星迎え


ここ暫く、寝つきの悪い日が続いていた。
体は眠りを欲しているのに、いざ布団に入るとだらだらとした意識が続くばかりで一向に眠れない。
どれぐらい時間が経ったのかも分からずにいるとそのうち空が白み始めてきて、そこで漸く私は浅い眠りに落ちる。
そのせいで昼日中でも頭の中がぼんやりとしていて、いつ眠っていて、いつ起きているのかも分からない状態になってきた。
友人の中禅寺ならば、私は常にそんな風なのだから気にすることはないとでも言うのだろうが。

その晩もやはり眠れなかった。
湿っぽい布団に横たわっていると、私の中で淀んでいる澱のようなものが、どろりと揺らぐのを感じる。
その度に私は強く瞼を閉じて、なんとかそれを押し留めようとするのだ。
ごろりと体を反転させ、うっすらと目を開けてみる。
暗がりの中には同室である中禅寺の後ろ頭と、彼の体で隆起を作った布団の山が見えた。
私は押し殺した長い溜息を吐く。
ここ数日色々と考えた結果、眠れない理由はなんとなく分かっていた。
私は出来るだけ音を立てないように布団を這い出し、部屋を出る事にした。

中禅寺と一緒にいることが、嫌だった。
彼は何もしていない。
何も悪くない。
寧ろこんな私につきあってくれる彼は、見た目に合わずとても親切な男なのだと思う。
それでも私は、嫌だったのだ。
親しくなり始めたばかりの頃は、彼の他人を突き放したような態度や言葉に酷く安心感を覚えた。
私はいつも胡乱で、気の利いた会話のひとつも出来やしなかったから、 下手に世話を焼かれたり心配されたりするのは重荷でしかなかったからだ。
彼は私と違ってよく喋ったが、私の反応に過剰に期待している様子もなかった。
私が何も言えなくとも彼には他にも知り合いがたくさんいて、元々二人きりでいる事の方が少なかったから、 そういう時は他の人間が彼の議論の相手をしていた。
そんな状況は私にとって居心地がいいとまではいかなくとも、多少の気楽さはあったのだと思う。
けれど、いつからか気づいてしまったのだ。
中禅寺は視界の端でいつも私のことを捉えていて、私の愚鈍な行動を罵ったり嗜めたり、 時には私がそういった行動を取ってしまう前に注意を促したりすることに。
私は中禅寺が怖くなってきた。
私の言動や、その言動を取る原因となっている心理状態を彼は常に私本人よりも先に察してしまう。
何故、これほどまでに彼は私の事が分かるのだろう。
私自身でさえも分かっていない私の事を、何故彼が、中禅寺が分かってしまうのか、私には不思議でならなかった。
そして彼にそれを指摘されるたびに、曖昧なまま漂っていただけで良かった関口巽という人間が、私の中に明確な形を持って姿を現してしまう。
そんなのは、嫌だった。
私は、私を知る事が恐ろしい。
濃度を増した澱が私という人間を形作り、私自身にその醜さと愚かさを見せ付ける。
私の知らない私を知らしめる、中禅寺が嫌だったのだ。

ぼんやりと寮の裏庭を歩く。
その間も歩いているというはっきりとした感覚はなく、 辛うじて足の届く沼の中を漂っているような可笑しな気分だった。
夏を待つ夜の空気は僅かに湿っていて、右手に見える鬱蒼と繁った森からは生き物達の咽るような気配が感じられた。
空を見上げてみると、濃紺の空間に幾つもの星が輝いている。
あんな何万年も昔の光に祈ったり願いを捧げたりする人達の気持ちが、私には分からない。
見上げていると自分が地面に沈み込んでいくような錯覚を覚えて、私は軽い目眩を感じた。
このまま土に埋まってしまおうか。
そうすれば私はいなくなることが出来る。
私は顔を上げたまま目を閉じた。
体がゆらりと傾いた。
「―――何をしている」
後ろに倒れそうになった私の体は、しっかりと受けとめられていた。
「ち、中禅寺」
彼の顔を見た途端、私の中に安堵が広がった。
何故だ。
私は彼を疎んじているはずではなかったのか。
中禅寺は私が足元を確かにすると、私から少し離れた。
「夢中遊行……というわけではなさそうだな」
「……」
私は俯いた。
やはり中禅寺には見つかってしまうのだ。
私は彼から逃れられないのだろうか。
奇妙な悲しみが沸き起こり、私は唇を噛んだ。
「……関口君。僕はね」
私は顔を上げぬまま、ぼんやりと中禅寺の声を聞いていた。
「僕はこんなことをしている自分が嫌いだ」
私ははっとして顔を上げた。
中禅寺はいつものように無愛想な顔をしていたけれど、その僅かに寄せられた眉は何処か悲しげにも見えた。
私は彼を傷つけていたのだろうか。
そんなつもりはなかったのに。
それは嫌だ。
傷ついた彼など―――見たくはない。
「……僕の所為……なのかい」
「さぁね。だけど、こうせずにはいられない。……やはり、君の所為なのかもしれないな」
「……」
私はなんと返したらいいものか分からず、再び黙りこくった。
中禅寺は私と距離を置いたまま暫く待ち、それから右手を差し出してきた。
「君がどうしても嫌だと言うのなら、やめるよ」
私は、差し出された彼の掌をじっと見つめた。
この手を取らなければ、私は自由になれるのだ。
今までの私のまま、私の知らない私を、知らないままでいられる。
彼は自分の言ったことを必ず実行するだろう。
私は迷い、そして―――。

結局、私は彼の手を取った。
彼がどんな顔をしたのか、見ていないから分からない。
ただ私の手を痛いほどにきつく握りしめると、普段足早な彼にしては珍しく、ゆっくりと歩き始めた。
今まで知らなかった自分に気づかされ、苛立ちを感じていたのは私だけではなかったのかもしれない。
それならば何故、互いを切り離すことが出来ずにいるのか。
その理由は、まだ分からない。
星の光が時を経て私達の元に辿り着くように、いつか分かる日も来るだろう。
私は再び空を見上げた。
無数に瞬く星を見ながら、中禅寺の手を強く握り返す。
私は確かに、そこに在った。

- end -

xxxx.xx.xx


Back ]