表裏
正直に言って、身体が震えた。
感じたのは恐れじゃない。
目の前に見せ付けられた『真の強さ』に惹かれたのだと思う。
そして同時に、酷く悔しかった。
突然村に現れたその男は、今まで出会った誰よりも強かった。
拳を繰り出すまでもなく、そこに立っているだけで分かる強さをそれでも認めたくなくて、喧嘩を吹っかけてみたりした。
以来、焦りにも似た感情が無闇矢鱈と彼に反発させる。
負けたくない。
闘いを共にすればするほどに、その想いは強くなっていった。
幾ら倒しても、際限無く現れる異形の者達。
被ってしまった得体の知れない体液と自分の汗で、全身がべとべとと気持ちが悪い。
それでも澳継は何かに急かされているかのように、洞穴を降り続けていた。
既に息は切れ、手も足も動きが鈍くなり始めている。
これ以上降りて行くのは危険だと分かっているのに、自分を止めることが出来ない。
蹴りを出すたび、剄を発するたびに、脳裏を過ぎるのは龍斗の持つ陽の技。
負けたくない。
絶対に。
「―――!」
敵を前にして、踏ん張った足がぬかるんだ土に取られた。
澳継がよろめいた瞬間を、相手が見逃すはずはない。
「うわぁぁぁっ!」
尖った爪が右足に突き刺さる。
鋭い痛みに思わず悲鳴をあげながらも、澳継は咄嗟に至近距離から剄を放った。
しかし中途半端な威力を持ったそれは、互いを弾き飛ばすだけのものでしかなかった。
「糞ッ!」
尻餅をついた格好から立ち上がろうとして、足の痛みに顔を歪める。
このままでは間に合わない。
(やられる……!)
覚悟したその時、背後から眩しい閃光が走った。
光源を確認する間もなく、断末魔の悲鳴が空気を裂く。
やがて異形の者は砂となって崩れ落ち、辺りは嘘のように静まり返った。
「……何やってんだよ、澳継」
振り向かずとも、そこにいるのが誰なのかは分かる。
それは今、一番聞きたくない声だった。
龍斗は澳継の前にしゃがみこむと、傷を見てやろうとして足首を掴んだ。
しかし澳継はその手を払い除け、龍斗を睨みつける。
「てめェ、何しに来た」
「あれ。助けてもらってそういう言い方するのか?」
「誰も頼んでねェ!!」
取り付く島も無い澳継の態度に、龍斗は溜息を吐く。
本当はあそこで龍斗の助けがなければ危ないところだったと、澳継自身も分かっていた。
加えて、龍斗は余程のことが無ければ自分に手を貸してきたりしないことも。
それは澳継が最も嫌がる行為だと、龍斗は知っているからだ。
(畜生……)
苛立ちが膨れ上がる。
澳継は湿った地面に、激しく拳を打ちつけた。
「陰だから……」
「……?」
「陰だから、陽には敵わねぇのかよ……っ!!」
「澳継……」
自分の持つ技が陰の流派であることに、ずっと憤りを感じていた。
そんなものと関係の無いところへ行きたくて、漸くここに辿り着いたというのに。
龍斗が現れて、自分と対になる技を目の当たりにしたとき、また同じ呪縛に囚われてしまった。
陰だ陽だなど馬鹿馬鹿しいことだと思いながらも、一番拘っているのが自分自身であることに、
腹が立って仕方が無かった。
龍斗さえ現れなければ。
何度そう思ったことか知れない。
けれどその強さに心惹かれていることも、また事実だったのだ。
「なぁ、澳継」
龍斗は胴着の端を破くと、それを細く引き裂いた。
「これ、どっちが表か分かるか?」
「……はぁ?」
きょとんとしている澳継の顔の前で、龍斗が布切れをひらひらと揺らす。
「分かんねぇか? じゃあ、こっちが表だ。俺が決めた」
「なっ、なんだよ、それ」
「俺がこっちを表だと決めたから、こっちが裏だな」
裏返されたそれは龍斗の決めた表となんら変わりがないように見えた。
勿論、縫い目や織り方などよくよく見れば分かるのだろうがほとんど大差は無い。
龍斗はもう一度澳継の足首を掴むと、その細長く裂かれた布を傷に巻き始めた。
澳継も今度は拒まなかった。
「……てめぇ、何が言いたい」
「だからさ、こうやって使う分には、表も裏も関係ねぇだろ? 陰と陽ってのは、その程度のもんなんじゃねぇのか?
表があって、初めて裏がある。裏があるから、表がある。どっちかだけってことはないし、どっちが優れてるとかいうこともないんだよ」
「……」
「要するに」
布を巻き終わり、龍斗が顔を上げる。
「お前がいるから俺がいる。ってこと」
「なっ……」
「あ、逆も言えるな。俺がいるからお前がいるわけだ。おい、俺に感謝しろよ」
「冗談じゃねぇ! 俺はお前なんて関係ねぇ!!」
「そうはいかねぇの。ほれ」
調子の戻ってきた澳継に、龍斗が笑いながら丸めた背中を向ける。
「……なんだよ」
「おぶってってやるよ」
「ふっ、ふざけんな!! 誰が……」
「ふざけてねぇよ。お前、その足でどうやって戻るつもりだ?」
「……」
言われてみれば確かにそうだ。
我を忘れて降りてきてしまったので、ここが何階なのかも分からない。
しかしこれ以上龍斗に借りを作るのは屈辱だった。
いつまでも不貞腐れている澳継の顔を、龍斗が覗き込む。
「あのな。お前を連れて帰らねぇと、俺が桔梗に怒られるんだよ。それにもうすぐ晩飯だぞ? 食いっぱぐれてもいいのか?」
「……ちッ」
澳継は渋々、龍斗の背中にしがみついた。
こんな姿、誰にも見せられたものじゃない。
それでも尚、澳継は足掻く。
「おい、俺に恩を売ったとか思うんじゃねぇぞ」
「はいはい」
「俺を助けたとか人に言うなよ!」
「はいはい」
「……」
相手にされていない。
悔しかったけれど、今はどうしようもなかった。
澳継は龍斗の耳元で呟く。
「……てめぇにだけは、絶対に負けねぇ」
「おう。俺もだ」
「けっ」
全てが腑に落ちたわけじゃない。
それでもひとつだけ分かったことがある。
本当に自分が龍斗と対の存在ならば、今よりもっともっと強くなれるはず。
龍斗の背中で、澳継はそう確信していた。
- end -
2003.10.06
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