ヤキモチ


いい天気だ。
雲一つ無い青空にはお天道様が輝き、夏の匂いのする風が爽やかに頬を撫でていく。
昼寝大好きな澳継ではあったが、さすがにこんな日ばかりは身体を動かさなきゃ勿体無いと思った。
足取りも軽やかに意気揚々と鍛錬所に向かおうとして、不意に龍斗の顔が思い浮かぶ。
どうせあいつも後から来るだろうから、だったら一声掛けておいてやるかという気になった。
別に一緒に鍛錬をしたいとかそんなんじゃなく、ついでだ、ついで。
今日の俺は機嫌がいいからな。
誰かに聞かれているわけでもないのに心の中でそんな言い訳をしながら、澳継は広場で龍斗の姿を探した。
しかし、こういうときに限って龍斗は見つからない。
いつもは呼んでもいないのに突然現れてはなんだかんだと邪魔をしてくるくせに、本当に腹の立つ奴だ。
澳継がきょろきょろしながら広場を歩いていると、いきなり周囲の空気がふわりと変わったのが分かった。
「あ……」
振り返ると、そこには比良坂が立っていた。
何故かは分からないけれど、澳継は彼女が少しばかり苦手だった。
それは彼女の金色の髪の所為でもなく、不思議な衣装の所為でもなく、うまく説明出来ないのだけれど……。
彼女は光を映さぬ瞳を閉じたまま、それでも澳継のほうに向かってにっこりと微笑んでいた。
「なっ、なんだよ」
ついぶっきらぼうな言い方になってしまったが、比良坂は気にした様子もなく呟く。
「水……」
「は?」
彼女のことは苦手だけれど、この声だけは綺麗だと素直に認めてもいい。
聞いていると、とても気持ちが落ち着く。
「龍斗さんを……探しているのでしょう?」
「はっ?! いやっ、俺は別に!」
言い当てられて思わずうろたえてしまう。
けれど比良坂はやはり微笑みを湛えたまま、すうと東の方向に顔を向けた。
「龍斗さんなら水のある場所……きっと、あちらのほうに……」
「あ、ああ、そうなのか。分かった」
彼女が示した方角と言葉からして、龍斗は那智滝にいるのだろう。
早速そちらに向かおうとして比良坂に背を向けた澳継は、ふと足を止めてもう一度彼女を振り返った。
「……あ、ありがとな」
彼女はやはり穏やかに微笑みながら、その言葉に小さく頷くだけだった。

