強くなれ


だるい。
何もやる気がしない。
なにもかもが、どうでもよかった。
龍閃組と鬼道衆が手を組むことに、互いが反発し合うのは当然のことだった。
言い争うばかりで埒が明かず、話し合いは決裂寸前。
一触即発の状況となってしまった。
そこで中立の立場を取っていた龍斗が、纏め役を買って出ることになったのだが、 その方法といえば、所謂力比べだった。
その場の全員に勝つことが出来れば皆、龍斗の意見に従うと―――手っ取り早く、分かりやすい遣り方ではあった。
結果。
束になってかかっても、龍斗には敵わなかった。
自分も、鍛錬馬鹿の九桐も、女だけど充分強い桔梗も、そして尊敬する天戒でさえも、龍斗一人の力には及ばなかった。
だったら、もう無理に決まっているではないか。
ずっと、あいつにだけは負けたくないと思っていた。
いや、負けてはいないと思っていた。
けれど現実は、そうではなかった。
いったい、今まで自分は何をやってきたのか。
強くなることだけを望んで、努力してきたつもりだった。
しかしこれ以上、何をしても無駄なのだ。
今回のことで、それがよく分かった。
だからもう、何もかもどうでもいい。
幕府を斃すとか、江戸を護るとか、そんな言葉は聞きたくもなかった。
縁側に寝転がったまま、雲に覆われた空を見上げる。
いつもなら今頃は、朝飯後の鍛錬に励んでいる時刻だ。
多分、龍斗はいつも通り、鍛錬場所に行っているのだろう。
(―――馬鹿馬鹿しい)
投げ遣りにそう思っただけで、澳継は瞼を閉じた。

「……なにやってんだ、澳継?」
暫くすると一番聞きたくない声が、高い場所から降ってきた。
浅い眠りを漂っていた澳継は返事をしなかったが、龍斗が足元に座る気配だけは感じていた。
「鍛錬にも来ないと思ったら、こんなところで寝てたのかよ。風邪ひいても知らねぇぞ」
「……」
ひいたって別に構わない。
それで心置きなく寝ていられるなら、嬉しいぐらいだ。
それよりも今は、放っておいてほしかった。
龍斗の顔も見たくなかったし、声も聞きたくなかった。
いっそ目の前から、この村から消えてほしかった。
(だいたい、なんでこいつはこんなに強いんだ?)
特別な鍛錬をしているようには見えないし、体格だって普通なのに、自分とは何が違うと言うのか。
鬼道衆の面々の強さは、よく知っている。
龍閃組も、気に入らないが、かなりの手練れ揃いだと思う。
そして誰一人として、あのときに手加減などしていなかったはずだ。
美里の助けを借りていたとはいえ、連中を一人で相手にしたうえ、無傷で勝つなど考えられない。
あの強さは、そう―――化け物染みている。
「おい、澳継ってば」
膝の辺りを揺すられて、澳継は苛立った。
不用意な言葉が零れたのは、その苛立ちと寝惚けの所為だったのだろう。
「……触るんじゃねぇよ、化け物……」
自分が何を言ったのか、そのときの澳継は自覚していなかった。
ただ龍斗の手がぴたりと止まったことに、違和感を覚える。
なんだ?
俺は今、何か言ったか?
俺は、今。
「―――!」
我に返り、飛び起きる。
驚いたような表情の龍斗が、自分をじっと見つめていた。
「化け物って……俺のことか?」
「あ、いや、その」
ざあっと血の気が引いた。
まさか口に出しているとは思わなかったのだ。
違う。
そうじゃない。
そういう意味ではなくて。
「……」
焦って何も言えずにいる澳継を前に、龍斗は無言で立ち上がると、そのまま何処かへ立ち去ってしまった。
「あ……」
自分が言ってはならないことを言ってしまったのだと分かったとき、既に龍斗の姿は視界から消えていた。

