Silly Talk
扉を開けると、そこかしこに染み付いたアルコールの匂いと人いきれが一気に襲い掛かってくる。
アルベルトは僅かに顔を顰めながら、それほど広くない店の中を見回した。
真昼間から酒場にたむろする連中の野卑な笑い声も、表に溢れる露店の喧騒も、どちらも好きにはなれない。
しかし己の中に彼らを蔑む感情があるのは確かだったが、これも生活なのだということはさすがに認めざるを得なかった。
奥のテーブルに彼の姿を見つける。
一見、無表情にも見えるが、あれは明らかに機嫌を損ねている顔だ。
彼もまた、このカレリアという街が好きではないのだろう。
その気持ちは分かる。
埃と熱気に包まれたこの場所は、彼の存在と余りにもそぐわない。
他の客達も無意識にそれを感じ取っているのか、
彼のいるテーブルの周囲にだけ、不自然なまでの空席が出来ていた。
「……何を飲んでいらっしゃるんですか」
使い込まれて黒光りしているテーブルの上には、見慣れないラベルの貼られた黒い硝子瓶と、
僅かに白く濁った液体が注がれたグラスが置いてある。
ルックは頬杖をついたまま、こちらを見もせずに素っ気無く答えた。
「さあ。飲めるものなら何でもいい、と言っただけさ」
恐らく、地酒のひとつなのだろう。
ラベルにカレリアの文字が読める。
アルベルトが向かいの席につくと同時に、給仕と思われる中年の女性がやってきた。
「グラスをもうひとつ」
何も言葉を発しない無愛想な給仕にそう告げると、
そこで初めてルックはアルベルトに視線を寄越した。
「私にも頂けますよね?」
「別に、いいけど……」
許可を得たときには既に、さっきの女がふたつめのグラスを持ってくるところだった。
愛想の欠片も無い給仕がグラスを置いて立ち去ると、ルックは酒瓶をアルベルトに差し出した。
そのままグラスに注いでくれようとする手を遮り、瓶を受け取って自分で酌をする。
グラスの半分ほどまで注がれた酒をぼんやりと眺めながら、ルックは酷くつまらなそうに呟いた。
「……多分、お前の嫌いな味だと思うよ」
口元まで運ばれていたグラスが、一瞬止まる。
濃いアルコールの匂いが、アルベルトの鼻を突いた。
「……」
喉が動いた途端、アルベルトは顔を顰めた。
ルックが呆れたように笑う。
「だから言ったじゃないか」
「確かに……」
予想よりきつい味では無かったものの、舌の上に妙な甘さが残る。
安っぽい菓子のような、べたつく甘味だ。
とてもじゃないがそれ以上口をつける気にはなれず、
アルベルトはただ忌々しげにグラスの中の液体を睨みつけていた。
「……何故、分かったのです?」
「なにが」
「私の嫌いな味だと」
あの指摘に飲むことを一瞬躊躇したのは、口に合わないものを避けたかったからではなかった。
何故、そんなことを知っているのか。
アルベルトの問いに、ルックはいかにも楽しげに唇を歪める。
何処か得意気なその顔に、嫌な予感がした。
「……お前は、甘いものと魚が嫌い。音楽を聞くのは好きだけど、歌は聞きたくない。
暑いのが苦手で、機嫌が悪くなると早口になる。それから―――」
不味い酒の味と相俟って、アルベルトはますます眉間に皺を寄せた。
「自分の髪の色が、嫌い」
「……」
返す言葉を失くしたアルベルトを前に、ルックは喉の奥で笑う。
いったい、いつの間にこれほど観察されていたのだろうか。
ルックの並べ立てたことは、不愉快なことに全て事実だった。
しかし食べ物に限らず、好き嫌いを態度や顔に出していた自覚は全くない。
寧ろ自分はそういったことが、普通より他人に悟られにくい人間のはずだ。
何を考えているのか分からない、と言われたことは、一度や二度ではないのだから。
それに―――ルックもルックだ。
他人に興味は無いのかと思えば、こちらの些細な変化を目敏く感じ取っていたとは、なんとも気に入らない。
子供染みているとは思ったが、アルベルトは反撃に出ることにした。
「……食事に興味はないけれど、甘いものは嫌いじゃない」
ぴくりとルックの顔が引き攣る。
「人の多い場所が嫌い。自分の書いた字を見られるのが嫌い。
動物も好きではないのに、何故か小動物に寄ってこられる。それから……」
動揺を隠すためか、ルックが酒に口をつけた。
その様子を見て、アルベルトはにやりと笑いながらとどめを刺す。
「眠るとき、人の左側に行きたがる」
「!!」
ルックは盛大にむせた。
そんなことを知っているのは、ベッドを共にしたことがある者だけだ。
頬を微かに染めながら、ルックはしばらく苦しそうに咳き込んでいた。
「な、何を言ってるんだ。こんな所で」
どうやら全て当たっていたらしい。
ようやく溜飲が下がって、アルベルトは満足していた。
ルックはグラスの中の酒を一息に飲み干し、大きな溜息を吐いた。
「くだらない……」
「言い出したのは、あなたです」
「だからって」
「何か理由があるのですか?」
実は以前から気になっていたのだ。
彼は必ず自分の左側で眠りたがる。
たまに何かの拍子で右側になってしまったときなど、後からわざわざ場所を入れ替わるほどだ。
しかしルックは顔を背ける。
「……いいだろう、別に」
「言いたくないのですね」
「……」
ルックは再び頬杖をつくと、何処を見るでもなく目を伏せた。
別にどうでもいいことだ。
無理に聞き出そうとは思っていない。
嘘でもついて適当にあしらってしまえば済むものを、そうしない彼は不器用な人間だと思う。
そう、自分よりも余程人間らしい―――。
「……聞きたいからさ」
賑やかな店の中、注意しなければ聞き取れないほどの声でルックが呟いた。
「……何をです?」
「心臓の、音」
それだけ言って、ルックが立ち上がる。
彼の視線の先を振り返ると、ちょうどユーバーが店に入ってくるところだった。
「セラを呼んでくる」
ルックはそう言って、ユーバーと入れ替わりに店を出て行く。
黒ずくめの男はその後ろ姿を見送ると、アルベルトの傍に立った。
「何の話をしていた」
「……くだらない話さ」
「ほう。お前でもくだらない話が出来るのか」
ユーバーが含み笑いをしたので、アルベルトは苛立った。
本当にくだらない話だった。
馬鹿馬鹿しいなんてものじゃない。
最後の最後に聞かなければ良かったことを聞かされて、最悪の気分だった。
いや、理由を尋ねたのは自分なのだから、自業自得か。
喉の奥につかえる熱をアルコールの所為にするために、グラスに残った酒を胃に流し込む。
さっきよりももっと不快に感じられる甘さが舌を刺して、アルベルトはまた顔を顰めた。
- end -
2007.09.20
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