Katze
決して愉快とは云えぬ日々の務めを漸く終えての帰路は、自然と口数も少なくなろうというもの。
自動車の後部座席に疲れ果てた身を預けて昏い車窓を眺めれば、沈黙と心地良い振動の中で次第に眠気が襲ってくるのも止むを得なかった。
気づけばいつの間にか身体は傾き、隣りに座る千家の肩に凭れている。
自覚はあったものの姿勢を直す気力は無くて、また千家もそれを厭う様子も無かったので京一郎はそのままでいた。
あゝ、今日も草臥れた。
早く帰って暖かい風呂に入りたい。
それとも先に食事だろうか。
そんなことを考えているうちに、眠気はますます強くなっていく。
瞼が閉じては、こじ開けるのを繰り返す。
触れ合う肩の温もりに穏やかな安堵を覚えつつ、いよいよ微睡へと落ちる寸前―――無情にも車は千家邸に到着してしまった。
「……京一郎、降りるぞ。退け」
素っ気なく押し退けられて、京一郎はううと小さく唸る。
あのまま眠ってしまえたなら、さぞかし気持ちが良かっただろうに。
離れていく体温を惜しみながらも諦めて車を降りると、秋の夜風が軍服に包まれた身体をさえ冷やしていった。
「寒い……」
思わず首を竦めて呟く京一郎に、横に立つ千家は嘲りの視線を向ける。
「ふん。転寝などするからだ」
「それは失礼致しました。誰かさんの所為で睡眠不足なものですから」
「誰かとは誰であろうな」
「さあ、誰でしょうね?」
傍から聞けば剣呑とも思われそうな遣り取りも、二人にとってはお定まりの軽口でしかない。
互いにだけ通じる程度に微笑みを交わし合いながら、玄関へと向かう。
そのとき京一郎の視界の端で、何か黒い塊が蠢いた。
「―――!」
咄嗟に足を止めて振り返る。
千家もまた同じく。
微かに息を飲む二人の目線の先で玄関脇の茂みががさりと揺れて、その黒い塊はあっさりと姿を現した。
「……にゃあ」
なんということはない、正体は真っ黒い猫だった。
独特の愛らしい鳴き声に、張り詰めていた空気もほっと緩む。
それどころか京一郎はさきほどまでの眠気もすっかり忘れたらしく、さも嬉しそうに目を輝かせた。
「いっ、伊織……! 猫! 猫ですよ!」
「……見れば分かる」
大声を出して驚かせてはいけないと京一郎はあくまで控えめな音量で、しかしはしゃぐ気持ちを隠せないままに猫と千家を交互に見やったが、千家はまったく興味を示さない。
その間にも猫は幾度か小さく鳴きながら、二歩三歩とこちらに近づいてきた。
体の大きさからすると成猫のようで、よく見れば毛並みも黒々と美しく、僅かに青みがかった瞳は凛として澄んでいる。
野良であるならもう少し警戒心もあるだろうから、自ら近づいてくるあたり何処ぞの飼い猫なのかもしれない。
「にゃあ」
黒猫はある程度の距離まで来ると、そこでぴたりと足を止めた。
そしてその場に行儀良く座り、二人を見上げる。
「よしよし、何処から来たんだい? お腹が空いているのかな?」
正しく猫撫で声を出しながら京一郎は手を差し出し、猫の顔を覗き込むように身を屈ませた。
しかし当の黒猫は目前の京一郎ではなく、もっと高い場所をじっと見つめ続けている。
「……?」
振り返って確かめた。
猫の視線の先にいるのは、黒髪を靡かせて仁王立ちしている千家伊織。
千家の視線の先にいるのもまた、真っ黒い猫。
「……」
「……」
邸の灯りに照らされて闇に浮かび上がる二つの黒い影は、暫くただ無言で互いに見つめ合っていた。
いったいこの状況は何なのだろう。
何を考えているのか、何も考えていないのか。
じいと動かず、表情ひとつ変えず。
そこに到底割って入れぬ空気を感じて、さてどうしたものかと京一郎が思いあぐねていると。
「……にゃっ」
黒猫は一声短く鳴いて、ひらりと身を翻した。
その俊敏な動きたるや、猫とはいえさすがに獣のそれ。
呆気に取られて見送るうち、瞬く間に黒猫は門の方へと走り去り、闇夜に溶けて見えなくなってしまった。
残されたのは、ただ冷たい秋の夜の風ばかり。
「……行っちゃいましたね」
嘆息して呟く京一郎を無視して、千家は何事も無かったかのように邸内へと入っていく。
京一郎も気を取り直し、慌ててその後を追った。
「綺麗な猫でしたね。御近所で飼われてるんでしょうか?」
「知らん」
「毛並みも艶々していましたよ。撫でたら気持ち良さそうだったなぁ」
「ならば、撫でれば良かったであろう」