午後になって、桔梗から内藤新宿まで買い出しに付き合うよう言われた澳継は、内心ほっとしていた。
もちろん、龍斗と顔を合わせるのが気まずかったからだ。
けれど村を離れたからといって、心中のしこりが消えるはずもなく。
両手に荷物を抱えたまま、澳継は苛立ちを抑えきれずにいた。
「おいっ、まだあるのかよ?! これ以上は、持てねぇからな! さっさと終わりにしろ!」
態度が悪いのはいつものことと、さっきから受け流していた桔梗も、さすがに我慢の限界だった。
顔を顰めて、澳継を睨みつける。
「まったく、うるさい子だねぇ。なんなんだい、さっきから。八つ当たりもいい加減にしておくれよ」
「……八つ当たりって、なんのことだよ」
「分からないとでも思ってるのかい?」
「……」
黙り込んでしまった澳継に、桔梗は呆れて溜息を吐いた。
「どうせまた原因は、たーさんなんだろ? 喧嘩するほど仲がいいとは、よく言ったもんさね」
「……喧嘩じゃねぇよ」
いつもの喧嘩であれば、どれほど良かったことか。
龍斗のことは大嫌いで、それは今も変わらない。
けれど、だからといって龍斗を傷つけたいと思ったことなど、一度もなかったというのに。
本気であんなことを考えていたわけではないし、ついうっかり口が滑っただけではあるけれど、それでは済まされないだろう。
それにもしかしたらあれは失言ではなく、自分の本心だったのかもしれない。
敵わないことが悔しくて、だけど実力の差だと認めたくなくて、あいつの方がおかしいのだと思いたかったのかもしれない。
そんな風にさえ思えて、澳継は自分自身が許せなかった。
「多分、俺が……俺が悪いんだ。だから、喧嘩じゃねぇ」
「……こいつは、驚いたね」
珍しく素直に自分の非を認める澳継に、桔梗は目を丸くした。
それでもやはり悔しいのか、ふくれっ面をしている澳継を見て、桔梗は笑いながら言う。
「まあ、そうと分かってるなら話は簡単さ。さっさと謝って、早いとこ仲直りしちまいなよ。 今は仲間内で争ってる場合じゃないってこと、あんたも分かってるんだろ?」
桔梗につられて、澳継も空を見上げる。
不穏な雲は未だ町を覆っている。
まるで今の自分の心持ちと同じように。
「……謝る、のか」
「そうさ。それしかないじゃないか」
本当にそれだけでいいのだろうか。
いや、それこそが難しいのだ。
未だ表情の晴れない澳継の頭を、桔梗がぽんぽんと撫でる。
「なんだか、いつもの坊やらしくないねえ。たーさんのことだ、あんたが謝りゃすぐに許してくれるさ。あんた、根はイイ子なんだからさ」
「……フン」
いつもならガキ扱いするなと怒鳴るところだったが、澳継はそうしなかった。
寧ろ桔梗の言葉に、励まされたような気分だった。
「さ、帰るとするかね」
「おう」
まだ龍斗に会うには抵抗があったけれど、帰らないわけにもいかない。
重い荷物にふらつきながら、桔梗の背中について歩き出したとき、澳継の目に一軒の茶屋が留まった。
ふと以前、龍斗が言っていたことを思い出す。
「……桔梗」
「なんだい?」
「俺、欲しいもんがあった!」
澳継はそう言うと、唐突に店に向かって駆け出していった。

