ぬくもりの代償
黄泉路へと旅立ってしまった数多の魂を現世に呼び戻す作業は、私にとってまだ容易なことではなかった。
戦死者を敵味方の区別無く我が国の死霊兵とする―――という前代未聞の作戦は着々と戦果を挙げ、当初はこの作戦に懐疑的であった閣僚達も黙せざるを得ない状況になっていた。
そのため作戦の最高責任者である千家伊織中将閣下は死霊兵団の早急な増強を求められたが、しかしここで新たな問題が発生してしまう。
死者の数に対して術者の数が圧倒的に足りないのだ。
傷ついた肉体に反魂の術をもって魂を再び宿し、我ら大日本帝國陸軍の命でのみ動く従順な兵士を作り出すという禍々しき所業を確実に行える者はそう多くない。
とはいえ術者が育つのを待つなどと悠長に構えていられるはずもなく、結局は私や伊織を含めた術者達一人あたりの負担を大きくすることで現状を凌ぐしかなかった。
軍での膨大な雑務をこなしつつ、その合間に繰り返される罪深い儀式。
身体の疲労に加え、未だ術式作戦への嫌悪感を完全には拭い去ることが出来ずにいる私には精神的な疲労も大きく、その日の儀式を終えた頃にはほとんど使い物にならない状態になっていた。
強い頭痛と眩暈を堪えながら伊織に肩を借りてなんとか執務室まで戻ると、私は長椅子に腰を下ろした。
「大丈夫か?」
「……ええ、いつものことですから」
そう言いながらも視界はぐらぐらと揺れて焦点が定まらず、手足は冷えて悪寒が止まらない。
軍での活躍華々しい千家伊織の右腕としては余りの脆弱さが惨めで情けなく、せめて無理にでも笑みを作って、強がりを言ってみせるしかなかった。
彼が呪詛体として今までに受けてきた苦しみを思えば、この程度で弱音を吐くわけにはいかない。
それでも断続的に込み上げてくる嘔吐感に思わず口を押さえて顔を顰めると、伊織は私の背中を軽く擦ってくれた。
「無理をするな。あとは私に任せて、お前は此処で休んでいるといい。横になっていても構わん」
「はい……。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません、千家中将閣下……」
私以上に儀式をこなしていながら平然としている伊織はさすが格が違うといったところか。
未熟さを恥じて俯いた私の頬に、手袋をしたままの伊織の指が触れる。
おずおずと顔を上げれば、意外にもそこには如何にも優しげな笑みがあった。
「謝ることはない。お前はよくやっている」
「あ……ありがとう……ございます」
まさか誉めてもらえるとは思っておらず半ば呆けながらそう返すと、不意打ちのくちづけが与えられる。
軽く触れ合っただけの唇はすぐに離れてしまったけれど、そのお蔭か不快感がほんの少しだけ和らいだ。
「終わり次第、すぐに戻る」
「……はい、分かりました」
妙に照れ臭くなってしまった私は、視線を外しながら答える。
そんな私を見て、伊織は少し笑ったようだった。
それから彼はすっくと立ち上がると、軍服を翻して執務室を出て行く。
ひとりきりになって虚勢を張る必要がなくなった途端、急激な眠気と疲労が襲いかかってきた。
私は行儀が悪いかなと思いつつも耐え切れず、さっきの伊織の言葉に甘えることにして長椅子に横たわった。
「はぁ……」
軍に入り、術式作戦に関わるようになってから、数え切れないほどの死霊兵を生み出してきた。
にも関わらず未だ身体に掛かる負荷が軽くならないのは、やはり私の中に残る僅かな躊躇いの所為であるような気がしている。
伊織は慣れるしかないと言うし、私自身も頭ではそう理解しているのだけれど、心の何処かではまだ慣れてしまうことを恐れているのかもしれなかった。
死霊兵は皆、昨日まで私と同じように生きていた人間だ。
そんな彼らを戦争という名目の下に殺しておきながら再び呼び戻し、その魂を戦の弾として何度でも使う。
そのおぞましいまでの残酷さを思うとき、私は己のしていることの罪深さに身震いしてしまうのだ。
覚悟などとうに決めたつもりでいたのに、居並ぶ死霊の群れを実際に目の当たりにしたときの衝撃は未だに忘れられない。
伊織に知れたらいつまでも甘い事を言うなと唾棄されるだけだろうけれど、私はなかなか割り切ることが出来ずにいた。
(こんなことでは駄目だな……)
伊織の共犯者になると誓ったのに。
どちらにせよ術式作戦は昂后陛下のお墨付きで既に動き出しており、今更中止になるはずもない。
考えることにも疲れ、私は瞼を閉じる。
このまま眠ってしまいたかった。
次第にまどろんでいく意識の中、外で鳴く蝉の声がやけに大きく聞こえてくる。
蝉の寿命は短い。
あの蝉も、もうすぐ死ぬのだろうか。
だから、あんなにも激しく鳴いているのだろうか。
やがて力尽き、しがみついていた木から落ち、土の上で仰向けになって死んでいく彼ら。
その瞬間、蝉達は何を思うのだろう。
死にたくない、と思うのだろうか。
そんな馬鹿なことを考えながら、私はゆっくりと眠りに落ちていった。
夢の中で私は誰かに頭を撫でられていた。
この手は父上だったろうか、それとも母上だったろうか。
学校の試験で良い成績を取ったとき?
