笑み日和


意味も無く顔を上げると、少し霞んだ空が緑の合間を縫うように広がっている。
頬を撫ぜる暖かな風は、それだけで眠気を誘うようだった。
こんな陽気の日には、鍛錬をしていても何処か気持ちが引き締まらない。
素直に昼寝でもしていたほうがいいだろう、などと己に都合のいいことを考えながら、澳継は屋敷に戻ろうとしていた。

広場を抜ける辺りで、不意に澳継は足を止めた。
一人の少年が頭上に伸びる木の枝に向かって、一生懸命に手を伸ばしている。
その傍に立つ少女が、心配そうにそれを見守っていた。
(……なにやってんだ?)
よく見ると、枝に竹とんぼが引っ掛かっている。
少年はそれを取ろうとしていたのだ。
歳の頃は五つか、六つか。
枝はやや弧を描いて下がってはいるものの、彼の身の丈ではあと一寸のところで届かないらしい。
飛び上がれば葉に触れることは出来るのだが、竹とんぼは枝と共に微かに揺れるばかり。
更に木登りは不得手なのか、時折幹にしがみついてみてはただ離れるのを繰り返している。
そして少年より少し年下に見える少女は口元に拳を押し当て、眉を八の字にしながら、 竹とんぼと少年を代わる代わるに見つめていた。
確か、あの二人は兄妹のはず。
仲睦まじく遊んでいる姿を、澳継は何度も見かけたことがあった。
「チッ……しょうがねぇなぁ」
澳継は辺りを見回す。
そして手頃な枝を見つけて拾うと、二人の元へと近づいていった。

「これで、届くんじゃねぇか?」
振り返った汗まみれの幼い顔に、澳継は思わず苦笑した。
少年は差し出された枝を素直に受け取ると、背伸びをしながらそれで竹とんぼを引っ掛ける。
竹とんぼは容易く取れて、少女の足元に落ちた。
「澳継様、ありがとう!」
少女は一遍に晴れやかな顔になって、竹とんぼを手に広場へ向かって元気良く走り去っていく。
少年も照れ臭そうに笑いながら同じ言葉を口にすると、ぺこりと頭を下げ、妹の後を追って駆けていった。
「……少しは頭使えよな」
二人を見送りながら、小声でそんなことを呟く。
しかし澳継も矢張り、その顔は微笑んでいた。

「……感心だな」
「!!!」
突然、背後から聞こえてきた声に、澳継はびくりと肩を震わせて振り返った。
「な、見てたのかよ」
「見てたぜ」
龍斗は組んでいた腕を解くと、澳継の肩に手を置いて引き寄せた。
迷惑そうに身を捩る澳継を意に介さず、しみじみと言う。
「兄貴の面子を保ってやったってワケだろう? お前がそこまで考え至る奴だったとは、ちょっと見直したぜ」
「……はぁ?」
澳継が訝しげに龍斗を見上げる。
龍斗もまた澳継の顔を覗き込むようにした。
「……違うのか?」
「なにが」
「だってお前が取ってやれば、あっという間に済むことだったじゃないか。そうしなかったのは……」
確かにそれが最も手っ取り早い方法だった。
いくら小さいとはいえ、澳継の背丈ならば手を伸ばせば確実に届く高さ。
しかしそうはせずに、敢えて少年に取らせたのには理由があるはずと龍斗は思ったのだ。
兄は妹の手前、自分でなんとかしたいと思っていただろうし、妹もまたそんな頼れる兄を好いているのだろうから、横から出てきた澳継に取ってもらうよりも嬉しいはずだ。
澳継がそこまで考えて行動したのだと思った龍斗は心から感心していたのだが、どうやらそれは少し違っていたらしい。
澳継は気まずそうに目を逸らすと、龍斗から離れようとして再びもがきだした。
「そっ、そんなんじゃねぇよ。いいから、くっつくな!」
「じゃあ、なんでだよ。なんで、自分で取ってやらなかったんだ?」
「別に……そんなこと、どうでもいいだろう」
「なんでだよ。教えろよ。聞きたいんだよ」
「うるせぇな! なんで、そんなに気になるんだよ!?」
「お前のことなら、なんだって気になるんだよ」
「……っ」
龍斗は意味有りげに微笑みながら、ますます強く澳継の肩を抱く。
いい加減腹の立った澳継は、龍斗の足を思い切り踏みつけてやった。
「痛ェ!」
思わず手を離した龍斗から逃れると、澳継は吐き捨てるように言った。
「俺が、嫌いなんだよっ」
「嫌いって……なにが?」
痛みに顔を歪めながら、龍斗が聞き返す。
「だから……ああいう時、横から手を出されんのが」
そう答えると、澳継は不貞腐れたようにぷいと顔を背けた。
背の低い澳継はそれをたびたび経験して、屈辱に感じてきたのだろう。
だからこそ―――。
「お前……ほんっとに可愛い奴だな!」
龍斗は飛びつくようにして、澳継を後ろから抱き締めた。
「かわっ……てめぇ、俺を馬鹿にしてるのか?!」
「してねぇよ。褒めてるんだって」
「嘘つくな! いいから、離せ!!」
「分かったよ、つれねぇなぁ」
そして暴れる澳継を漸く解放してやると、龍斗は満面の笑みを浮かべながら言った。
「さて。これから、俺と出掛けないか? 兄ちゃんが団子を奢ってやるからさ」
「誰が兄ちゃんだ! ……団子は食うけど」
「よしっ、決まりな」
澳継は昼寝のことなどすっかり忘れ、今度は手を繋ごうとする龍斗を必死で振り払いながら、陽光の中を二人並んで歩き出した。

- end -

2006.04.30


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