香風積


私は中禅寺の冷たい背中を見つめながら歩いていた。
自分の吐く息で時折白く煙る視界の中に、彼の学生服の背中が揺れている。
背丈は私よりも少し高いだけのはずなのに、私とは違って背筋が凛と伸びているから余計に大きく見える。
なだらかな肩の曲線を、私は視線で辿った。
彼は一言も喋らない。
足に纏わりつく枯葉を踏みつける乾いた音と、 軽い上り坂であるにも関わらず既に疲労している私の呼吸音だけが聞こえる。
駅に行くには、この林の中を通ったほうが早いのだ。
頭のずっと上の方で、烏の鳴き声が響いた。

空は白かった。
痩せ細った枝々が描く網目模様の向こうに、白濁した空が見える。
冷たい硝子に頬を押し付けているような、張り詰めた寒さ。
上を向いて歩いていたせいで、積み上がった枯葉の山の中に深く足を突っ込んでしまった。
よろめいて小さく声を上げた私を、彼は振り返りもしない。
―――まだ怒っているのだろうか。
昨日、私が謝ったことで、彼は許してくれたのだと思っていたのに。
それとも矢張り私が本心から詫びていなかったのが解かってしまったのか。
けれど、仕方が無いではないか。
そもそも彼が何故突然怒り出したのか、私には見当もつかなかったのだから。
数日前、確かに私達は口論のようになった。
しかしそれはいつものちょっと行き過ぎた議論で終わるはずだったのだ。
彼は唐突に口を噤むと、それから一切私と話さなくなった。
私の言ったどの言葉が彼の怒りに火を付けたのか、散々考えてはみたのだけれど結局解からず仕舞だった。
いつまでも続く気不味い雰囲気に耐え切れず、とうとう私は彼に謝罪した。
彼は「二度とあんなことは言うな」と言ったが、それが何を示しているのか今でも解からない。
解かったのは、本気で怒った彼は無言になるのだということだけだった。

私は俯き、足元に視線を落とした。
辺り一面、枯葉に覆われている。
私達が歩いている場所は他にも多くの学生が通ったのだろう、ある程度は踏み均されていたが、 それでも舞い落ちる枯葉の量が圧倒的に勝っている。
靴の裏で乾いた音が立つのは、少し楽しい。
幼い子が、わざと水溜りや泥の中を歩きたがる気持ちが今更ながらに理解出来た。
「焼き芋……」
私が呟くと、中禅寺が肩越しに少し振り返ったのが解かってどきりとする。
何故そんなことを言ってしまったのだろう。
私は馬鹿か。
「……焼き芋がどうしたんだ」
「あ、いや」
思いもかけず中禅寺が反応してくれたので、戸惑いながらも嬉しくなる。
私の馬鹿さも役に立ったのかもしれない。
「こんなに枯葉があると、焼き芋でもしたくなるなぁと思って……」
しかし彼はうんざりしたように、溜め息をついた。
「君の想像力にはほとほと呆れるね。枯葉といえば焼き芋かい。それともそんなに腹が減っているのか」
「別に腹は減ってないけど」
少々むっとしながら返す。
私は中禅寺の背中を睨みつけた。
「せっかくこんなに大量にあるんだ。焼き芋をする為に使うのも有効活用のひとつだろう?  このままここで無意味に朽ちさせてしまうよりは余程いい。枯葉だって枯葉冥利に尽きるだろうよ」
私は腹立たしさにまかせて無茶苦茶を言ってのけた。
だいたいいつまで怒っているのだ。
中禅寺はもう一度溜め息をついた。
「だから君は自分勝手だと言うのだ」
どうやら何を言っても駄目らしい。
私は彼が自分を見ていないのをいいことに、少し唇を尖らせた。
「ここにこうして降り積もることに意味があるのだと、どうしてそう思えないのかね」
中禅寺はそう言って、少し歩を緩めた。
それから辺りをゆっくりと見回す。
「枯葉が朽ちて土に戻るからこそ、ここにある樹々はまた葉をつけることが出来るのだということぐらい君にも解かっているだろう。 ということは葉が枯れることにも、その葉が落ちることにも全て意味があるのだよ。 自然の中には無駄なことなど何一つ無いのだから、わざわざ君が有効活用しようなどと考える必要は無い。 それは君、自然に対する侮辱だよ」
自分で言い出した事とはいえ、枯葉で焼き芋をする話がここまで大きくなるとは思わなかった。
私は内心中禅寺に呆れながらも、彼がこれだけ喋るということはもう怒ってはいないのだなと安堵していた。
「要するに」
彼は立ち止まり、初めて私を振り返った。
「君にとって意味の無いように思えるものでも、他者にとっては意味も価値もある大切なものだったりするのだ。 だから簡単にそれらを評価するのはやめたまえ」
中禅寺はそう言うと、再び前を向き歩き始める。

―――ああ、思い出した。

彼が口をきかなくなる直前に私が発した台詞。
僕なんて居なくてもいいんだとか、生きてる価値も無いとか、確かそんなだったはずだ。

ならば、私は自惚れてもいいということだろうか。
私がここに居ることにも、なんらかの意味があるのだと。
少なくとも中禅寺―――君にとっては。

私はまた中禅寺の背中を見ながら歩き始める。
乾いた音の続く中、彼の背中はとても優しかった。

- end -

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