花咲ミノ庭


静まり返った部屋を、朝の気配が徐々に満たしていく。
それにつれて浅い眠りから意識がゆっくりと浮上してくる。
―――嗚呼、もう夜が明けてしまったのか。
ベッドの中で京一郎が身じろぎすると、剥き出しの肩を抱いていた手に心なしか引き寄せられた。
京一郎はそれをいいことに、改めて千家の腕の中に潜り込む。
千家が既に目覚めていることは分かっていた。
それどころか彼は一晩中、微睡みと覚醒を繰り返していたはず。
眠る際にはとりわけ同調性が強くなる所為で、京一郎もまた千家と同じく熟睡できぬままに一夜を過ごしたのだった。

ここ数日、千家の体調は思わしくない。
呪詛体である彼は常日頃から頭痛や倦怠感を抱えたまま生活しているが、そんな普段にも増して具合が悪そうに見えた。
しかし千家自身もそれが呪詛の影響によるものなのか、それとも風邪の引きはじめなのか、はたまた過労からくるものなのか、判断がつかないらしい。
京一郎にはその全てが原因であるようにも思えたが、医者でもなければ正確な診断が出来るはずもなく。
いや、たとえ医者であっても呪詛の影響までは見抜けるわけがないのだからと、とにかく己が注意深く千家の様子を見ているよう努めていた。
千家に異変があったとき、一番に気づけるように。

寄り添った肌は暖かったものの不自然に熱いということはなく、発熱の心配はないようだ。
本当はもう少しこうしていたかったけれど、そういうわけにもいかず京一郎は千家に声を掛ける。
「……伊織。朝ですよ。起きましょう」
「……」
千家の瞼がうっすらと開き、視線だけが京一郎に向けられる。
いつもならば何度も何度も声を掛けて、身体を揺さぶってようやく目を開けるというのに、やはり眠れていなかったのだろう。
なかなか目覚めない千家を毎朝起こすのは骨の折れる作業だとばかり思っていたが、こうなってみるとそちらのほうが余程いいのだと気づかされる。
京一郎は名残惜しさを振り切って起き上がると、真上から千家の顔を覗き込んだ。
「伊織? 大丈夫ですか?」
「……」
確かに目は開いているが光は無く虚ろで、返事はない。
どうやら今日も体調は宜しくないようだ。
京一郎としてももう暫く眠らせてやりたい気持ちはあるのだが、生憎と時間は待ってはくれない。
励ますつもりで唇に軽くくちづけると、千家の瞳はようやく僅かに生気を取り戻した。
「ほら、起きてください。中将閣下が遅刻などしたら、皆に示しがつきませんよ」
敢えて明るく声を張り、千家の腕を掴んで引く。
その力に頼りながら渋々といった様子で上半身を起こした瞬間、眩暈でもしたのか千家はきつく目を閉じて眉を顰めた。
「だ、大丈夫ですか?」
少し乱暴だっただろうか。
焦って尋ねれば、千家は掠れた声で「大丈夫だ」と答える。
それは言葉とは裏腹に酷く弱々しく聞こえて、京一郎は己の無力さを痛感するのだった。

大日本帝國が世界にその力を示すほど敵は増え、千家の苦痛は増していく。
京一郎が祓っても祓っても、きりがないほどに。
千家は京一郎の血の力は大きいと言ってくれているが、京一郎にはとてもそうは思えなかった。
こんなものは単なる一時凌ぎであって、千家の苦痛を根本的に取り除けるわけではない。
ならばせめて同じ呪詛体となって苦しみを分かち合いたいと望んだものの、それさえも叶わなかった。
こんなことならば、いっそ―――千家に殺されてしまったほうがよかったのではないかと思うことさえある。
京一郎を殺してその魂を食らえば、千家はきっと全き力を手に入れることが出来ただろう。
そうすれば今頃は呪詛体としての苦痛からも解き放たれ、思う存分千家本来の力を振るっていただろうに。
(私自身がいなくても、私の持つ力さえあれば……)
それでもきっと千家は困らない。
彼の望み描く未来は必ずや訪れる。
(それならば、何の為に私はここにいるのか―――)
そこまで考えて、京一郎は緩く首を振る。
これ以上は問うても無駄なことだ。
今更、後戻りは出来ない。
千家と交わした約束を違えることはしたくない。
たとえこの身の血が枯れ果てようとも、天命を全うするまでは千家から目を離さぬと誓ったのだから。

