惹かれ合う者


だいぶ陽が傾いてきたので、二人は山を降りることにした。
いつの間にかここで一緒に鍛錬をするのが日課になってしまっている。
相手がいるほうがやりやすいから、という一種言い訳のようなものもあったけれど、本当の理由がそれ以外のところにあることは二人も内心承知していた。
勿論、それをわざわざ口に出すようなことはなかったけれども。
「澳継……お前、アレどうしたんだよ?」
山道を降り始めてすぐに、龍斗は思い出したように言った。
「アレ?」
曖昧な表現の示すものが何か分からずに、澳継は眉を顰める。
面倒くさい言い回しは嫌いだった。
龍斗は土に汚れた自分の右腕をずいと差し出してみせる。
「コレだよ、コレ」
澳継が覗き込むと、使い込まれてだいぶ痛んでいる手甲の下から淡い珊瑚色をした数珠が見えた。
途端、澳継は気不味そうな、不機嫌な顔つきになる。
「あぁ……アレか」
「そうだよ。アレだよ」
「……」
返答に迷い、澳継はただ唇を少し尖らせた。
今見たのとちょうど色違いのものを龍斗から受け取ったのは数週間前のことだった。
柳生との闘いを終えた後、龍斗は何も言わずにそれを差し出してきた。
いったい何故それを自分に渡すのか、それにどんな意味があるのかも分からず澳継は戸惑ったが、 そのときの龍斗には有無を言わせない雰囲気があったのだ。
澳継も細かいことは気にしない性質なので、とりあえず「仕方が無いから貰ってやる」と言って受け取った。
それ以来、龍斗はその数珠を常に身につけている。
しかし澳継がそれを腕に嵌めているところを、龍斗の方は見たことが無かった。
「お前、まさか失くしたりしてねェだろうな?」
「……ッ」
龍斗がそう言ったのは、あくまでも冗談のつもりだった。
しかし返事に詰まる澳継を見て、龍斗は眉を吊り上げた。
「お前……ッ!」
「うッ、うるせェな! 知るかよ、急に言われたって!!」
うろたえる澳継に、龍斗はますます怒りを露にする。
「やっぱり失くしたのか! ふざけんじゃねェぞ!!」
「なんだよ!! いいじゃねェか! 数珠のひとつやふたつでガタガタ言うんじゃねェよ!!!」
「ひとつやふたつって……! お前、アレはなぁ……」
澳継の余りにも無神経な物言いに、龍斗はがっくりと肩を落とした。
共鳴し、引き寄せあう力を持っている二つの念珠。
その片方を『大切な人に渡せ』と言われたからこそ澳継に渡したというのに、 いくらその謂れを話していないからといって、この反応はあんまりである。
龍斗はあの数珠の持つ意味を、澳継に教えることにした。

「……だからな、あれをお前にやったことは、俺にとって特別な意味があったんだよ。それなのに、お前……」
「……」
龍斗が数珠の意味を前もって話さなかったのは、澳継に余計な気負いを持たせたくなかったからだ。
円空も深く考えるな、お守りだと思えばいいと言っていた。
引き寄せあう力があるなどと言えば、澳継のことだ、 受け取らない可能性もある。
それでも持たせさえすれば失くすまではしないだろうと思っていたのだが、 どうやらそれは自惚れだったようだ。
澳継は謝罪の言葉を口にするでもなく、仏頂面のままそっぽを向いている。
「……もう、いい。勝手にしろ」
龍斗は呆れ、澳継を置いてひとりでさっさと山を降りていってしまった。

「ちっ……」
澳継は舌打ちする。
こんな小競り合いはしょっちゅうだ。
しかし今回ばかりはこのままにしておくのは悔しい。
龍斗の後姿が見えなくなったのを確認すると、澳継は猛然と走り出した。
いつも使っている道ではなく、脇へ入った獣道を行く。
それは龍斗にも教えていない、澳継だけが知っている村への近道だった。
(あの野郎……んなこと、最初から言えってんだよ!!!)
腹立たしさで勢いをつけながら、澳継は山を駆け下りる。
そして龍斗よりも先に村へ帰り着くことに成功した。
村の入り口で下忍達に声を掛けられたような気がするが、それどころではない。
まっしぐらに自分の部屋へ駆け込むと、息を弾ませたまま小物入れの抽斗を引き抜いて畳の上に中身をぶちまける。
ごちゃごちゃと詰め込まれていた雅楽多は小さな山を作り、その一番上には綺麗な藍色をした袱紗が乗っていた。
「……」
久しぶりに目にするそれを、澳継は手に取る。
そっと袱紗を開くと、中から龍斗に貰った数珠が姿を現した。
失くすはずなどない。
謂れなど知らずとも、龍斗に貰ったというだけでこの数珠は澳継にとっても充分特別な意味を持っていたのだから。
けれど一見して龍斗と色違いと分かるこれを身につけるのは恥ずかしかった。
目ざとい桔梗などに見つかったら、何を言われるか分かったものじゃない。
だからしまっておいた。
内藤新宿でこっそり買った袱紗に包み、それなりに大切にしていたつもりだったのだ。
しかし龍斗に謂れを聞いた今、この数珠は別の意味を持ってしまった。
澳継にはそれが気に入らない。
「認めねェからな……」
呟いて、澳継は数珠を握り締めた。

