劣等感
今日こそはと祈るような気持ちで、柱に背をつけて立つ。
ぴんと背筋を伸ばし、手にした小刀を頭の天辺ぎりぎりに添え、そこにあたる部分に軽く傷をつけた。
目を閉じたまま振り返り、深呼吸を一回。
それから思いきって目を開ける。
「……糞ッ!」
澳継は悔しさに歯噛みした。
たった今つけたばかりの傷のすぐ横には、一月前につけた傷があったからだ。
更に言うなら、二月前につけた傷もすぐ傍に残っている。
この数ヶ月、背丈が全く伸びていないことをまざまざと見せつけられ、澳継は腹立たしさに柱を蹴った。
「……屋敷が壊れるぞ」
「!!!」
しっかり閉めてあったはずの障子が、いつの間にやら開けられている。
そしてその僅かな隙間から、にやにやと笑う龍斗の顔が覗いていた。
恥ずかしい行動の一部始終を見られていたことに気づき、澳継は耳まで赤く染めた。
「て、てめっ……勝手に覗いてんじゃねぇよ!!!」
「だって朝飯なのに、お前がいつまでも来ないからさ」
龍斗は澄ました顔で言いながら、部屋に入ってこようとする。
澳継はそれをなんとか阻止しようと、龍斗の前に立ちはだかる。
「来るな! 見るな!!」
「まあ、まあ。俺と澳継の仲じゃないか」
騒ぎ立てる澳継をぐいと押し退け、龍斗は幾つも傷のついた柱に顔を近づけた。
「ふぅん……なるほどねぇ」
思わせぶりにそれだけ言って、柱の傷と澳継の顔とを交互に見比べる。
澳継はもう開き直るしかなかった。
「なっ、なんだよ!? 文句あんのか!!」
「文句はないけど」
「じゃあ、なんだよ!!」
「そんなに気にしてるんだ?」
「なにを……」
龍斗はまるで小さい子供を宥めているかのように、澳継の頭をぽんぽんと叩いた。
それが澳継をますます怒らせる行動だと知っていながら。
「やめろ!! 俺をガキ扱いするんじゃねぇ!!」
案の定、澳継は必死で龍斗の手を振り払う。
余りにも予想通りの反応に、龍斗は苦笑した。
「ほんとお前、小せぇよなあ」
「なっ……なんだと!!!」
頭に血が昇る。
背の低さは澳継にとって、最も触れられたくないことだった。
彼が子供扱いされる本当の理由は別のところにあるのだが、本人はそのことに気づいていない。
それでも龍斗に出会うまでは、こんなみっともない真似をしてしまうほどには気にしていなかったのだ。
龍斗はそれなりに背丈がある。
少なく見積もっても、五尺六寸は確実にあるだろう。
龍斗と並んで歩いたり、技を出したりするたびに、澳継は自分の小ささを痛感させられた。
そんな龍斗から背のことを馬鹿にされるのは、屈辱以外の何物でもない。
「てめェなんかに、俺の気持ちが分かるかよ!!」
殴りかかろうとするものの、龍斗には全く隙が無かった。
ただそこに立っているだけに見えるのに、不思議なぐらいだ。
振り上げた拳が行き場を無くしていると、龍斗が呆れた顔で溜息を吐いた。
「俺が言ってるのはなあ。そんなこと気にしてるお前の……」
龍斗は澳継の胸を軽く小突いた。
「ココが小せぇって言ってんの」
「……」
思わず言葉に詰まる。
確かに自分でも格好悪いことをしていると思う。
気にせずにいられるのならば、どれだけそうしたいことか。
それでも気になってしまうものはどうしようもない。
澳継は拳を下ろし、不貞腐れた顔でそっぽを向いた。
「背なんて小さくたってどうってことねェじゃん」
「……だから、てめェには分からねぇんだよっ」
「ふぅん……」
龍斗に見下ろされるのは酷く不快だ。
他のどんな人間に見下ろされるのよりも不快だ。
まるで何もかもを見透かされているような気がしてしまう。
しかし唇を噛む澳継に、龍斗は言った。
「でもなぁ。お前と一緒に戦ってて、お前が小さいと思ったこと、俺はないぜ?」
「……あぁ?」
「少なくとも真剣に構えてるお前は、小さくなんて見えねぇって言ってんの」
そんな気休めに騙されるものか。
澳継は龍斗を睨みつける。
けれどその言葉が、澳継の心をほんの少しだけ軽くさせたのも事実だった。
「う、嘘ついてんじゃねぇよ」
「嘘じゃねぇって」
「うるせぇ! どうせ俺は小せぇよ!! でも、どうしようもねぇんだよ!」
「そうだよ、どうしようもねぇんだよ。分かってんなら、気にすんな。気にしてっと、余計バカにするぞ?」
「クッ……」
龍斗のことだ、本当にそうしかねない。
しかしいきなり気持ちを切り換えられるものでもないだろう。
逡巡している澳継を、龍斗が笑いながら覗き込む。
「それに、小さい方が的になりにくくていいじゃねぇか。な?」
「……ぶっ殺す!!!!!」
余計な一言がなければ、ほんの少し感謝したかもしれないのに。
逃げる龍斗を追いながら、とりあえず背丈を測るのだけはもうやめにしようと澳継は思った。
- end -
2004.07.14
[ Back ]