ごめん。
悪かった。
何度も小声で呟きながら、練習を繰り返す。
謝らなくてはならないことは分かっている。
それしかない。
それしかないのだ。
だが、上手く口に出来るだろうか。
相手は、あの龍斗だ。
今まで散々罵ったり、馬鹿にしたりはしてきたが、頭を下げるなど考えたこともなかった。
いざとなったら、妙な意地が邪魔をしやしないだろうか。
―――クソッ、面倒くせぇ。
いつまでグダグダ言ってやがる。
ここで謝らなきゃ、自分で自分が許せねぇ。
澳継は意を決して深呼吸すると、龍斗の部屋の障子を勢いよく開けた。
「……澳継?」
胴着を繕っていたらしい龍斗が、驚いた顔で振り返る。
澳継はずかずかと中に入ると、その傍に立った。
大きく息を吸い込み、ためらわぬよう一息に告げる。
「おっ……俺が悪かった! ごめん! これで、許せ!」
そして手に持っていた団子の包みを、龍斗に押し付ける。
言った。
言えた。
澳継はそのまま逃げ出すように、くるりと背中を向けた。
しかし部屋を出ようとした澳継の腕は、龍斗にしっかりと掴まれてしまった。
「ちょっ、澳継、待て!」
「なっ……」
よろける澳継の鼻先に、さっき渡した団子の包みが突きつけられる。
怒っているような、龍斗の顔。
やっぱり、こんなものじゃ許されるはずもなかったか。
そう思ったとき、龍斗が低い声で言った。
「こんなに、一人で食いきれるわけねぇだろうが」
「は……」
にやり、と龍斗が笑う。
「座れよ。一緒に食おうぜ」
「……」
気が抜けた。
これはいったい、どういうことなのか。
もう、許されたということなのか?
戸惑いながら腰を下ろす澳継の前で、龍斗が早速包みを開く。
「おっ、美味そう! こりゃ、お花ちゃんとこの団子だな」
以前、龍斗が「俺、ここの団子が一番好きなんだ」と言っていたのを思い出したのだ。
龍斗は一本取って、嬉しそうにそれを頬張った。
「ほら、お前も食えって」
「お、おう……」
澳継も一本取る。
そのまま二人で、団子を食べた。
本当に、もういいのだろうか。
なんとなく口を開くのが憚られて、澳継は無言で団子を食べ続けていた。

「……時々、考えるんだよ」
突然、龍斗が呟く。
澳継は少しだけ緊張しながら、話の続きを待った。
「人には分相応ってもんがあるだろう?  今の俺が持っている強さは、今の俺に相応しいもんなのか。身に過ぎた力になってねぇか、ってな。 力や技は鍛錬でどうにかなるかもしらんけど、それを使いこなすためには、それに見合った精神力が必要だと、俺は思っている」
話しながら龍斗は、二本目の団子を取る。
「けどそれは、自分自身が成長すれば、もっと強くなれるってことでもあるんだよな」
「……」
そんな風に考えたことはなかった。
ただ強くなれば、それでいいのだと思っていた。
これが自分と龍斗の違いか。
気づけたことは良かったと思うけれど、それでもやっぱり何処か悔しかった。
「だからさ、澳継」
「……あ?」
「一緒に、もっと強くなろうぜ」
そう言って、龍斗が笑う。
「俺もお前も、まだまだだろう? それともお前は、もう限界まできちまってるのか? そりゃあ、残念だなあ」
「そっ、そんなわけねぇだろう!」
煽るような龍斗の言い方に思わず、もう無理だとやけくそになっていたことも忘れて怒鳴り返す。
売り言葉に買い言葉ではあったが、口にしたことで本当にそう思えてきたから不思議だ。
「ふざけんじゃねぇよ。誰が限界だ。馬鹿にするんじゃねぇ」
「ほう。じゃあ、俺は期待しててもいいってことなんだな?」
「あったりまえだ! てめぇなんか、すぐに負かしてやるよ! 見てろよ、ほんとにすぐだからな!」
澳継は串に残っていた団子を口いっぱいに詰め込むと、同時に二本目を手に取った。
その様子を見て、龍斗が満足そうに頷く。
「そうこなくっちゃ。そうでなきゃ俺も、張り合いがねぇからな。じゃあとりあえず、茶持ってこいや」
「はんで、ほれが!!」
なんで俺が、と言ったつもりが、団子が邪魔してうまく喋れない。
けれど龍斗にはちゃんと伝わったらしく、嫌味な笑みを浮かべて澳継の顔を覗き込んできた。
「あれえ? さっき真っ赤な顔して、俺に謝ってきたのは誰だっけ?  本当に悪いと思ってるなら、茶ぐらい持ってきてくれてもいいはずだけどなぁ。俺、結構傷ついたのよ?」
「……くっそ! 分かったよ! 持ってくりゃあいいんだろ!」
澳継は団子を飲み込むと、持っていた二本目を放り出して、部屋を飛び出した。
「熱いのよろしく〜」
「うるせぇ!」
怒鳴れば怒鳴るほど、気分が晴れていく。
そうだ。
強くなればいい。
今よりも、もっと。
誰も傷つけずに済むほど、誰をも護れるほどに強く。

―――俺はまだ、強くなれる。

表の暗い空は相変わらずだったけれど、澳継はすっかり清々しい気持ちになって、廊下を早足に進んでいった。

- end -

2007.05.28


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