剣術の大会で優勝したとき?
あの幸福な一時を私は思い出す。
優しい掌が私の頭を滑り、指先が髪を梳く。
―――違う。
この手は父上ではない、母上でもない。
優しくも不器用な、この暖かい手を私は知っている。
この手は。
「……」
目を覚ますと、そこは眠る前と変わらぬ伊織の執務室だった。
そして夢の中と同じように、誰かが私の頭を撫でている。
私は身じろぎして、頭上にいるその人を見上げた。
「……伊織」
寝起きの掠れ声で名を呼べば、伊織は手にしていた書類から視線を外して私を見下ろす。
私はいつの間にか伊織に膝枕までされていた。
「ようやく起きたか。具合はどうだ」
「はい、随分といいです」
「そうか」
気づけば頭痛も眩暈も既に無く、視界もはっきりとしていた。
身体には伊織のマントが掛けてあり、冷えていた手足もすっかり温まっている。
しかしそのときの私は話しながら離れてしまった伊織の手が名残惜しくて、そのことばかり考えていた。
あの優しい掌と指先が伊織のものだったのなら、もう少し眠っていれば良かった。
どうして目覚めてしまったのだろうと悔いたところで、もう遅い。
私は諦めて、伊織の膝から起き上がった。
「……私が目覚めるまで待っていてくれたんですね」
「よく眠っていたからな。私のほうも仕事が残っていたから好都合だった」
「そうですか」
伊織は高慢な振る舞いばかりが目立つけれど、彼は彼なりに私を気遣い、労わってくれている。
ただ仕事をしながら私の目覚めを待つだけならば、すぐそこにある大きな机の前に座っていてもいいはずだ。
それなのに伊織はわざわざ私を膝の上に寝かせ、片手で私を撫でながら待っていてくれた。
目的の為ならば幾らでも冷酷非道になれるうえに、平気で人の命を軽んじる言動を取る一方で、時折こうして酷く優しく情の深いところを見せてくるのだ。
出会ったばかりの頃はその二面性に戸惑いもしたけれど、彼がそうならざるを得なかった理由を知ってしまった今となっては、それもまた彼の持つ本質なのだと私は理解していた。
神職十四家筆頭の家を継ぐ者として生まれたからには、死霊を哀れむ気持ちを持つなど許されなかったと、伊織は以前話してくれたことがある。
少しでも恐れたり、怯んだりして心の隙を見せれば、自分まで黄泉に引きずり込まれてしまう。
だから伊織はそれを支配し、操る術を身につけた。
天命に従い、天命を果たす為に。
そして私はそんな伊織の傍で生きることを選んだのだ。
彼の苦しみを、罪を、全てを共に背負う為に私は此処にいる。
否―――その為に、生まれてきたのかもしれない。
それならば私は躊躇っている場合ではないではないか。
「伊織……」
私はどうしても伊織に触れたくなって、その肩に頭を凭れさせた。
突き放されるだろうか、それとも笑われるだろうかと思ったけれど、伊織は何も言わずに私のしたいようにさせてくれる。
嗚呼、良かった。
今はこのぬくもりがなければ泣いてしまいそうだったから。
ついでとばかりに私はつまらない願いを口にしてみる。
「ねえ、伊織」
「なんだ」
「さっきの……もう一度してくれませんか?」
「さっきのとは?」
「……頭を、撫でてくれていましたよね?」
少し恥ずかしかったけれど正直に言うと、伊織がふっと笑う。
「どうした。まるで子どものようだな」
「……普段は貴方が子どものようなのですから、お互い様かと」
「言ってろ」
照れ隠しの憎まれ口にそう返しながらも、伊織は私の肩を抱き寄せてくれる。
そしてゆっくりと頭を撫でてくれた。
「……あ」
そのとき私は気づいてしまった。
テーブルの上に置いてある、さきほどまで伊織が手にしていた書類。
あれは儀式に向かう前にこの執務室で伊織が部下から受け取った、午前中の会議の内容を纏めた報告書だ。
私も目を通したが、特に重要な案件は無かったはずだ。
(……急ぎの仕事など、残っていなかったんじゃないか)
それなのに、あんな言い方をして。
私が苦笑していることに気づいて、伊織が訝しげな顔をする。
「……なんだ」
「いえ、なんでも」
私は伊織の肩に頬を押し付けた。
そうだ。
結局、私はこのぬくもりをどうしても手放したくなかっただけなのだ。
死者の魂を弄び、それによって生者の命を奪う私達は決して許されることはないだろう。
けれどどれほどの罪を犯そうとも、どれほどの恨みを受けようとも譲れないことがひとつだけあった。
私から、このぬくもりだけは絶対に奪わせはしない。
死んだ者達はそれさえ奪われ、二度と戻ることはないのだから、どれほど自分勝手なことを言っているか分かっている。
憎まれてもいい。
蔑まれてもいい。
卑怯者と石を投げられ、悪鬼の所業と罵倒されても構わない。
それでも、失いたくないのだ。
だから私は私の血も肉も魂も、全てを伊織に捧げる。
彼が天命を果たせるように、彼と共に罪を犯す。
その代わり他のものは全て捨てるから。
だからお願い、どうかこの人だけは。
「伊織……」
呟きはくちづけに塞がれ、ぬくもりは熱へと変わる。
蝉の声はいつの間にか聞こえなくなっていた。
私は、もう躊躇わない。
- end -
2013.08.22
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