記憶
何故、鬼道衆が龍閃組と手を組まねばならないのか、澳継にはどうしても納得出来なかった。
頭では解っている。
しかし、気持ちがついていかない。
彼等が決して悪い連中ではないことは承知している。
ただあの男―――緋勇龍斗だけが、どうしても気に入らなかったのだ。
澳継は不貞腐れた顔のまま、龍泉寺本堂の冷たい床に座っていた。
あれ以来、此処にはたびたび訪れるようになったものの、矢張り居心地の悪さは否めない。
美里が出してくれたお茶にも口をつけず、澳継は暗い庭先をただ眺めていた。
「龍はまだ戻らんのか?」
天戒の発した名に、思わず顔を顰める。
龍、という親しげな呼び方が無性に気に障った。
「ええ……でも、もうすぐ戻ると思います」
「なんと言っても蓬莱寺が一緒だからな。恐らく蕎麦でも食っているのであろう」
戻ってなどこなくていいのにと思った。
天戒も九桐も桔梗も、どうかしている。
幕府の狗である龍閃組と、こうして和やかに談笑するなど以前の鬼道衆なら考えられなかったはずだ。
特に三人とも矢鱈と龍斗のことを認めているのが気に入らない。
九桐に至ってはとうとう「師匠」呼ばわりまでする始末だ。
余りにも呆れた澳継は一度、九桐にその理由を尋ねたことがある。
すると彼は「何故か初めて会った気がしない」と、
「昔から一緒に闘っていたような気がする」と言ってのけたのだ。
―――そんなこと、あるはずがねェ。
龍斗が龍閃組の一員として行動しているのを、何度も見てきたではないか。
それなのに何故、そんな風に思えるのだろう。
考えるうちに苛立ちは募り、澳継は皆に気づかれぬよう小さく舌打ちをした。
「よぉ。待たせちまったみてェだな」
乱暴な足音と共に、蓬莱寺が漸く姿を現した。
そして、その後ろには最も会いたくない男が立っていた。
「お疲れだったな、龍斗。またこいつに付き合わされたのであろう?」
「うるせぇよ、クソ坊主。俺達はちゃんと合意の上で蕎麦を食ってきたんだ。なっ、ひーちゃん?」
蓬莱寺はにやにやと笑いながら、龍斗と肩を組む。
しかし龍斗は素っ気無く言い返した。
「まあ、そうだな。けど、お前が言い出さなきゃ俺は食わなかったぜ」
「なんだ、そりゃ! この裏切り者!」
本堂に笑い声が響く。
龍斗が居るだけで、場の空気が変わっていくのが分かる。
誰からも好かれ、信頼される男。
彼の一声が仲間達を纏め、導いていく。
だが澳継だけは彼を見ないよう、顔を背けていた。
「で、なにか分かったことはあったのか?」
雄慶に問われると、龍斗と蓬莱寺は表情を険しくしながら腰を下ろした。
「いや、ダメだな。劉にも会えなかったし、妙な奴を見かけたという話も聞かねぇ。そちらさんはどうだったんだ?」
蓬莱寺の報告を聞いた天戒の顔も、同様に曇っていた。
「うむ……我らも特に収穫はなかった」
「そうか……」
江戸の町が闇に閉ざされて暫く経つ。
日々、町を見回り、聞き込みを続けてはいるものの、柳生や崑崙山に関する手掛かりは一向に掴めなかった。
一同の間に、重苦しい沈黙が流れる。
「……明日は、もう少し遠くまで足を伸ばしてみるか」
龍斗の言葉に皆が頷いた。
「そうね。まだ行っていないところもあるし……」
「うん。劉君もこの雲を見て、早く戻ってきてくれるといいんだけどね」
「そうだな……。じゃあ続きはまた明日ってことで、今日のところはもうお開きにすっか」
蓬莱寺がわざと軽い口調で言う。
誰も異論は無かった。
「承知した。では、我らも村に戻るとしよう。また明日、参る」
澳継はほっと溜息を吐いた。
これで解放される。
龍斗から離れられる。
そう思い、立ち上がったときだった。
「あ、澳継」
龍斗に呼び止められて、澳継は一瞬身を硬くした。
「なっ、なんだよ。馴れ馴れしく呼ぶんじゃねェよ」
「お前、まだこの寺の地下に潜ったことなかったよな?」
言いながら近づいてくる龍斗に、澳継はじりじりと後退さる。
「ねェよ……それがどうした」
「よしっ。じゃあ、俺とこれから行こう」
「はぁ?!」
「お前だけなんだ。まだ、行ったことないの」
腕を掴まれ、強引に引きずられていく澳継を見て、九桐が笑う。
「そうだったのか、風祭。それは勿体無いことだ。あそこはなかなか楽しいぞ」
「ふざけんな、九桐! 俺も一緒に帰るぞ! おい、離せ! 離しやがれ!!」
「ふふッ、たーさんから直々のお誘いとは羨ましいねぇ」
「どこがだ!!」
「天戒、ちょっと澳継借りるけどいいよな?」
暴れる澳継をとうとう羽交い絞めにしながら問い掛ける龍斗に、天戒は笑って答えた。
「ああ、構わん。澳継、頑張れよ」
