White Reason
眠れない理由は分かっている。
二週間ほど前、些細な行き違いから、如月と少々険悪な雰囲気になってしまったのだ。
その日から彼とは会ってもいないし、電話で話してもいない。
今までにもお互いの仕事の都合で、同じぐらい連絡を取り合わないことは時々あったけれど、今回はそれとは訳が違っていた。
会えるのに、会わない。
電話をする時間ぐらいはあるのに、しないのだから。
喧嘩とも呼べないほどの諍いだったはずの出来事が、これほど尾を引いているのは、お互い意地になっている所為もあるのだろう。
しかし元々の原因となったのは、自分のちっぽけな嫉妬心だと壬生は自覚している。
ちょっと拗ねたふりをしただけのつもりだったのだが、どうやらそれが自分の本心だったらしいと後になって気づいた。
それをどう説明すればいいものかと思いあぐねているうちに、時間だけが過ぎてしまったのだ。
壬生は眠ることを諦め、ベッドから降りた。
カーテンを開けると、昨日の夕方から降り始めた雪が目に映る。
この冬、初めての雪だ。
時折雨になったりもしたし、それでなくても東京で降る雪の量などたかが知れているが、そこそこ積もったと言っていいだろう。
壬生は夜明けの近づいた青白い街並みを、暫くぼんやりと眺めていた。
―――寂しい。
そんな言葉が思い浮かんだことに、壬生は苦笑した。
思えば幼い頃から、寂しくなかったことなどない。
けれど壬生は、寂しいと思うことを自分に許さなかった。
そんな風に思うのは己の心が弱いからだと、自分を戒めてきた。
そしていつしか寂しいことにも慣れ過ぎて、寂しいなどと思わなくなっていた。
けれど今、壬生は寂しいと感じている。
そしてそんな風に感じられる自分が、ほんの少し嬉しい。
寂しいと思えるほどに、誰かと過ごす時間が出来たこと。
寂しさを感じられるほどに、自分を満たしてくれる存在があることはとても幸せだと思う。
しかもこの寂しさは、彼を前にすることで容易に悦びに変わるのだ。
誰かを必要とする自分になれたことが、嬉しかった。
夜が明ける。
壬生は思いきって、出掛ける支度を始めた。
如月は白く染まった庭を見て、溜息をついた。
たいした量では無いが、店の前だけでも雪掻きをしておかなければ、後々凍って危険だ。
気が重かった。
けれど、それは雪掻きが面倒だったからではない。
―――紅葉。
心の中で呟いてみる。
彼に会えないだけで、こんなにも物足りない。
白い景色を見ているうちに、如月は無性に壬生に会いたくなった。
思えば、タイミングが悪過ぎたのだ。
今、如月はとある高校で遺跡探索の仕事というものに協力している。
その呼び出しを受けて、承諾した直後に、壬生がやって来た。
確かに会うのは数日振りだったから、来るなり帰らなければいけない状況になれば落胆もするだろう。
約束をしていたにも関わらず、仕事が理由とはいえ、それを破るような形になってしまったことは如月自身も悪かったと思っている。
しかし壬生があんな風に機嫌を損ねることなど、今までには無かったことだった。
あの時は思わず苛立ってしまったけれど、後になって考えた。
もしかしたらあの日、壬生には何かがあったのかもしれない。
どうしても話したいこと、どうしてもあの日でなければならないようなことが。
しかし考えているだけでは、答えが出るはずもなかった。
雪掻きを終えたら壬生に連絡しようと、如月は心に決めた。
店の玄関を開けると、そこには黒尽くめの男が立っていた。
雪景色の中、そこだけ墨で染めたような色をしている。
「紅葉……」
突然の事に、如月は戸惑った。
壬生は雪を踏み締めながら如月の前に立つと、気不味そうな顔で言った。
「雪が降ったので……会いに来ました」
如月は訝しげに眉を寄せる。
壬生は小さく咳き込みながら、歯切れの悪い口調で弁解した。
「その、この冬、初めて降った雪だったので……。
あなたに会いに行かなければ、と思ったんです。自分でもよく分からないのですが……」
それを聞いた如月は少し呆気に取られて、それからくすくすと笑いだした。
「……やっぱり、可笑しいですよね」
「可笑しいんじゃない、嬉しかったのさ」
壬生も漸く微笑む。
凍てついた空気が、二人の周囲だけ柔らかなものに変わった。
そして如月はずっと気懸かりだったことを、壬生に尋ねた。
「紅葉。あの日、僕に何か言いたいことでもあったのかい?」
「どうしてですか?」
今度は壬生が怪訝な顔をした。
「いや。君がああいった事で不機嫌になるなんて、よほどの理由があったんじゃないかと思ってね」
「理由ですか。まあ、あったと言えば、確かにありはしましたけど……」
「やっぱり。いったい、なんだったんだい?」
「……知りたいですか?」
「ああ、勿論だ」
「あの日は……」
壬生は躊躇いがちに顔を近づけると、如月の耳元で低く囁いた。
「……どうしても、あなたの傍にいたかったんです」
理由なんて、それ以外ありません。
その答えに珍しく顔を赤らめた如月を見て、壬生は幸せそうに笑った。
- end -
2006.12.14
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