「千家中将殿が怖い顔で睨むから、怯えて逃げていっちゃったんじゃありませんか」
「ふん、あれしきで逃げるとは臆病な奴だ」
「貴方に睨まれたら、誰だって怖がりますよ。私は怖くありませんけど」
「……」
遅い夕食と入浴を終えてからも、まだ京一郎はあの黒猫のことが気に掛かっていた。
黒く艶やかな毛並みと、すらりとしたしなやかな体躯。
妙な気位の高さを感じさせる瞳と佇まい。
思い返すほどに黒猫が纏っていた雰囲気は、千家によく似ていた。
だからベッドに入って互いに向かい合ったとき、京一郎はつい巫山戯て千家の長い黒髪を撫でた。
「……なんだ」
童子をあやすような手つきが不快だったのか、千家は顔を顰める。
それでも京一郎は微笑みながら、お構いなしにその行為を続けていた。
「猫を撫でることが出来なかった代わりに、貴方を撫でようかと思いまして」
「一緒にするな」
「だって……似ていたんですよ、なんとなく」
きっとあの猫自身もそう感じたのではないだろうか。
千家に親近感を覚えたからこそ京一郎には目もくれず、千家にばかり興味を示したのではないかと思う。
そういえば二人がじっと見つめ合っている様は、なかなかに愉快だった。
あんなに奇妙な光景はそうそうお目に掛かれるものではない。
千家が猫とにらめっこをしたなど、軍の誰に話しても信じてはもらえぬだろう。
考えていると次第に可笑しくなってきて、京一郎はとうとう肩を揺らして笑い出した。
「……何が可笑しい」
「ふ、ふふっ……だって……」
「いい加減にしろ」
千家の忍耐もそこまでだった。
寧ろ彼にしてはよく耐えたほうで、しかしそれは寛容さからきたものではなく、単に面倒だっただけだろう。
ともかく千家は京一郎の腕を掴んで己の頭から強引に引き剥がすと、そのまま京一郎の上に覆い被さって手首をシーツに縫い留めた。
「ちょっ……なにを……」
「私も随分と舐められたものだな。お前にとって私と猫は同列か」
「そういうわけでは……」
「そもそもお前のほうが余程猫に似ていると思うが?」
「私が? 何処がです?」
「夜な夜な、いい声で啼く」
「……っ」
戯言を、と言い掛けた唇はその前に塞がれてしまった。
すぐさま舌を絡め取られ、声も呼吸さえも奪われる。
苦しさに喘ごうとすれば喉の奥からは妙に甘い吐息が漏れ、まだ触れられてもいない肌が粟立った。
「んっ……ぅ……」
千家との交わりにすっかり慣らされた身体は、最早ほんの僅かな温度にも容易く反応するようになっていた。
熱い息と舌に弄ばれればすぐに意識は朦朧としてきて、抵抗しているのか、求めているのか自分でも分からなくなってくる。
やがて解放された手を無意識にその背に回すと、千家の体は更に距離を縮めて京一郎に圧し掛かってきた。
「あぁ……」
何故だろう。
こうして抱き締められた瞬間にいつも唇から零れるのは、安堵の色を帯びた溜息だった。
痩身ではあるものの、逞しく重みのある身体。
幾つもの痕に埋め尽くされた皮膚の下に感じる、鍛えられた筋肉。
冷酷な振る舞いの内に隠された激しい熱情。
その全てに包まれ、更には流れる長い黒髪に外の世界をすっかり遮断されてしまうと、まるで本当に互いが一つになってしまうような錯覚に陥る。
千家に飲み込まれ、溶けて、唯一つの存在になれるような気がするのだ。
「伊織……」
呟きに視線が絡まり、今度は自らの意志でくちづけを重ねる。
あとはもう成されるがままだった。
夜着を肌蹴られ、露わになった肌の上を千家の掌と唇が無遠慮に滑っていく。
触れられた場所は次々に熱をもって、その熱は京一郎の内側全てを浸食してしまう。
やがて両の足の間に忍んだ指先に、京一郎の体が大きく跳ねた。
「あっ……!」
思わず閉じようとする足を、千家が阻む。
「駄目だ」
「やっ……いや、だ……」
「こんなに熱くしておいて、何を今更……」
「っ……!」
強く握られて、思わず嬌声を上げそうになる。
けれどさきほど揶揄されたことを思い出して、京一郎は咄嗟にそれを飲み込んだ。
「ほう……?」
そのささやかな抵抗に気付いた千家が、にやりと笑う。
指先で京一郎の屹立を弄びながら、首筋から胸へとゆっくり舌を這わせた。
「どうした。まさか、今宵は啼き声を聞かせぬつもりか?」
「……」
京一郎は答えず、きっと唇を噛んで顔を逸らす。
そうそう千家の思い通りばかりになってたまるか。