「どうせなら泊まっていったらどうだい?」
「冗談じゃねェ!! ちょっ……御屋形様ァーーー!!!」
澳継の悲痛な叫びに、応えてくれる者は誰もいなかった。
振り返りもせず、龍斗はどんどん地下への道を下りていく。
すっかり諦めた澳継は、白い胴着の背中を睨みつけながら、それについていった。
「……」
龍斗は龍閃組の人間だ。
だからこの背中を見慣れているはずがない。
けれどそう思おうとすればするほどに、九桐の言った言葉が頭の中で渦巻いた。
―――昔から一緒に闘っていたような気がする。
認めたくなかった。
実は自分もそんな風に感じていたことなど。
暗い洞穴の奥から聴こえる不気味な呻き声が、次第に近づいてくる。
集中しろ。
余計なことは考えるな。
澳継は自分に言い聞かせた。
「……お前とは一度、ちゃんと話したかったんだけど……」
呼吸を整える。
龍斗が足を止め、振り返った。
「けど、話すよりもこっちのほうが手っ取り早いかと思ってな」
ふらふらと漂う鬼火と、蠢く魍魎達の影が見える。
考えるな。
集中しろ。
「……さっさと終わらせようぜ」
龍斗が笑いながら頷いた。
自分とよく似た技を繰り出しながら、龍斗は次々に異形の者達を倒してゆく。
その激しい陽の技に、澳継は不思議な既視感を覚えていた。
一緒に闘うようになってからまだ間もないはずなのに、龍斗が次にどう動くか手に取るように分かる。
まるでずっと以前から、いつも隣りで闘ってきたような錯覚。
そんなはずがないのに、何故かそう思う。
何故だ。
何処でだ。
いつのことだ。
「……澳継、後ろ!!」
「!!!」
迷いが隙を作った。
いつのまにか斜め後ろに迫っていた剣鬼が、刀を振り上げる。
間に合わない。
そう思った瞬間、視界を遮った白。
それは龍斗の背中だった。
「ちッ……!!」
胴着の袖が千切れて飛んだ。
その下の皮膚は裂け、鮮血が流れ出す。
「たっ……!」
そのとき、澳継の脳裏を何かが過ぎった。
暗くなっていく視界の中で見た、白い胴着を染めていく夥しい血。
膝が折れ、やがて地面に倒れ伏す男。
紅い髪の男が笑う声。
嘘だ。
そんなはずが無い。
この光景は、この記憶は、なんだ―――?
「澳継!」
「……!」
龍斗の声に我に返り、咄嗟に剣鬼の左側へと回る。
怒りか、悲しみか、憎しみか。
訳の分からない感情が、腹の底から込み上げてくる。
「陰たるは、天昇る龍の爪……」
そんなはずがない。
この感覚を知っているはずがない。
「陽たるは、星閃く龍の牙!」
体中を駆け巡るこの力を、知るはずがない。
「―――双龍螺旋脚!!!」
地が揺れ、光が満ちる。
一人では決して出せない力。
放たれた二つの氣が混ざり合い、ぶつかる。
「―――ギャァァァァァァァ!!!!!」
耳を塞ぎたくなるような悲鳴があがり、異形の者は塵となって消えていった。
体中の力が抜けたようになって、澳継は呆然と立ち尽くしていた。
「……澳継、どうした?」
龍斗が心配そうに声を掛ける。
自分はこの声を知っている。
何度も呼ばれた。
何度も、何度も呼ばれた。
「俺の傷なら大丈夫だぞ? ほら」
龍斗の血は既に止まっていた。
けれど自分のことで精一杯だった澳継にとって、そんなこと今はどうでも良かった。
「た……」
龍斗の名を呼ぼうとして、戸惑う。
もう、認めざるを得ない。
知っているのだ。
自分はこの男のことを、誰よりも知っている。
「たつ、と―――」
呼ぶと、龍斗が微笑んだ。
憶えている、この笑顔を。
大嫌いな笑顔。
大嫌いな男。
何故だか酷く悔しくなって、澳継は唇を噛んだ。
「おーい、澳継? 大丈夫か?」
龍斗が顔を覗き込んでくる。
嫌いだ。
大嫌いなんだ、こんな男。
ずっと、ずっと前から大嫌いだった。
「……るせェ……」
「あ?」
「うるせェって言ってんだよ!!!」
「うわっ!」
澳継が龍斗に出した蹴りは、物の見事にかわされた。
「なにすんだ、いきなり!?」
「うるせェ!! いいから、一回蹴らせろ!!」
「冗談じゃねェ。澳継のくせに俺を蹴ろうだなんて生意気な」
「なんだとぉ?!」
龍斗の何を知っているのかなんて、言葉では説明出来ない。
あの時見えた光景が何なのかなんて分からない。
何があったのかなんて知らないし、何ひとつ思い出したわけでもない。
それでも澳継は確信していた。
自分が誰よりも、龍斗の傍にいたこと。
理屈に合わなくとも、どんなに否定しても、それでも心が―――心だけが、龍斗を憶えていた。
- end -
2004.10.14
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