風夜
どう言ったらいいのか分からない。
ただ無性に落ち着かないというか、不安になるというか、底の知れない渦がぐるぐると身体の中を廻っているような気持ちになる。
風の強い晩はいつもそうだ。
別に何か嫌な思い出があるというわけではない。
いや、もしかしたらあるのかもしれないが今のところは思い当たらない。
鬱蒼と繁った樹々が擦れ合い、葉を鳴らしている。
ガタガタと障子を叩く音がやかましい。
布団を被ってやり過ごすことぐらいしか、澳継には思いつかなかった。
いつ頃からこんな夜が苦手なったのか。
まるで子供のようで、恥ずかしくて誰にも言えやしなかった。
普段から寝起きも寝つきもいい方だったが、明日の朝は寝坊するかもしれない。
そう思うと憂鬱になる。
龍斗より遅く起きるのは悔しい。
憂鬱になる理由はそれだけだったのだけれど。
ミシ、と微かに床が鳴ったのが聴こえた。
それは確かに風の所為ではない不自然な物音だったから、澳継はそっと布団から頭を出して自分の気配を殺した。
衣擦れの音さえも立てぬように注意を払いながら、身体を起こす。
今夜は月も出ていない。
障子に揺れる影が人なのか木々なのか、澳継は神経をぴんと張り詰めて廊下の様子を窺った。
「……澳継?」
障子の向こうからした低い声に、澳継はほうっと息を吐いて力を抜いた。
それから風に震えて音を立て続けている障子が開く前に、慌てて布団を被りなおした。
すっと障子が開く。
「……寝てるか」
龍斗がひとりごちるのを聞いて、澳継はもぞもぞと布団から頭を出した。
「……う……ん……なんだよ……」
わざとらしく目を擦りながら、たった今起きたようなふりをする。
どうしてそんなことをする必要があるのか自分でも分からなかったが、龍斗に対してはいつも不自然な態度を取ってしまうのだ。
澳継はそんな自分が嫌いだった。
「……悪い、起こしちまったよな」
「……」
苛々と頭を掻いてみせながらも、龍斗に無用の謝罪をさせてしまったことは少しだけ気不味かった。
一際強い風が障子を叩く。
「……なんだよ」
「いや、ちょっと眠れなくてな。どうせ起きちまったんなら、つきあわないか?」
不機嫌な澳継の反応にも、龍斗は頬を緩める。
いつもそうだ。
どんなに邪険にしようと、どんなに悪態をつこうと龍斗が自分に怒りを示した例がない。
それが余計に苛々するのだ。
龍斗は虎の子らしい酒の入った竹筒を見せながら、澳継の足元に腰を下ろした。
どうせ既に結構呑んでいるのだろう。
妙に浮ついた口調の龍斗を前に、澳継は唇を尖らせた。
「……なんで俺なんだよ」
「え?」
「御屋形様じゃなくて、なんで俺なんだよ」
酒の相手なら自分よりも天戒の方が向いているはずだ。
それなのに、こんな夜に限ってどうしてやって来るのか。
澳継はそれが知りたかった。
「……まぁ、いいじゃん」
けれど龍斗は澳継の疑問をさらりとかわし、竹筒の栓を抜くと口をつけた。
澳継は布団の上で胡坐を掻き、不満そうに唇を尖らせたままでいる。
風は相変わらず止みそうにない。
薄闇の中、びょおという風が屋敷ごと吹き飛ばすのではないかと思うほどの勢いで吹いている。
それはまるで悪意を持っているかのように、澳継には感じられた。
「……こういう夜、苦手なんだよな」
龍斗が見えるはずのない筒の底を覗き込みながら、ぽつりと呟く。
「なんでかな。昔から風が強い晩は決まって落ち着かないんだ。
早く朝になれ、早く朝になれ、って念じながら布団に潜り込んでた。
今もなんか好きになれねぇ。妙に不安な気持ちになっちまうんだよなぁ」
「……」
自分が感じていたことと全く同じことを龍斗が口にするのを聞きながら、何故か澳継の心はすうっと軽くなっていった。
人が言うのを聞くと、なんだかたいしたことじゃないように思えたからだ。
(―――くだらねェ)
澳継は龍斗を馬鹿にした笑みを浮かべる。
「バッカじゃねぇの、お前? ガキじゃあるまいし、何言ってんだか」
「……だよな。ガキみたいだよな」
龍斗は苦笑いしながら、竹筒を澳継に差し出す。
澳継はそれを受け取ると、慣れない酒を一気に喉の奥へと流し込んだ。
「ああっ、お前、そんなにいっぺんに……」
「うるせぇな。お前がつきあわせたんだろうが」
喉から胃に焼けるような熱さを感じながら、咽るのを堪えて澳継は強がってみせる。
返された竹筒にはほんの僅かしか酒は残ってなく、龍斗はそれを名残惜しそうに呑み干した。
「風、止まねぇなあ……」
障子に映る木々の影は、まだざわざわと蠢いている。
暫くぼんやりとそれを眺めながら、龍斗はまだ諦めきれずに筒の底に残った酒の雫を嘗め続けた。
「……澳継?」
やけにおとなしいなと訝しく思ってふと見ると、澳継は布団の上にごろりと横になって寝息を立てていた。
あっという間に酒が回ったのだろう。
小鼻を膨らませてよく眠っている。
龍斗は微笑みながら布団を掛けてやると、その柔らかく癖の無い髪をそっと撫でた。
「ほんと……ガキみてぇだよな」
その日以来、澳継が風の強い晩に眠れないことはなくなったのだった。
- end -
2002.08.07
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