しかしながら滝に向かって歩いているうちに、無性に胸の内がもやもやしてきた。
何故、彼女は自分が龍斗を探していると分かったのだろう。
そして何故、龍斗が那智滝にいると知っていたのだろう。
前々から彼女の言動は少しおかしかった。
見えていないはずなのに何でもお見通しのようだったり、これから起きることさえ知っているような素振りを見せたり。
中でも龍斗のこととなると何もかも全て分かっているかのような、遠い昔からその存在を知っているかのような、そんな態度なのだ。
「クソッ……」
苛々する。
今日の青空のように清々しかったはずの気分は、今や泥水を大量に飲んでしまったようになっていた。
そんな苛立ちがまさに頂点に達した頃、澳継は那智滝に辿り着いた。
比良坂の言った通り、そこには紛れも無い龍斗の姿があった。
「……」
どうやら龍斗は水浴びをしていたようだ。
川辺に立って、裸の上半身を手拭いで拭いている。
真っ黒な髪と筋肉のついた背中を伝う幾つもの雫が、太陽に照らされてきらきらと輝いている。
思わず澳継はさきほどまでの苛立ちも忘れて、そんな龍斗の姿に見惚れていた。
「あれっ、澳継?」
「……!!」
「なんだ、お前も水浴びしにきたのか?」
龍斗がへらへらと笑いながら、こちらに歩いてくる。
我に返った澳継は、咄嗟に目を逸らしていた。
「ん? どうした?」
「べっ、別に、なんでもねえよ」
いいから早く胴着を着やがれ。
心の中でそう毒づいたのが聞こえたわけではないのだろうが、龍斗は手にしていた胴着をばさりと羽織った。
「お前も水浴びすれば? 気持ちいいぞ〜」
「しねえよ! そうじゃなくて、鍛錬所に……」
「ああ、俺を誘いに来てくれたんだ?」
「っ……!」
満面の笑みがぐいと鼻先に近づいてきて、大きく胸が高鳴る。
どうしてこんなことでドキドキしなければならないのだろう。
それが途轍もなく口惜しかったせいで、何に苛立っていたのか思い出してしまった。
「それにしても、よく俺がここにいるって分かったな」
「……分かってねえ」
「は?」
「比良坂に聞いた」
「へえ、そうなのか? 俺、今日は比良坂に会ってねえけどなぁ」
「……」
やっぱり、そうなのだ。
彼女は龍斗のことを分かっている。
龍斗の居場所を、龍斗の考えを、龍斗の気持ちを、何もかも全て分かっているのだ。
―――自分と違って。
「……あいつ、お前のなんなんだよ」
「へ?」
「なんで、あいつはお前のことそんなに分かるんだよ!」
とうとう我慢出来なくなって、澳継は大声を上げた。
龍斗はきょとんとしていたが無理もない。
澳継自身も何故こんなに腹が立っているのかよく分かっていないのだから。
「どうせ俺はお前が何処にいるのかなんて分かんねえし、お前が何考えてんのかも分かんねえよ!! 悪いか?!」
「お、おい、何言ってんだよ、澳継。落ち着けって」
「うるせえ!! いっつもいっつも、女に囲まれてへらへらしやがって!!」
「は?! 囲まれてねえし!」
「囲まれてるだろうが!!」
「いつ俺が女に囲まれたんだよ!!」
「だから、いつもだよ!!」
「嘘つくんじゃねえ!」
まるで子どもの喧嘩だ。
滝の音がうるさくて、それに張り合うようにして必死で怒鳴りあう。
既に無茶苦茶を言っていることは頭の隅で自覚していたが、どうにも引っ込みがつかなくなっていた。
「はっ! バっカじゃねえの?!」
「馬鹿はお前だ!!」
「うるせえ、バカ!!」
「ヤキモチ妬くなっつってんだよ、馬鹿!!!」
「ヤ、キ……ッ?!」
その言葉に澳継は絶句する。
それと同時に、頬がかあっと熱くなった。
「や、やきも、ち……?」
「そうだよ。お前、比良坂にヤキモチ妬いてんだろ?」
「な、なに言って……」
そうなのか?
これがヤキモチってもんなのか?
混乱している澳継の腕を、龍斗がにやりと笑って掴む。
そのまま強く引き寄せられたかと思うと、気づいたときには腕の中に抱き締められていた。
「……ばーか。つまんねえことでヤキモチなんて妬いてんじゃねえよ」
「だっ、だから、俺は……!」
澳継はなんとかもがいてそこから逃れようとするけれど、龍斗の腕は少しも緩まない。
それどころか肌蹴たままの胸元に顔を押し付けられて、その体温に心臓が破裂しそうなほどに鳴っている。
まだ少し湿っている龍斗の肌は、太陽と緑の匂いがした。
「あのな。お前は俺のこと、ちゃんと分かってるぜ? お前がそれに気づいてないだけ」
「……嘘つけ」
「嘘じゃねえよ。だから、お前といると安心する」
「……」
そんなの絶対に嘘だ。
だって、龍斗のことなんてさっぱり分からない。
こんな風に言われても、それが本気かどうかなんて確信も持てない。
けれど、この腕の強さだけは本当の本物だって分かる。
それから、自分の気持ちも。
分からないから分かりたい。
知らないこと全部知りたい。
それまでは、ずっと傍にいたい。
「……」
やっぱり酷く口惜しくなって、澳継は龍斗の足を勢いよく踏みつけた。
「いってええええええ!!!」
「へっ! お前は俺のことなんにも分かってねえよなぁ。ざまあみろ!」
「くっそ、この……」
「先、鍛錬所行ってるからな! お前もさっさと来いよ!!」
「あっ、待てって……!!」
慌てて追ってこようとする龍斗を振り向きもせず、澳継は走り出す。
これからゆっくりと分かればいい。
時間はまだまだたっぷりあるのだから。

- end -

2012.07.05


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