「カァテン、開けますよ」
どうやら今日は薄曇りのようだ。
体調が優れないときにはあまり強い陽射しは負担になるから、京一郎は少しほっとする。
緋色のカァテンを開けて窓の外を見ると、ちょうど眼下にある庭木に白っぽい花がひとつ、ふたつ、咲いているのが見えた。
「あぁ、こんなに寒いのに花が咲いていますよ。あれは……椿、かな?」
花の名前などよく分からないけれど、椿ぐらいは知っている。
形も似ていたし、この時期に咲く花などそう多くはないだろうから、なんとなく口にしただけだった。
しかしその途端、背後の気配が変わった気がして京一郎は振り返った。
「花……?」
千家が訝しげに呟く。
それから彼はベッドを下りるとガウンを羽織り、京一郎の立つ窓際に向かってきた。
その足取りが思いの外しっかりしていたので、かえって京一郎は戸惑ってしまう。
「い、伊織? どうかしましたか?」
「……」
千家は京一郎の横に立ち、同じように窓の下を見た。
そして何故か、それきり固まってしまった。
「あの……?」
京一郎は千家の横顔と、その視線の先にあるものを交互に見やる。
あの花がいったいどうしたというのだろう?
問い詰めたい気持ちを堪えて待っていると、ようやく千家が口を開いた。
「……山茶花だ」
「ああ」
さざんか。
そうだったのか。
言われて目を凝らしてみるけれど、違いはよく分からない。
「山茶花でしたか。椿じゃなかったんですね」
「ああ。似ているが、違う。……我が家の庭で、この時期に唯一咲く花だ。だから母も姉も、毎年あの花が咲くのを楽しみにしていた」
千家がゆっくりと、噛み締めるように言葉を紡ぐ。
まるでその母と姉がすぐ傍にいるかのような、優しい響きだった。
それなのに。
「だが……ある年を境に、咲かなくなった」
急に冷えた声を聞いて、京一郎はハッとした。
「……まさか呪詛体に選ばれてから、ですか?」
千家は頷いた。
「いつかはまた咲くかもしれないからと庭師は手入れを続けていたようだが、それ以来二度と咲くことはなかった。 しかし家族の誰も、そのことについて触れることもなかったな。話題にしてはならないと感じていたのだろう」
そういえばこの邸を囲む庭で、花が咲いているのを見たことは一度も無い気がする。
初めてここを訪れたのは春先だったから、広い庭に多少は花が咲いていても良かったはずなのに、見かけた記憶が全く無かった。
それもまた呪詛の影響なのだろうか。
「でも……今年は咲いたんですね。どうしてでしょう?」
山茶花は確かにそこに咲いていた。
開花しているのは今は二つだけだけれど、まだ蕾があるようだからこれからもっと咲くだろう。
ふと気づくと、窓の外を見ていたはずの千家に京一郎はじっと見つめられていた。
「お前の影響かもしれん」
「私の……?」
京一郎はきょとんとする。
そんなことがあるのだろうか。
京一郎には陽の力があるのだと千家は言った。
陰の力のみを持つ千家は相反するその力を何よりも欲し、そして京一郎を手に入れた。
それは全て天命の為。
この大日本帝國の弥栄の為。
そして京一郎は千家を襲う呪詛の苦痛を祓い、千家が狂気に走らぬよう見張る為にここにいる。
しかし、どうだろう。
あの花はそんな殺伐とした思惑とはなんら関係無く、ただ白く柔らかな花弁を開いてそこに咲いているのだ。

千家はとても穏やかな、優しい横顔で山茶花を見つめていた。
顔色は決して良くはなかったけれども、唇が僅かに笑みの形を作っていて、京一郎も知らずに微笑む。
「もしも、これが本当に私の影響なら……こんなに嬉しいことはありません」
「……そうだな」
千家の手が腰に回り、抱き寄せられる。
素直に身を任せると耳元で千家が何かを囁いたような気がしたが、よく聞き取れなかった。
山茶花はきっと、これから毎年花を咲かせることだろう。
他の花たちも、きっと。
その庭を見て千家の心が少しでも安らぐのであれば、それだけで私がここにいる意味はあるのだと、京一郎は思った。

- end -

2014.12.09


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