しかし千家は気を損ねた様子もなく、かえって愉快そうに喉の奥で笑った。
「……面白い。何処まで耐えられるかやってみるがいい」
「……!!」
先端をきつくくじられて、再び京一郎の体が跳ねる。
指先が小孔を抉ると、溢れた蜜が千家の手を濡らした。
それでも声だけは決して出すまいと、京一郎はますます強く唇を噛む。
意固地になればなるほどに千家を悦ばせるだけだというのに、もう後には退けなくなっていた。
「……っ、く……」
千家の舌は京一郎の胸の痕をなぞりながら、やがて小さな尖りに辿り着く。
軽く歯を立てられると痺れるような痛みが走って、そのたびに京一郎の身体は震えた。
声を出せないぶんだけ呼吸は荒くなり、息苦しさは増していく。
腰を押しつけられた下肢に千家の熱い昂ぶりを感じると、掛かる吐息にさえ感じてしまう。
それでも京一郎は頑なに喘ぐことを拒み続けていた。
そのうち千家の長い髪が京一郎の肌をするりと撫でたかと思うと、不意に下肢に暖かい滑りを感じた。
「……?! や、あぁっ……!」
瞬間、意地も忘れて羞恥と焦りに声を上げたのは、千家が京一郎の屹立を口に含んだからだった。
「や、だ……! やめ、っ……伊織……!!」
身悶えしながら訴えるも、千家が聞いてくれるはずもなく。
それどころか千家は態とぴちゃぴちゃと大きな水音を立てながら、京一郎の雄に舌を這わせる。
「あっ、あぁっ、は、ぁっ……!」
さきほどまでの決意は何処へやら。
喉を見せて喘ぎながら、京一郎は身を捩る。
強すぎる快楽に涙が滲んで、恐怖さえ覚えた。
しかし千家を引き剥がそうとして伸ばした手はただその髪を掻き混ぜるばかりで、揺れる腰は更なる快楽を強請っているようにしか見えない。
千家の愛撫に翻弄される中、それでもやはり意地を捨てきってはいなかったのか、京一郎は止まらぬ声を抑えようと自らの指を噛んだ。
「ん、んぅっ……!」
柔らかな皮膚に、ぐ、と歯が食い込む。
口の中に鉄の味が広がる。
すると千家が漸く動きを止めた。
「京一郎、お前……」
おもむろに顔を上げた千家は京一郎の手を取ると、今度はその傷ついた指先を己の口に含んだ。
「……噛むな。血が出ている」
「あ……」
赤い舌先が、赤い血を掬い取る。
餌にありついた肉食獣のような、千家の愉悦の表情。
「―――お前の血は私のものだ。無駄に流すことは許さん」
「伊織……」
そうだった。
この男は可愛らしい猫などではない。
肉を裂き、血を啜り、骨までしゃぶりつくす獣だ。
滲んだ視界の中、京一郎は微笑みながら千家に手を伸ばした。
その意味に気付いて、千家もまた不敵に笑う。
両足を大きく開かされ、露わにされた狭間に千家の熱が宛がわれた。
「あっ……」
もう何かを抑えることなど出来なかった。
内壁を擦る熱と、奥を穿つ質量に、京一郎は躊躇いも無く声を上げる。
幾度も中を突き上げられ、激しく揺さぶられて、我を忘れる。
「あっ! ああっ、は、あぁっ……! 伊織……伊織……!」
「京一郎……」
京一郎は必死で千家を求めた。
千家もまた熱に浮かされたような声で京一郎の名を呼んだ。
互いを食らい尽そうとするかのような激しい交わりに、幾度も気が遠くなる。
けれど、まだ駄目だ。
まだ食われるわけにはいかない。
最期の時を、天命を果たす日を見届けるまでは―――。
「伊織……伊織……!」
「ふ……いい声だ……」
突き上げが激しさを増して、ベッドの軋む音も大きくなる。
息が苦しい。
身体が熱い。
あゝ、もう、堕ちる―――。
「あっ……あぁ……っ…!!」
「っ、く……!」
全身が強張り、焼けるような熱が屹立から迸る。
京一郎が達したすぐ後を追って、千家の熱も京一郎の奥に放たれた。
繋がった下肢は吐精のたびに震え、荒く熱い呼吸が混ざり合う。
「伊織……伊織……」
果てながら京一郎は千家の身体をきつく掻き抱いた。
汗に濡れた肌を重ねたまま、千家が京一郎の耳元に囁く。
「……やはり、いい声で啼くな。お前は……」
掠れた声で紡がれたその言葉は、揶揄わないでくれと腹を立てるには酷く甘く響いた。
だから庭先で猫が一声鳴いたことにも、そのときの京一郎は少しも気付かなかったのである。
- end -
2014.10.27
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