残像
店の中は意外に混んでいた。
朝食の時間帯はとうに過ぎているはずだが、給仕らしき少女はまだ忙しなく客の間を動き回っている。
アルベルトは目玉だけを動かして店内を見渡してみた。
国境に一番近い宿だから、客層はばらばらだ。
聞こえてくる会話には耳慣れない響きが混じっている。
こういう場所が、一番目立たずに済むのだ。
とりあえず不審な者がいないことを確認して、警戒を解く。
目当ての人物は一番奥のテーブルに、壁を背にしてぽつんと座っていた。
不規則に並べられた座席の間を擦り抜けて、その前に立つ。
「おはようございます」
「うん」
頭上から声を掛けるが、既にアルベルトが来ていたことに気づいていたのだろうか、
彼は顔も上げずに短く答える。
テーブルの上にはお世辞にも美味そうとは言えないような、貧弱な野菜の盛られた皿がひとつ置いてあった。
「今、朝食ですか?」
「そう」
やはり返事は短い。
しかし愛想が無いのはお互い様だった。
アルベルトが向かいの椅子に腰掛けると、
すぐに給仕の少女がやってきた。
「珈琲を」
「はぁい」
少女はのんびりした口調で答えると、くるりと背中を向けて厨房へと姿を消した。
「……それだけ?」
「え?」
ルックは目の前にある野菜の中にフォークを突き立てたまま、上目遣いにアルベルトを見ていた。
「それだけ、とは?」
「朝御飯、食べないの? 珈琲だけ?」
「あぁ……もう済ませてきましたので」
「ふぅん」
この時刻なら朝食など済ませているのが当然なのに、何故かルックは不服そうな顔をする。
見ればさっきからざくざくと野菜を突き刺しているばかりで、一向に口元へ運ぼうとはしていない。
いったいどれぐらい前に、この皿はここに置かれたのだろう。
「……ルック様こそ、それしか召し上がらないのですか?」
「……」
そのとき、給仕の少女が珈琲を運んできた。
香りは悪くなかったが、やけに薄い色をしている。
ほんの少し、舐めるようにしただけで、すぐにカップを皿に戻した。
ルックは頬杖をつきながら、まだぐずぐずとフォークで野菜を弄っている。
自分だけが不味い食事をするはめになったのが、気に入らないのかもしれない。
アルベルトは彼の様子を冷たい眼差しで見つめた。
「……余計なお世話かとは思いますが、もう少し召し上がったほうがよろしいかと」
その言葉にルックはぴたりと手を止め、アルベルトを睨みつける。
「……本当に余計なお世話だね」
「ええ、そう申し上げました」
「自分はどうなのさ。本当に食べてきたの?」
「私のことはどうでもいいです。あなたはただでさえ身が細いのですから」
途端、ルックは手にしていたフォークを皿の中に放り出した。
フォークは安っぽい音を立てて、皿の中で跳ねた。
わざと怒らせるような事を言ったのは、彼の行儀の悪さに愚弟を思い出したからだ。
あれもよく食事中に頬杖をついて、注意されていた。
しかし何度言って聞かせても直らず、最後には呆れて見ないふりをすることにしたのだ。
行商らしき中年男達が入ってきたことで、店の中は一気に騒々しさを増す。
もうそろそろ出たほうがいいかもしれない。
アルベルトがそう促そうとしたとき、
ルックが唐突に噴き出し、そのまま顔を俯けてしまった。
小刻みに肩を震わせて笑っている。
「……な、なにか?」
アルベルトにしては珍しく、戸惑いを隠せなかった。
行動を共にするようになってからだいぶ経つが、
ルックがこんな風に笑うところなど見たことがなかったからだ。
彼はひとしきり笑うと大きく息を吐いて、漸く顔を上げた。
妙に清々しい顔をしていた。
「……なにか可笑しなことがありましたか?」
「いや、ちょっとね……」
ルックは再び頬杖をついて、店の中に視線を漂わせる。
そには様々な国から来た、様々な年齢の、様々な人々がいた。
ルックは目を細めながら彼らを眺め、そして呟いた。
「昔、お節介な連中によくそんなことを言われたな、と思ってさ……」
「……」
彼の瞳は此処ではない、何処か遠くを見ているようだった。
口元に浮かぶ微かな笑みはとても穏やかで、それは彼がかつて幸せな日々を送っていたことを物語っていた。
その頃の彼はきっと嘲笑や冷笑ではなく、悦びや愉しみの感情から笑うことも出来たのだろう。
解放軍、同盟軍。
それまで繋がりの無かった人々が、ひとつの目標の元に集い、力を合わせ戦った。
まだ自分以外の何かを、誰かを、信じることの出来た日々―――。
夢を見ているようなルックを前にして、アルベルトは思った。
まだそんな風に笑えるのならば、他の方法を探すことも出来るのではないかと。
思ってから、自分でその考えを否定し、緩く首を振った。
彼が見ているのは今目の前にある現実ではない。
それはただの、幸福の残像だ。
現状は既に後戻り出来ないところまで来ているのだから。
喉元まで込み上げた言葉を薄い珈琲で流し込み、アルベルトは席を立つ。
「ルック様。そろそろ参りましょう」
「―――ああ」
共に立ち上がった彼の右手には、冷たい仮面が握られていた。
- end -
2002.12.19
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