あめふり


「暇だ……」
澳継の呟きに、龍斗は俯けたままの顔を僅かに顰めた。
「お前、さっきからそればっかりじゃねぇか」
「しょうがねぇだろう。暇なんだから」
「まあ、そうだけどよ」
龍斗は答えながら、足の爪を削っていた鑢をふっと吹いた。
昼なお暗い部屋に響くのは、ただ激しい雨音だけ。
庭先に出来た池ほどの大きな水溜りは、矢のように降り続く雨の所為で白く泡立っていた。
多少の雨ならば気にも留めず鍛錬に出掛ける澳継も、これでは流石に外へ出ることも適わない。
体が鈍ると言わんばかりにぐるりと腕を回すと、呑気な龍斗を横目で眺めた。
「んなこと、てめぇの部屋でやれよ」
「もうすぐ終わる」
「そういう問題じゃねぇだろうが」
返事をするのが面倒になったのか、龍斗はもう答えなかった。
澳継は舌打ちしながら、立てた膝の上で頬杖をつく。
―――退屈だ。
他の連中はどうしているのだろう。
雨音に紛れて、桔梗の三味線の音が微かに聞こえてくる。
天戒の部屋の方からだ。
そういえば朝飯以降、九桐の姿を見ていないことに気付く。
もしやこの雨の中を出掛けたのだろうか。
彼ならば有り得る。
つくづく物好きな奴だと思った。
「澳継、お前も爪伸びてるな」
自分の爪を終えた龍斗が、澳継の足先を覗き込んで言った。
見ると確かに伸びてはいたが、気にするほどではないように思われた。
「たいしたことねぇじゃん」
「いいから削っとけよ」
「めんどくせぇんだよ」
「馬鹿。うんと伸びてからの方が面倒だろう。これぐらいのうちにやっとけって」
「いいって」
「じゃあ、俺がやってやるから」
「あぁ?!」
龍斗に爪先を掴まれて、澳継は暴れた。
「やめろ! いいって言ってんだろ!」
「あのな。爪が伸びて割れでもしたら、闘うときに支障が出るんだぞ?  鍛錬だけじゃなく、こういうのも強くなるには必要なことなんだよ」
「……」
もっともらしい説得に多少の胡散臭さを感じながらも、澳継は抵抗するのをやめた。
龍斗は懐から新しい紙を取り出して、澳継の足の下に敷く。
「じっとしてろよ」
「……さっさと終わらせろ」
「はいよ」
他人に足の指を弄られるというのは、妙な気分だ。
くすぐったいような、恥ずかしいような。
普段、自分でも余り触れることのない場所だからかもしれない。
雨の勢いは衰えない。
軒を打つ雨音が煩いぐらいだ。
時折吹く強い風に乗って、細かい雨粒が部屋の中にまで入ってくる。
龍斗の前に差し出した素足にも、それは掛かった。
「……お前、足の指長いな」
「あ?」
言われて龍斗の足の指と見比べてみる。
けれど並べてみないことには、よく分からなかった。
「そうか?」
「うん」
「ふぅん」
どうでもいいことだ。
澳継は気の無い返事をした。
「なんか、いいよな」
思いもかけない龍斗の言葉に、澳継は眉を顰める。
「そうなのか?」
「うん」
「……」
何故か龍斗は楽しそうに笑いながら、そのまま作業を続けた。
ふと澳継は、馬鹿馬鹿しいような気持ちになる。
幾ら暇だからといって、いったい自分は何をやっているのか。
大嫌いな龍斗と二人、至近距離で向かい合って、ちまちまとつまらないことに時間を費やしている。
本当はこんなことをしている暇など無いはずなのに。
開いた障子の向こう側で降り続く雨を、澳継は恨めしそうに眺めた。
「……なぁ、たんたん」
「うん」
「さっきの話、本当か?」
「さっきの話って?」
「鍛錬だけじゃなく、こういうのも必要だって話だよ」
「ああ……。多分な」
「……多分、ってなんだよ」
「思いつきで言ったから」
澳継は平手で龍斗の頭を叩いた。
けれど矢張り龍斗は楽しそうに笑っている。
結局は、龍斗も暇なのだ。
掌に龍斗の髪の感触が残る。
「暇だぜ……」
また同じことを呟いた澳継に、龍斗は苦笑した。

「よしっ。終わり」
爪は綺麗に整えられていた。
澳継はなんとなく、足指を開いたり閉じたりしてみる。
悪い気はしない。
龍斗は紙を折り畳み、再び懐に仕舞うと、まるで大層な仕事を終えたかのように大きく伸びをした。
「あー、また暇になっちまったなぁ」
「俺はさっきからずっと暇だ」
「じゃあ、昼寝でもするか?」
二人の視線は、朝から敷きっ放しの布団へと向いた。
そもそもが澳継は、今日は一日寝て過ごす覚悟だったのだ。
龍斗が来たから、付き合って起きていただけで。
澳継はちらりと龍斗の顔を見る。
「そうだな……。俺はそうするぜ。俺は、な」
「じゃあ、俺も」
「言っとくがな、てめぇは自分の部屋で寝ろよ?!」
「なんだよ、ケチなこと言うなよ」
やっぱりそのつもりか。
澳継は露骨に嫌な顔をしてみせた。
「いいじゃねぇか。……暇なんだろ?」
龍斗が障子を閉める。
部屋は一気に暗さを増した。
澳継は溜息を吐いて、薄い布団を捲る。
「ったく……妙な真似したら、タダじゃおかねぇからな」
「妙な真似って、どんな真似だ?」
「うるせぇ!」
我先にと争いながら、二人で布団に潜り込む。
肘が龍斗の顔にぶつかって、龍斗は「いてぇ」と声を上げたが無視してやった。
雨音がまた強くなる。
澳継は目を閉じ、この雨がもう暫く降り続いてもいいと思った。

- end -

2005.06.03


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