Blind
あまりにも痛くて、苦しくて。
それが何故なのかも分からなくて。
こんな痛みを与える神を―――憎んだ。
仮面を外したルックの横顔は、酷く疲れてるように見えた。
年下としか思えない外見を持ちながら、その表情には矢張り過ごしてきた年月に見合った雰囲気が漂っている。
それでもテーブルの上で組まれた指は細く、華奢な身体を隠すための厚手のコートも脱いでいる今、
そこにはただ頼りなさげな少年がひとり座っているだけだった。
「……準備は整ったのか?」
ルックは虚ろな視線を落としたまま、傍らに立つ軍師に問い掛ける。
その声は決して明瞭ではなかったけれど、威圧感を失ってはいなかった。
「はい。遅くとも明後日には到着するかと」
アルベルトの事務的な返答にそうか、とだけ答えると、ルックは組んだ自分の両手に額を押し付けた。
「随分とお疲れのようですね」
「ああ……そうだな」
「……」
目的の達成に近づけば近づくほどに、ルックは目に見えて憔悴していった。
それが肉体の疲れからだけではなく精神的な負担によるものだということは、
この謀が実行に移される前から行動を共にしてきたアルベルトにはよく分かっていた。
百万の命を犠牲にする価値があると言い切りながら、ルックは未だ人の血を流すことに躊躇いを覚えている。
彼がユーバーのように、好んで争いを起こしているわけではないことは一目瞭然だった。
そこまでして、何故―――。
ふと過る疑問符に、アルベルトは自分自身を意外に思った。
ルックの出した条件は、軍師としての知恵をもってこの計画を成功へと導くこと。
それは同時にアルベルトの望みの一端を叶えるのにも好都合な設定だった。
利害の一致さえあれば、後のことに興味はない。
いや、興味はない―――はずだった。
「……明日は一日休まれるのも宜しいかと。私ももう失礼します」
「……待て」
引きとめられ振り返ると、ルックは僅かに顔を上げていた。
しかしその視線は空を見つめたままだった。
「お前は、この計画が成功すると思うかい?」
それは計画の首謀者ならば、決して抱いてはならない心情からくる問いだった。
アルベルトは低く、冷たい声で答える。
「そうなるべく導くのが、私の仕事です。作戦自体に綻びは無いと断言しましょう。しかし……」
「しかし?」
常に確信に満ちていた軍師が発する初めての言葉を、ルックは反芻した。
アルベルトは再びルックに歩み寄り、彼を見下ろして言う。
「今の状況では、可能性は五分五分といったところでしょう」
ルックの肩がぴくりと震えた。
「……なんだって?」
「あとは、あなた次第です」
蔑むような視線が、ルックのそれとかち合う。
「勝敗の最終的な決め手となるのは結局、人の意思です。
どれだけ勝利を願っているか、どれだけ勝利に執着しているか。今のあなたには、それが見られない」
アルベルトの言葉を聞き終わると、ルックは睨みつけていた視線をふいに緩め、口元に冷笑を浮かべた。
「僕が儀式の成功を本気では願っていないと?」
「そうです」
「……馬鹿馬鹿しい」
ルックは俄かに険しい口調になると、アルベルトに向かって吐き捨てた。
「僕がこの呪われた三十年間を、どんな想いで過ごしてきたと思っている?
紋章を憎み、自分を憎み、僕は今この世界を憎んでいる。
この魂に絡みついた真なる風の紋章を破壊するためなら、僕はなんだってやる。
例えそれが神に対する無謀な挑戦であってもだ」
ルックの瞳には再び強い力が戻っていた。
しかしそれさえもアルベルトの言葉を翻させることは出来なかった。
「私にはあなたの中に、憎しみの感情を見出すことは出来ませんが」
「……」
ルックは食い下がるアルベルトの目を見据えた。
まるでそこに形ある何かを見つけられるとでも思っているかのように、視線を外さないまま立ち上がる。
そして、自分よりも背の高い軍師に向かい顎を突き出してみせた。
「……なら、お前には何が見える」
怒りの響きが含まれたその問いにも、アルベルトはあくまで機械的に答えた。
「―――悲しみが」
ルックがほんの僅か目を見張った。
その動揺を軍師が見逃すはずはなく、心の隙を突くように畳み掛ける。
「あなたはご自分を騙しきっているつもりかもしれませんが、私にはとてもそうは見えません。
悲しいのならば泣けば良いのです。
それだけでも心の負担は幾許か取り除かれるでしょうに、
あなたは悲しむことで自分が弱者になるのを恐れ、それを怒りと憎しみに変えようとしているだけです。
しかもあなた自身にはその認識が無い。なにかを恐れた、そんな状態で神に挑もうとは……」
一瞬だった。
青白い光の玉がルックの掌に浮かぶやいなや、その光の玉はアルベルトの右肩に当たり、
そのままアルベルトの身体を部屋の向こう側の壁へと打ちつけた。
どうという激しい音を立ててアルベルトは崩れ落ち、床から微かな埃が舞いあがった。
「クッ……」
「調子に乗るんじゃないよ。これでも手加減してあげたんだ。感謝してもらいたいね」
「……」
確かに余計なことを言った。
しかしアルベルトは彼が知るべきだと思っていた。
この世界に報われぬ感情を抱き、報われぬと知りつつも尚、手を伸ばし叫び続けるのならば、
仮面を外し、己自身の目で確かめるべきだと。
自分の砕こうとしているこの世界と、その魂の持つ真実の姿を。
しかし、時は既に失われていた。
痛みに顔を歪め、肩を押さえるアルベルトにルックは背中を向けると、
部屋の扉に手を掛けながら振り向かないままに言った。
「ひとつ言っておくけど、お前は間違っているよ。僕は悲しみを恐れてなどいない」
「……では、なんだと?」
ルックは暫く黙り、それから自嘲の笑みを浮かべて答えた。
「僕はね、涙の流し方なんて知らないのさ」
「……」
扉を開け、ルックは部屋を出ていこうとする。
「……何処へ行かれるのです?」
「何処でもいいだろう。僕が行く場所は―――僕が決める」
扉は乾いた音を立てて閉まり、ルックの足音はその向こう側へと消えていった。
あまりにも痛くて、苦しくて。
それが悲しみという感情なのだと知らなくて。
何故、こんなに悲しいのかも分からなくて。
ただ、憎むしかなかった。
- end -
2002.08.24
[ Back ]