暫くすると、部屋の外から足音が聞こえてきた。
足音は澳継の部屋の前を通り過ぎ、やがて龍斗の部屋の方へと消えていく。
澳継はすっくと立ち上がると、その後を追った。

「入るぞッ」
障子を開けた途端、龍斗が驚いた顔で振り向く。
そして澳継の姿を認めると、再び険しい怒りの表情を浮かべた。
「……何の用だよ」
「うるせェ」
ずかずかと部屋に足を踏み入れ、龍斗の前に立つ。
それから右手に握り締めていた数珠を龍斗の鼻先に勢いよく突き出した。
「これ、返す。いらねェ」
「……」
龍斗は受け取ることもせず、ただ澳継を鋭く睨み返す。
二人はそうして、暫し無言で睨み合っていた。
「……どういうことだよ」
先に沈黙を破ったのは龍斗の方だった。
澳継は唇を噛み、それでも手を引っ込めないまま顔だけを逸らした。
「……あんなこと聞いて、持ってられるかよ。返す」
「だから、なんでだよ。なにが気に入らねぇんだよ?」
「……」
こうして向かい合って立つと、澳継はどうしても龍斗の持つ雰囲気に気圧されてしまう。
それは決して身長差の所為だけではなかった。
龍斗がいつになく本気で怒っているらしいことが分かる。
澳継は小さく息を吐いて言った。
「……お前、言ったじゃねぇか」
「あぁ?」
「この数珠には、互いに引き合う力があるんだろ。共鳴して、離れ離れになっても引き寄せあうって……」
「……ああ、そうだけど」
それを確認すると、澳継はぐいと顎を上げ、龍斗を睨みつける。
「俺は認めねェからな!! 言っただろ、最後まで責任取れって!!!」
「……?」
訝しげにしている龍斗に、澳継は苛々として更に叫んだ。
「お前、何処かに行く気なんだろ!! ここを出て! 村を出て!! だから、こんなもん俺に渡したんじゃねェのかよ?!」
ただのお守りならまだ良かった。
けれど、まるで別れ別れになることを前提にしたような謂れが気に入らなかった。
突然ふらりとこの村に現れた龍斗は、いつ同じようにふらりといなくなってもおかしくない。
龍斗ならば何処ででも、誰とでも上手くやっていけるだろうから。
いつも感じていた、そんな自分の予感を確信に変えるようなもの、持っていたくはなかった。
捲くし立てる澳継に、龍斗はただ驚いた。
「澳継、お前……」
謂れを話せば澳継は受け取らないかもしれないとは思っていた。
それは、自分と引き寄せあうなんてのは嫌がるだろうと思ったからだ。
しかし澳継の反応は全く逆のものだった。
こんな理由で返されるのは龍斗も納得いかない。
「おい、聞けよ。あのな……」
「うるせェ!! 俺は許さないからな!! 勝手に何処かに行くとか! お前がいなくなるとか……ッ」
「澳継―――!」
聞く耳を持とうとしない澳継の言葉を遮る為に、龍斗は差し出されていた右手を数珠ごと強く掴んだ。
勢いでよろめきながら見上げてくる澳継に、龍斗はわざと蔑むような視線を浴びせる。
「お前、ほんと自分勝手な」
「な……ッ!」
澳継の顔が一瞬で朱に染まる。
それを見て、龍斗はにやりと笑った。
「俺がここを出ていくって? なんで、俺だけなんだ? 勝手に決めてんじゃねぇよ」
「だっ……んな……だって、てめェが……!」
澳継は怒りの余り、口をぱくぱくさせている。
龍斗はそんな澳継の様子を面白そうに笑いながら、握り締められている数珠を取り上げる。
それから、それを澳継の右腕に嵌めてやった。
「なぁ。なんで出ていくなら俺の方だって決めつけてんだ? そりゃ、これから先なにがあるかなんて分かんねェよ。 まだまだ幕府との闘いだって続くだろうしさ。でも、お前はどうなんだ? お前だってやりたいことあんだろ?  お前が出て行かないって保証はあんのか?」
「……」
それでもまだ澳継は龍斗の本意が分からないようだった。
つくづくはっきりと言ってやらなければ通じない奴らしい。
龍斗は溜息をついて、照れ隠しの苦笑いを浮かべながら言った。
「俺だって不安なんだってこと、いい加減分かれよ」
「……!」
そんなこと、どうして思うはずがあるだろう。
誰からも信頼されて、誰からも求められる存在の龍斗が、自分と離れることに不安を抱いているなど。
いなくなるのならば絶対に龍斗のほうだと思っていたから。

陰と陽の存在であること。
鬼道衆の仲間であること。
それ以上に離れ難いと思わせるなにかがあることを、ただ認めたくなかった。
それでも、そう思っているのが自分だけではないのなら少しは認めてもいいかもしれない。
そしてこの数珠がその証なら―――。
澳継は自分の腕に嵌められた数珠を見つめた。

「……わ、分かったよ!!!」
突然気恥ずかしさが襲ってきて、澳継はまだ自分の右腕を掴んでいる龍斗の手を振り払った。
「貰えばいいんだろ、貰えばッ」
「そうそう。黙って貰っときゃいいんだよ」
澳継は右腕を隠しながら、にやにやしている龍斗に向かって喚き続ける。
「返せって言っても、もう返さねェからな。いいな?! 分かったな?!」
「返せなんて言うか、馬鹿。お前こそ本気で失くすんじゃねェぞ? 失くしたら許さねぇからな」
「けッ。そんなこと言って、てめェこそ失くすんじゃねェぞ!」
澳継は叩きつけるようにして障子を閉め、龍斗の部屋を出た。
後から龍斗の押し殺したような笑い声が聞こえてきたが、そんなこともうどうでも良かった。

廊下に出てから、澳継は右腕に嵌められた数珠をまじまじと見つめる。
こんなものやっぱりただの気休めだ。
もし離れ離れになったとしても、こんな数珠の力なんて必要無い。
自分の力で探し出してやる。
そう思いながらも自分が笑っていることに、澳継は気づいていなかった。

- end -

2002.08.19


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