冷ややかな安息
さぞかし冷酷な男なのだろうと思っていた。
その視線も、言葉も、彼の立ち居振る舞いの全てから、それは感じられた。
実際、彼は軍師として目的を達成する為、常に最も的確で最もふさわしい道を選ぶことだけを考えてきたのだろう。
彼と行動を共にするようになってからも、
その道程において慈悲や同情といった生温い感情が顔を覗かせることなどただの一度も無かった。
彼は怜悧で鋭敏な、職務にのみ忠実な男。
そんな風に思っていた。
部屋を訪れるなり、滅多に見られないような光景を目の当たりにして、ルックは思わず薄笑いを浮かべた。
そして物音を立てないよう、傍にあった椅子に静かに腰掛けると、暫くその光景を楽しむことにした。
目の前にある机では、部屋の主であるアルベルトが何か書き物をしている途中だった。
その仕事がよほど退屈だったのか、彼は掌を額に押し付け、羽ペンを手にしたままうたた寝をしている。
普段、全く隙を見せない男の無防備な姿を前にして、ルックはかなり愉快な気持ちになっていた。
しかし、それはほんの僅かな時間だった。
ゆっくりと目蓋を開いたアルベルトは、すぐに侵入者の存在に気がついた。
「……何を、していらっしゃるのですか」
やや歯切れの悪い問い掛けに、ルックはただ笑むだけだった。
他人に寝顔を見られるなど、あまり気分のいいことではないはずだ。
アルベルトも例に漏れず、不機嫌そうに顔を顰めると緩く頭を振った。
赤い髪が微かに揺れる。
「起こして悪かったね。もう少し眠っていたかったんじゃないのかい?」
「いいえ、構いません」
ルックはからかうように言ったが、アルベルトは既にいつもの無表情に戻っていた。
そのしれっとした態度が癇に障って、ルックはいつになく饒舌になる。
「そう、それなら良かったよ。しかし珍しいこともあるものだね。執務中に居眠りなんて、お前は絶対にしないと思っていたけど」
「昨夜、あまり寝ていなかったものですから」
アルベルトはやはり平然と答える。
つまらない男だ。
睡眠不足の理由も、どうせ仕事の為なのだろう。
ルックは一気に興味を失って、背凭れに体を預けた。
「ふん……仕事熱心なことだね」
しかしその呟きに、意外な言葉が返る。
「仕事で、とは申しておりませんが」
「……え?」
それ以外に何がある?
そう聞き返そうとしたところで形勢逆転されそうな気配を感じて、ルックは口を噤んだ。
言葉の応酬で勝てそうにないと思った相手は、そう多くはない。
アルベルトが僅かに唇の端を上げる。
「ところで、私に何か御用でしたか?」
アルベルトは立ち上がり、ルックの方へと向かってくる。
しかしそのまま脇を通り過ぎると、背後にある窓辺へと歩み寄っていった。
「何も。ちょっと様子を見に来ただけだ」
「それは私に会いに来てくださったということですか?」
「……」
くだらないことを言う、いつもならそう嘲るところだった。
けれど今のルックはあれこれ言い返す気力がすっかり削がれていたし、
迂闊に優位に立とうとすれば墓穴を掘りかねないような気もしていた。
それならばいっそ、本当のことを言ったほうがいい。
「……そうだね。お前に会いたかっただけなのかもしれない」
今度はアルベルトが黙り込む。
沈黙の中に明らかな疑念を感じ取ったルックは、今度ははっきりとした口調で言った。
「僕はお前といる時が、一番落ち着くんだよ」
「……まさか」
「本当さ」
それは真実だった。
出会ったときから感じていた、彼の冷たさ。
温度の低い彼の存在が、最も安らぎを与えてくれるなど信じてはもらえないだろう。
しかしルックは今の自分に何が必要なのかをよく知っていた。
甘い感情など邪魔になるだけだ。
全てを承知で、利害関係でのみ成り立っている彼の傍にいるとき、
ルックは自分が悪鬼であることに罪悪感を持たずに済む。
自分の中にある感情というものを、全て忘れていられる。
だからアルベルトといると、落ち着くのだ。
不意にアルベルトが窓を開け放った。
少し冷たい風が吹き込み、ルックは深く息を吸い込む。
アルベルトは微動だにしない。
ルックへ視線を向けることさえしなかったが、その傍を離れようともしなかった。
ルックは目を閉じる。
何も無い。
何も無かった。
くちづけも、抱擁もいらない。
僅かな温もりさえ拒んだようなふりをしながら、それでもひとりではないという錯覚を与えてくれる彼を、ただ必要だと思った。
アルベルトが自分をどんな風に思っているかなど興味は無い。
知ってしまえば、取り返しがつかなくなる。
この安息は失われてしまう。
だからルックは目を閉じていた。
アルベルトがその視線の先に何を見ているのか、知りたくもなかった。
- end -
2006.01.22
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