冬景色
寒い。
少しでも身体を温めようと、眩暈坂をいつもより早足で登る。
しかしそんな程度でどうにかなるような寒さではなかった。
それにこの坂は急な傾斜があるわけでもなく、ただだらだらと続いているだけの坂なのだ。
私の行為は逆効果で、却って空気の抵抗をもろに受けてしまったようだ。
目指す京極堂に辿り着いた頃には、私の身体は完全に凍り付いていた。
「おい、京極堂。いるんだろう?」
店先には『骨休め』の札が下がっている。
確かにこの寒さでは商売などする気もなくなるというものだろう。
いや、京極堂の場合は常にそんな気はないのだろうが。
私は仕方なく玄関に回って、声を張り上げた。
しかし何の応答も無く、これ以上外に立ってもいられなかったので私は勝手に上がり込むことに決めた。
中の様子を伺うと、人の気配がする。
矢張り、いるのだ。
「京極堂?」
座敷に入ると、主は不機嫌極まり無いといった顔で本を読んでいる。
この仏頂面はいつものことだった。
私を見もしない主を、私もまた気に止めないことにした。
「いるなら返事ぐらいしてくれたっていいものを」
うー、寒いと呟きながら定位置に座る。
そこで漸く京極堂は顔を上げた。
「勝手に上がってきて、挙句文句を言うとは失礼千万だな。骨休め、と表にあっただろう。
何故わざわざ君の相手をして疲れなければならないのだ」
「酷い言い草だなぁ」
そう言いながらもその実、私は京極堂の悪態にはだいぶ慣れている。
なんといっても、十年以上のつきあいなのだから。
「骨休めなら僕がいない間に、充分しただろう? 今日は君に良い物を持ってきたんだ」
「関口君の言う良い物などたかが知れているよ。君は物を見る目も人を見る目もありゃしない」
「そんなことはないさ。少なくとも人を見る目はあるはずだよ。ねぇ?」
京極堂はほんの少しだけたじろいだ―――ように見えた。
私に人を見る目が無い、ということは図らずも京極堂自身を貶めることになるのだ。
私は自分の反撃が珍しく効いた事に気を良くしたが、京極堂の仏頂面は更に険しくなった。
「まぁ、いいさ。それよりも、これ」
私は脇に置いた紙袋から中身を取り出し、京極堂の眼前に差し出した。
「……なんだ、これは?」
「見ての通り、襟巻きだよ。君に似合うと思って、途中で買ってきたんだ」
京極堂は私の買ってきた小豆色の襟巻きを見て、至極落胆したように溜め息をついた。
「関口君……君はどうしてそう考え無しなんだ」
「なにがだい?」
「こんな襟巻きをしなければ外出出来ないような寒い日に、この僕がわざわざ外に出ると思うのかい?
家族が死んだって僕は出かけやしないよ」
「そりゃあ、君はどんなに天気が良くたってそうそう外出なんてしないだろうけど」
「分かっているなら家計を苦しめるような真似はやめたまえ。
そういう事は関口先生の素晴らしい本がもっと売れて、金に余裕が出来た時にするものだ」
確かに私にしては奮発した物だった。
しかし店先でこれを見つけた時に、必ず京極堂に似合うと思ったのだ。
そう思ったらどうしても買わずにはいられなかった。
「じゃあ……貰ってはくれないのかい?」
「当たり前だ。返品してくるか、自分で使いたまえ」
私はがっかりしながら、その襟巻きを見つめた。
まさか京極堂に買った物を雪絵にやるわけにもいかない。
返品するには勿体無かったし、自分で使うのも淋しい。
どうしたものかと思案していると、電話が鳴って京極堂は座敷を出ていってしまった。
雪が降るかもしれない―――。
外の音が全くしない。
こういう時は雪が降る気がする。
雪は音を全て吸い込んでしまう。
ぼんやりとしていると京極堂が戻ってきた。
見上げると、仏頂面を通り越して凶悪な面相になっている。
「どうしたんだい?」
「……ふん」
京極堂は私の問いに答えず、箪笥から二重回しを取り出した。
