不可避
アルベルトは自分の上に跨って腰を揺らしている男の、白い喉元をぼんやりと見上げていた。
不規則な呼吸に合わせて波打つそれに手をかけ、力を込めたなら、彼はどう反応するだろうか。
きっと、抵抗しない。
諦めと恍惚を思わせる笑みを浮かべながら、ただされるがままでいることだろう。
「アル……ベルト……」
不意に名を呼ばれ、アルベルトは反射的に腰を高く突き上げた。
「ああっ……! は、ぁっ……もっと……もっとだよ……」
ルックは汗ばんだ髪を振り乱しながら、息も切れ切れに強請る。
与えられた快楽に震える身体は、更なる刺激を求めていた。
肌を重ねる度ごとに、ルックは激しく行為に溺れていくようになった。
否、時が経つごとに、と言うべきか。
計画が進行し、結末を迎える時が近づくにつれ、当初の躊躇いは姿を消していった。
ただ只管に快楽を貪るその姿は、扇情的というよりも、寧ろ痛々しさを覚えるものだった。
「ん、ッ……何を……考えて、いる……」
ルックは潤んだ瞳でアルベルトを見下ろしながら、濡れた吐息混じりに尋ねる。
「いいえ……何も」
「嘘だ……」
ルックはアルベルトの腹の上についた両手の爪を立てた。
突き刺さる痛みに、アルベルトが僅かに眉根を寄せる。
「……分かって……いる、んだろう……?」
喋りながらもルックが動きを止めることはなく、振動で軋むベッドの音は絶え間なく続いている。
「僕が……僕が、まだ……」
―――迷っていることに。
彼が本当に、そう続けようとしたかは分からない。
どちらにせよそんな言葉は聞きたくないとばかりに、アルベルトはルックの腰を抱えると、彼の中を殊更深く貫いた。
「あッ! あぁっ……」
ルックは再び身体を仰け反らせる。
胸から腹に掛けて、白く柔らかな曲線が薄闇に浮き上がった。
まるで、蛹のようだ。
それも決して羽化することのない蛹。
彼はその背に生えるはずの羽を、初めから与えられずに生まれてきたのだ。
アルベルトはそんなことを思いながら、解放を求めて脈打ち始めているルックの屹立を強く握り締めた。
「や、ぁぁ……ッ!!」
その苦しさに、ルックの表情が歪む。
堰き止められた欲望は体内で激しく渦を巻き、放出をせがむ。
「やめ、ろ……。離せ……っ!」
堪らず言うも、アルベルトは絡めた指を離そうとはしない。
先端から溢れた蜜が、アルベルトの腹へ糸を引いて零れ落ちる。
「苦しいですか?」
「早くッ……早く、離せ……ッ」
ルックはアルベルトの手首を掴む。
しかしその指を引き剥がすほどの力は、今のルックには無かった。
「……言い方が違うのでは?」
「手を、離せ……離して……くれ……」
「それも違いますね」
ルックは目尻に涙を滲ませながら、震える声で漸くそれを口にした。
「……イかせて……くれ……」
アルベルトが意地悪く微笑む。
握り締めていた指の力を緩めると、今度は激しく扱きあげた。
「あッ、ぁっ! ん、あっ―――……!!」
アルベルトの手の中から、すぐに乳白色の液体が溢れ出した。
吐き出すごとにルックは短く声を上げ、全身をびくびくと痙攣させる。
その様子を見上げながら、アルベルトもルックの奥深くに吐精した。
いつの間に降り出したのか、微かな雨音が聞こえる。
ベッドの中で、二人は互いに背を向けて横たわっていた。
眠っていないことは、気配で分かる。
「……こういうのを、現実逃避っていうんだろうね」
自嘲を含んだ声音で、ルックが呟いた。
「逃避……ですか」
「そう。逃避だよ」
微かな溜息。
そして。
「僕はその為にお前を利用している。……謝罪が必要かい?」
必要だと答えて欲しいのかもしれない。
何故かアルベルトはそう感じたが、それでも即答した。
「いいえ。必要ありません」
ルックが苦笑しているのが見えるような気がした。
しかしそれがアルベルトの本心だ。
幾らでも利用すればいい。
それも出来るだけ長く。
「……逃げることは、悪ではありません」
アルベルトは淡々と告げる。
「攻め入る時に、退路を確保することは重要です。
背水の陣を取る方法もありますが、私は好きじゃない。
逃げるとはある意味、行く先を変えて前進することでもあります」
まるで戦略を説明しているような口調。
ルックがほんの僅か、肩越しにアルベルトへと目を向けた。
「軍師らしい慰め方だね」
慰めたつもりなどなかったが、そう感じたのならそれでもいいと思った。
「……少し、気が楽になったよ」
ありがとう、と小さく呟くと、やがてルックは眠りに落ちていった。
アルベルトはそっと寝返り、自分に背を向けたまま眠るルックを見つめた。
剥き出しの裸の肩が、酷く寒そうに見える。
こんな行為さえ、逃避だと言って自分を責める彼は、世界を破壊するには余りにも優しすぎた。
こんなものは逃避でもなんでもない。
待ち受ける運命から、逃れることなど出来やしない。
ともすれば手を伸ばしてしまいそうな自分がいることに気づいて、アルベルトは堪らなく嫌な気持ちになった。
- end -
2006.05.14
[ Back ]