの浅ましい記憶をたちまちのうちに再現していくのだった。
抱き締められた腕の力、包み込む体温、冷たい掌……。
あのときに触れられた場所全てが、熱を帯びていく。
私は汗ばむ拳をぎゅっと握り締め、その衝動に抗おうとする。
しかしそれも長くは続かない。
私はしばしば部屋を抜け出しては、自分自身に惨めな慰めを与えなければならなかった。
今夜もまた、それがやってきた。
息を殺し、私はそっと布団を捲った。
中禅寺は眠っている。
足音を忍ばせながら部屋を出ようとした、その時だった。
「……関口君」
「……!!」
氷の手で心臓を鷲掴みされたようだった。
熱くなっていた体は一瞬にして冷え切り、毛穴という毛穴から嫌な汗が噴き出す。
中禅寺は布団の上に起き上がり、暗闇の中で私に問うた。
「便所にでも行くつもりかい?」
「あ……う、うん……」
「なら、いいんだが」
辛うじて答えたものの、私の声は確かにうわずっていただろう。
これでは不自然極まりない。
中禅寺の微かな溜息が聞こえた。
「それにしても最近、よく夜中に部屋を出て行くな。しかもなかなか戻ってこないじゃあないか。
まさか寝惚けているのではないかと、気になってね」
「……!」
がくがくと膝が震え出す。
私が夜な夜な部屋を抜け出していたのを、中禅寺は知っていたのだ。
もちろんその目的までは知れていないのだろうが、それでも私は恥ずかしさに死にたいような気持ちになった。
(もう、駄目だ―――)
限界だった。
全身の力が抜けた私は、情けなく畳の上に座り込んでしまった。
「関口君?」
中禅寺が布団を出て、こちらに近づいてくる気配がした。
「……来ないで、くれ……」
振り絞るようにして、ようやくそれだけを口にすると、涙が滲んできた。
こんなことで泣くなんて、みっともなさすぎる。
私は俯いたまま唇を噛み、涙が零れるのを必死で堪えていた。
「……僕は、ああいったことは合意の上で為されなければならないと思っている」
不意に中禅寺が言った。
考えてみれば当たり前のことだが、彼は私の挙動不審の原因などとうに分かっていたのだ。
恥ずかしいと思うと同時に、ああ矢張りあのときのことは夢ではなかったのだと、
私は見当違いのことを考えてほんの少し安堵していた。
彼が余りにも態度を変えなかったので、まさかあれは夢だったのではないかと疑っていたからだ。
「この前のあれは、合意とは言い難いものだった。だから」
いつの間にか中禅寺は、私のすぐ傍に座っていた。
「……君は望んでいるのか」
言いながら、中禅寺の手が私の背に触れた。
私は思わず飛び退いた。
「ち、違う……! 僕は、僕はそんな……」
私は頭を抱えて蹲る。
自分がそんなことを望んでいるなど認めたくなかった。
しかし私が口にした否定の言葉は、確かに嘘だった。
本当は望んでいるのだ。
あのときのように彼と触れ合うことを。
たった今中禅寺に触れられた部分は、ほんの一瞬であったにも関わらず、その感触を鮮明に私の脳へと送り込んでくる。
そうだ。
もっと。
もっと、触れて欲しい。
「けれど……僕は……」
私は彼が好きだった。
けれどそれとこれとは話が違う。
そんなことがあってはならない。
間違いを犯すのは一度きりで十分だ。
そうでなければ私は―――。
「はっきり言おう」
中禅寺の声が酷く近い。
恐る恐る顔を上げると、彼はすぐ目の前にいて、私を覗き込んでいた。
その距離で見た彼の表情は、言葉では言い表し難い苦痛の色を湛えていた。
「僕は―――望んでいる」
頭の中が真っ白になった。
望んでいる?