「えっ、どこかに行くのかい?」
「煩いなぁ、君は。山内さんからだよ。何やら僕が喜びそうな和籍が持ち込まれたらしい。
いくら何でも横須賀まで来させるわけにはいかないからと、こちらに向かっているとのことだ」
「はぁ……なんでわざわざこんな寒い日に……」
「そんなことは知らないよ。けど、わざわざ来てくれると言うものを無下には出来ないだろう」
「ここまで来てはくれないのかい?」
「時間が無いらしい。それか自分だけが寒い思いをするのが嫌だったのかもしれないな。
ともかく待ち合わせをしたから、僕は行くよ」
「待てよ、僕も行く」
「君が来てどうするんだ。用事は済んだろう。帰ってくれ」
「いや、行くよ」
「……勝手にしたまえ」
私は紙袋に襟巻きを突っ込んで、慌てて京極堂の後をついて家を出た。
外は相変わらず身を切るような寒さだった。
どんよりと重く圧し掛かる空からは、今にも雪が降り出しそうだ。
白い息を吐きながら、眩暈坂を下る。
京極堂の仏頂面は寒さに凍えて、すっかり固まっていた。
私は紙袋の中を思う。
「京極堂……、一度でいいから使ってくれないか?」
京極堂が歩みを止める。
仏頂面からは、感情が読み取れない。
しかしそれは寒さのせいかもしれなかった。
私は襟巻きを取り出し、勝手に京極堂の首に巻いた。
小豆色の襟巻きは、私が予想した通り京極堂には良く似合った。
「ああ、矢張り似合うよ」
私は満足して笑ったが、京極堂は無反応だった。
そしてその後は一言も言葉を交わすことなく、私達は待ち合わせ場所に向かった。
約束の喫茶店に入ると、山内氏は既に到着していた。
寒いために客もおらず、氏を見つけるのは簡単だった。
それでなくても彼は何処か目立つのだが。
「ああ、京極君。寒いところを悪かったね。あれ、いや、関口さんもご一緒で。仲良き事は美しきかな、だね」
テーブルに着くなり、山内氏は言った。
私はなんだか気恥ずかしくなって京極堂を盗み見た。
「山内さん、そんな身の毛がよだつような事を仰らないでください。彼は勝手についてきただけですから」
山内氏は心から愉快そうに笑った。
「へえ、京極君でも身の毛がよだつことがあるんだ。それにしても、その襟巻き。
いいねえ、すごくいいセンスをしてる。京極君がそういう物を身につけているのは初めて見たけれど、とても良く似合っているよ」
京極堂はそれはどうも、と言って襟巻きを外した。
私はといえば、更に気恥ずかしさが増して俯くしかなかった。
それから三十分ほど山内氏の持ってきた和籍について話し、京極堂はそれを買い取ることにして私達は店を出た。
山内氏は帰り際にもう一度、その襟巻きは似合っているよ、と言って去っていった。
なんだか私は氏にこれが私の上げた物だと見抜かれているのではないかと思い、店にいる間中赤面していた。
もしそうでなかったら、私の態度は酷く妙に思えたことだろう。
「君も荷物持ちとしては役に立つね」
帰り道、京極堂が言った。
首には小豆色の襟巻きが巻かれている。
「京極堂……すまない」
「なにがだ?」
「山内さんに、からかわれてしまったな」
私がぼそりと言うと、京極堂はお得意の片眉を吊り上げる表情をして私を睨みつけた。
「そういう自虐的な態度は、僕は好かないな。まぁ、それが関口 巽の関口 巽たる所以かもしれないが」
私は京極堂の真意が見つけられず、黙って空を見上げた。
薄墨の空からは、雪がちらほらと舞い降り始めていた。
「寒いな………」
「当たり前だ。冬は寒いものなんだ」
私の呟きに京極堂は冷たく返す。
そして、ぽつりと言った。
「あまり寒いから、貰っておいてやるさ」
京極堂は私を見て、ほんの少し笑った。
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