シンプル・ラブ


明日の学校帰り、買い物に付き合ってくれませんか?

それは、ありふれた誘いに過ぎなかった。
しかし今まで友人らしい友人もいなかった如月にとっては初めてのことだったし、 誘ってくれた相手がただの友人ではなかったこともあって、如月は柄にも無くわくわくしていたのだ。

待ち合わせた新宿駅前の広場は人で溢れ返っていたものの、お互いを見つけるのはさほど難しいことではなかった。
夕暮れの人波の中から一際長身の学生服姿が現れると、如月も彼に向かって歩み寄っていった。
「じゃあ、行きましょうか」
白い息を吐きながら微笑む壬生の言葉に促され、並んで歩き出す。
しかし行き先も目的も告げられてはいなかった。
「何を買うんだい?」
「ええ。ちょっと」
その返答に、如月は眉根を寄せた。
昨夜、電話で話したときにも、同じやり取りがあったからだ。
何故壬生が素直に答えないのか、如月は不審に思った。

夕暮れの繁華街は喧騒に満ちている。
賑やかな通りを暫く歩くと、一軒のビルの前で壬生が立ち止まった。
「ここです」
「えっ?」
入り口と見られるガラス扉の奥には、到底如月とは縁遠い光景が広がっているのが見えた。
しかし如月が躊躇っているうちに、壬生はさっさと店内に入っていく。
慌てて見上げた看板に書いてあった「手芸」の文字だけが、如月の目に大きく飛び込んできた。

壬生は勝手知ったる様子で、エスカレーターに乗る。
如月は戸惑ったまま、その後についていくしかなかった。
二階、三階、四階……。
上る間に垣間見える売り場に並んでいたものは、膨大な種類と量の手芸用品だった。
壬生が手芸部所属であることは、如月も既に承知していた。
かなり意外には思ったが、個人の趣味は自由だ。
他人がどうこう言う権利は無い。
だからそのことを特別気にしたことはなかった。
しかしまさか自分がこんな店に付き合わされることまでは、想定していなかったのだ。
如月はこの自分には不似合いな場所でどんな態度を取ればいいのか、少々混乱していた。
そんな如月を余所に、漸く壬生が目的としていた売り場へと辿り着く。
そこには色取り取りの毛糸玉が、山のように積み上げられていた。
「買い物って……これのことだったのかい?」
半ば呆然としながら尋ねる如月に、壬生は平然と答える。
「ええ。セーターを編もうと思っているんです」
「へぇ……」
どう反応していいものか分からず、如月は曖昧に頷いた。
店内は決して込み合ってはいなかったものの、季節柄なのか若い女性客の姿が目立つ。
男子高校生の二人組みというのは、確実に浮いているはずだ。
(……僕もここに居なければいけないのだろうか?)
普通の買い物ならば幾らでも付き合ってやりたいところだが、 如何せんここは居心地が悪すぎるし、何より役に立てそうも無い。
如月は既に熱心に毛糸選びを始めていた壬生の耳元に、小声で囁いた。
「紅葉……僕は外で待っているから」
しかし壬生はこちらを見ることもしない。
「ここに居てください。色の好みとか、聞きたいので」
「えっ?」
「如月さんのセーターを編むつもりなんです」
「ぼ、僕のセーター?」
呆気に取られていると、壬生の斜め後ろにいた女性と目が合ってしまった。
今の会話を聞かれていたかもしれない。
如月は狼狽える。
「ちょっと待ってくれ、僕は」
「これなんか、どうですか?」
壬生はくるりと振り返ると、グレーの毛糸を如月の胸元に押し当てた。
「うん……もう少し、明るい色のほうがいいかな」
「紅葉、聞いてくれ」
気が付けば、少し離れたところにいる客達もちらちらとこちらを見ているではないか。
やはり、目立っているのだ。
如月は一刻も早く、その場から逃げ出したくなった。
あくまで小声のまま、少しきつい口調で言い放つ。
「紅葉。悪いが、気持ちだけで十分だ。僕が普段どんな服装をしているか知っているだろう?」
「知っています」
「だったら」
如月は制服以外のときは、ほとんど和装で過ごしている。
壬生もそれを知っているはずなのに、何故セーターを編もうなどと思うのか。
如月は苛立ち始めていた。
しかし。
「……それでも構わないです。僕が編みたいだけなので」
少し寂しそうに、それでも微笑みながら言う壬生に、如月の胸がちくりと痛んだ。
彼とて別に如月に恥ずかしい思いをさせたくて、ここに連れてきたわけではない。
あるのは、純粋な好意だけだ。
(それなのに、僕は―――)
周囲の目など、どうでもいいことじゃないか。
再び毛糸を選び始めている壬生の横顔を、如月は見つめた。
そこには旧校舎で見せる鋭い目線も、《仕事》のことを考えているときの昏い影も無い。
いつもより穏やかで、いつもより楽しそうな表情を見せている壬生に気づいて、如月はようやく僅かに口元を緩ませた。
「これはどうですか?」
次に壬生が差し出してきたのは、生成り色の毛糸だった。
「ああ……。そうだな、好きな色だよ」
それは素直な言葉だった。
「本当ですか?」
「本当だよ」
「そうですか。じゃあ、これにします」
壬生は嬉しそうに言って、毛糸玉を手にレジへと向かった。

店を出ると、頬に刺さる冷気が心地良かった。
如月は思わず、ほっと溜息を吐く。
それが壬生を不安にさせた。
「すみません、疲れましたか?」
「あ、いや。そんなことはないよ」
如月が慌てて否定すると、壬生は安心したように微笑んだ。
そして喧騒に紛れてしまいそうな声で、低く呟く。
「……初めてなんです」
「え?」
聞き返すと、壬生ははにかみながらも、もう一度同じ言葉を口にした。
「初めてなんです。自分と母以外の、誰かの為に何かを編むのは。だから少し、はしゃぎすぎたかもしれないと思って」
「紅葉……」
二人して、壬生が持っている紙袋に目を落とす。
如月が今日の誘いを楽しみにしていたように、壬生もこんな日が来るのを楽しみにしていたのだろう。
大切な人に何かを贈ること。
好きな物を一緒に選ぶこと。
そんな喜びを味わえるのは、幸せなことのはずだ。
「ありがとう。嬉しいよ」
「いえ、こちらこそ」
少しおどけたような壬生の返事に、如月は笑った。

日はすっかり暮れている。
用事はもう済んでしまった。
暫く当ても無く歩いていると、壬生が不意に足を止めて呟いた。
「……もしかして」
「ん?」
「如月さん……あの店、恥ずかしかったですか?」
「……」
―――今頃になって、気づいたのか?
如月は一瞬ぽかんとした後、思わず噴き出した。
「あの、如月さん?」
笑いながら、壬生のこういうところが好きだと思った。
あれほどクールで隙の無いように見えて、時折まるで子供のようなところが。
「如月さん、何が可笑しいんですか」
「いや、いいんだ……。それより、今度は僕の用事に付き合ってはくれないかい?」
「はい。何処へ?」
「ちょっと、ね」
如月は思わせぶりに言葉を濁す。
家に鍋の用意があることなど、教えるわけにはいかない。
それでも壬生は笑いながら答えた。
「いいですよ。何処へでも付き合います」
大好きな人からの誘いを、断るはずもなかった。

- end -

2006.02.24


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