いったい、何を。
呆然としている私の頬に、中禅寺の掌が触れる。
「もう一度聞く。君は、望んでいるのか?」
「……」
彼は狡い。
私が弱い心の持ち主であることを、よく知っているくせに。
再び嘘を吐く勇気は、私には無かった。
私が頷くと同時に、彼の唇が私の唇に重なった。
くちづけの間に肌蹴られた皮膚の上を、彼の掌が滑っていく。
「ふ……ぅっ…………」
頭の芯まで痺れていく。
頬が熱い。
この前は驚きや恐怖、戸惑いばかりが先に立っていたけれど、今日は違う。
幾度も思い出し、欲して止まなかったものを、漸く与えられた悦びのほうが大きかった。
私はまるで餌を強請る雛のように、彼のくちづけを求め続けた。
そして胸の尖りを弄られるたび、そのくちづけの僅かな隙間から声を漏らした。
「あっ……あ、んぁ……っ」
「……ここが、いいのかい?」
「……んっ……い、いい………」
そんな場所で感じるはずがないのに、私はまるで女のように喘いでしまう。
やがて彼の唇が、ゆっくりと移動を始めた。
首筋を伝い、胸元へと。
今度は彼の舌が、その場所を這う。
「あ…っ! あっ……ん…っ…あぁっ……」
私は喉を見せ、だらしなく口を開けて快感に浸っていた。
中心は既に弾けそうなほどになっていて、私はこのままの状態で自分自身を扱いてしまいたい気持ちで一杯だった。
しかしそれから暫くして、彼が私の両脚の間へと顔を沈めたとき、私の体は飛び上がった。
「やっ……!!」
思わず後退りしようとするが、私の背中は既にぴったりと壁へ押し付けられていた。
つま先が虚しく畳を掻く。
「いっ……厭だ、そんな……」
中禅寺は下着の中から醜く膨張しきった私自身を引き出し、それに舌を這わせた。
彼は厭ではないのだろうか。
汚いと思わないのだろうか。
頭がくらくらする。
胸が苦しい。
私は高熱にうかされたように、理性を手放し始めていた。
「……あっ……はぁ…はぁっ……」
あの聡明な彼がこんなことをするなど信じられなかった。
彼まで私と同じように狂ってしまったのだろうか。
私は無意識に彼の髪を掴んでいたが、その触れた髪の感触にさえ欲望は煽られてしまう。
押し退けようとしているのか、押し付けようとしているのか分からない。
彼の唇が、舌が、私のそれをなぞり、強く吸い上げる。
私は必死で声を堪えようと歯をくいしばる。
駄目だ。
このままでは、彼の口に。
そう思ったのも束の間、唐突に私は放り出されてしまった。
「……な、に……?」
既にぎりぎりの状態だった私の体は、只管に放熱を待って焦れていた。
私は中禅寺に促され、布団に横になる。
私から離れた中禅寺が、部屋の隅にある物入れから何かを取り出してくるのを、薄暗い視界の中に見ていた。
「……」
この後のことならば、だいたいの予測はついていた。
しかしそこまでの覚悟が、私には出来ていなかったのかもしれない。
再び体が震えだす。
どう言っていいのか分からず、私はただふるふると力無く首を横に振った。
「……厭、なのか?」
「あ……」
そうではない。
厭なわけではない。
寧ろ望んでいるのだ。
怖いのだろうか。
分からない。
どうしても答えられずにいると、中禅寺が呆れたように苦笑した。
「すまないが、少し我慢してもらうしかない。僕もそれほど出来た人間じゃないんでね」
「……」
中禅寺に両膝を折り曲げるようにして、足を開かされる。
後孔にひやりと冷たい感触がした。
後になってそれが、部屋に常備してあった軟膏を塗られたのだと知る。
そうだ。
今更、止めることなど出来るはずもない。
私も、彼も。
中禅寺の指がぬるりと私の体内に入り込んだ。
「あ、あぁ……っ…!」
私は敷布を握り締めながら、その異物感に耐えた。
指先は何かを探るように蠢き、そのたびに私の体はびくびくと波打つ。
なんて無様なのだろう。
それでも私は望んでいたのだ。
彼と繋がることを。
やがて彼が指を抜いたとき、私の胸の内は確かに期待で満ちていた。
私の上で彼が動き始めた。
貫かれる痛みは酷いものであったはずなのに、それはどこか現実感を伴っていなかった。
吐き気を覚えるほどの圧迫感も、汗ばんだ肌の気持ち悪さも、今の私には悦びでしかない。
私は必死で意識を繋ぎ止め、出来るだけ彼の表情を見ようとしていた。
苦しそうな、切羽詰ったような表情に、私は至福を感じる。
満たされている、と思った。
たとえこれが一時の快楽としての意味しかなかったとしても、
そのとき私は確かにそう感じていたのだ。
息を弾ませ、眉を寄せている中禅寺の顔は、いつもの仏頂面と似ているようで全く違っていた。
私はこれを望んでいたのだろう。
彼が私に欲情し、私に触れ、私を求めてくれることを望んでいた。
それは私がそうであるのと同じように。
そして今、私と彼は繋がっている。
快楽に身を任せ、私は猥らに喘いだ。
腰をくねらせ、彼の動きに合わせて自分を扱く。
達してしまいたい。
けれど、終わらせたくない。
彼と離れたくない。
いつまでもこうして繋がっていたい。
しかしそんな矛盾した願いなど、叶うはずもなかった。
腕に縋ったまま私が名を呼ぶと、中禅寺の体が一瞬緊張した。
私の奥深くを突き上げる彼の存在を感じながら、私もまた昇りつめた。
乱れた布団の上に転がったまま、私達は無言でぼんやりと天井を眺めていた。
何も考えられなかった。
後悔も無ければ、満足も無かった。
あるのはただ彼と離れてしまった寂しさと、
また彼は私を求めてくれるだろうかという不安だけ。
終わりの無い欲望と孤独に、私は永遠に繋がれてしまった。
- end -
2006.02.10
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